みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

The Believer’s Attitude towards Sickness, #29

2017年08月15日 | 聖書研究・信仰
信仰の働きとは「今ここに在る」であって、「将来に期待する」ではない。

単純な例を挙げてみたい。

福音を伝えていて、ある人が信仰を告白したとしよう。

その人に、救われているのかどうか聞いてみる。

彼の答えが私は救われることを願うというものなら、その返答は不適切である。

私は救われるであろうという返答でも、やはり不正解ということになる。

応答して私は間違いなく救われていると思うと言っても、やはり何かが足りない。

しかし、私は救われていると彼が答えるなら手ごたえは十分だ。

信じるなら、すでに救われているのだ。

信仰は過去を取り扱う。

私は信じる、私は癒されるであろう、これは真の信仰ではない。

信じるなら感謝してこう言うであろう。

「私は癒しをすでに受けた」

3つのステップをしっかりと理解せよ。

神は何でもできる、神は望んでおられる、神はすでに持っている。

人の信仰がこの3つのステージに触れる時、病いは終結する。