みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#4 進化論 ミスが積み重なって進化した?

2023年11月30日 | 進化論

 
現在の進化論では、遺伝子のコピーミスが積み重なることによって進化が進んだという考え方をしているが、経験から分かるように、ミスが積み重なって何か優れたものが生まれたと仮定することはできない。

 ミス+ミス+ミス+ミス+…+ミス=混沌

である。

仮に、ゴッホの自画像のコンピュータ画像があるとしよう。

そのデータを操作する際に、ある一定の確率で少しずつミスが生じるとしよう。

その操作を100回加えたら、そこに花の絵が加わったということがあるだろうか。

それとも、ゴッホが描くよりも優れた絵になったということがあるだろうか。

ミスが積み重なれば、ゴッホの絵は崩れて見る陰もなくなるだろう。

ミスが、たまたま全体にプラスに働くのはきわめてまれである。

その大部分は全体をダメにするものだ。

しかも、ミスが次々に重なって起これば、全体は滅茶苦茶になる以外にはない。

演劇において少しのミスは、かえって聴衆を沸かせることもあるかもしれない。

しかし、一つの劇において、ミスがあまりにも頻繁に積み重なればいかがだろうか。その劇は失敗に終わる。滅茶苦茶である。

だから、ミスが積み重なるうちに優れたものに発展しました、という現代の進化論はマヤカシなのだ。

 

 

 


#1 進化論と宗教 進化論の影響

2023年11月30日 | 進化論と宗教

ナチスや共産主義と進化論の関係を些末なものでしかないと考えることはできない。

進化論の登場以降、ナチスに限らず、人種や民族に優劣をつける風潮はヨーロッパや日本において普通に見られた現象である。これは、当時著された書物を読めばすぐにでもわかることである。

白人の波状毛は、黄色人種の直毛よりも進化の進んだ形質であるなどという議論が頻繁に登場したものである。

実はダーウィンの進化論が登場する前に、進化論への道備えとなる思潮がすでに存在していた。

ヘーゲルの弁証法的発展史観がそれである。

しかし、このような発展史観は神話的・思弁的であるとし、客観性を求める立場が現れ、実証主義に立つ発展史観が登場した。ダーウィン進化論はそのような立場の一つであったと言われている。

共産主義も、実はこのような、思弁的発展史観に対する実証主義的アンチテーゼとして生まれたのである。

したがって、ダーウィンもマルクスも自らの立場を「科学的」「実証的」と称し、宗教くさいヘーゲル哲学から脱却しようと模索し、そしてそれを乗り越えたと主張した。

さて、歴史をもっぱら陰謀だけによって進むと考え、思想的動因を無視するのは、きわめてイビツであり、本質を見失った見方である。

共産主義が、もっぱら資本家や王族の財産を奪取するためだけに行われたということはできない。

もちろん、そのような要素は多分にある。陰謀もあった。

しかし、歴史の変化の中心には思想の変化がある。

思想の面において本気になって取り組む人がいなければあのような大規模な運動が起こるはずもない。

人間を本気にさせるのは使命感であり、ただ「略取」の願望におびき出されるだけならば、社会主義革命など起こるはずもない。

そういう意味において、ロシア革命家たちが進化論的イデオロギーを真剣に信じており、その思想に沿うように活動したということは容易に推察できるのである。ソ連のスパイ・ゾルゲを見よ。