みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#76 終末預言 by R.C. Sproul

2022年04月03日 | 終末預言 
R.C. Sproul: Post-Christian Christianity

訳出時間枠:9分46秒から13分54秒まで

◇◇

これを成し遂げるために、彼が行なったことは、神学的思考の歴史において、極めて重要な違いを見出すということでした。

彼は、現実世界を2つの領域に分けた。

一つは、究極的形而上学的領域、カントはこれを本質領域と呼び、下層領域(知覚領域)と区別しました。

カントが知覚領域という時、驚愕的という意味のphenomenalではありませんでした。

彼が意味する知覚的世界というのは、目や耳、そして手などの5感によって相互反応することができて、科学的研究や実践によって、分析、評価、予測、操作できる現実世界のことであります。

心や感覚を持っている人間として、私たちはこの知覚的世界の現実の意義ある理解に到達できると彼は考えたのです。

この知覚的世界は、私たちの感覚に対して開かれた領域であります。

しかし、彼はもう一つ別の世界があると考えました。

それは、超越的世界であり、物理学や形而上学の領域を超える領域であり、私たちはこの領域を超自然的領域と呼び、私たちの洞察能力を超越している世界であります。

カントは、本質世界には3つの事々があると考えました。

本質世界において、カントは、神(God)、自己(the self) 、そして、内部実質(the thing in itself) の3つを記述した。

内部実質とは一体何なのか分からないし、関心もないと言う人も多いと思うが、哲学者は、多くの年月と経て、外観のみならず物事の本質を探し求めてきたのです。

単に木を見ることができるというだけではなく、木そのものの意義を理解するということ。

何故どんぐりが、象ではなくて、オークの木を生み出すのか。

そのどんぐりの中に何か本質的なものを見出すことができるのです。

DNAのようなもの、あるいは知的形成デザインのようなもの。

私たちは物事の本質的レベルを理解することはできないとカントは考えていました。

しかも、合理的確実性をもってしてでも自己の性質以上のことを知ることはできないとも考えていました。

自己とは、私たちが当然と考えているもの、私たち自身、人格、心であります。

しかし、心を測ることはできません。

誰も心を顕微鏡でのぞき込むことはできません。

人間という個別的存在の非肉体的側面が心であります。

科学的研究によって知ることはできません。

それまではあまり良い状況ではなかったのですが、科学的研究範囲を超える本質世界における究極的問題が、神の位置づけとともに浮彫となってきたのです。

再度言いますが、カントは神は存在しないとは言っていません。

参考:

以前も類似の動画を挙げたが、今の世界の状況を理解する上で重要な情報。
ノンクリスチャンの方がはるかに探究心があり、地道に知識を積み上げ、懸命に突破口を探っている。
努力している。

特番『ウクライナ危機。世界の支配構造を理解せよ!グローバリストと共産主義者に誘い込まれたプーチン その1』ゲスト:近現代史家 林 千勝氏

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