みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#79 終末預言 by R.C. Sproul

2022年04月12日 | 創世記
R.C. Sproul: Post-Christian Christianity

訳出時間枠:22分24秒から25分52秒まで

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さて、このような考え方は、大学や科学分野に影響を与えただけでなく、多くの面で教会にも影響を与えました。

人々が広い意味で福音主義的(broadly evangelical)であると言われたり、言ったりしているのを良く耳にします。

このことばを聞いたことはありますか。

広い意味で福音主義的(broadly evangelical)とはどういう意味でしょうか。

うまく定義しようと思うが、なかなか難しいことばです。

なんとか突破して、風穴を開けてみようと思う。

「広い意味で福音主義的」とうことばの概念に対する定義ですが。2つの可能性があると考えます。

ひとつは、太っている福音主義者という意味。

そうであれば、私は広い意味で福音主義者であります(笑い)。

もう一つは、偽クリスチャンを記述するための矛盾語法という定義の仕方です。

偽クリスチャンを記述するための矛盾語法であると定義する理由とはこうです。

もしも、あなたがクリスチャンであり、クリスチャンのように考え、そしてクリスチャンとして信じているならば、あなたは狭い考え方の人と定義されます。

今日の文化的基準によれば、狭い考え方の人とは癖の悪い人となりますが、真理の受肉という尺度からすれば、それは神の完璧なる長子のことであります。

次に、ルカ書には、こう書いてあります。エルサレムへ向かう途中、町々や村々を通りながらイエスは教えたり旅をした。

主はご自身の死へと向かう途上にいました。

エルサレムで生贄とされる神の子羊として、ご自身の任務を成し遂げる途上におりました。

しかし、神の国を宣言するためのあらゆる機会を失うことがないように、ガリラヤにおいて時間を取っていたのです。

そして、エルサレムへ向かう途中、主はあらゆる村や町に立ち寄ったのでした。

病人を癒し、神の国について教えていた。

そして、ルカは私たちにこう語ります。

旅をしている時、ある人が主の下に現れ、興味深い質問をしたのです。

その質問を聞きましょう。

私がその質問をする前に、質問をもう一度言って下さい。

それを聞いて、自問して欲しいのです。

というのも、メッセージの後半で居眠りして欲しくないからであります(笑い)。

少し時間を取り、自分に問うてみて下さい。

私はその質問にどのように答えるでしょうか。

誰か私のところに来て、その質問を私にした時、私は何と言うでしょう。

その質問とは何でしょうか。

ある人が来て、「主よ、救われる人は少ないのでしょうか」と聞いた。