The Spiritual Man, CFP, Vol. 3, Part 10 THE BODY, Ch. 3, by Watchman Nee
God as the Life of the Body, #1
我々の体が聖霊の宮であるとはどういうことなのだろうか。
パウロが体に対して特に重点を置いていることに注目したい。
キリストの命は我々の体のためにではなく、我々の霊のためにあると考えるのが一般的だ。
最初に命が与えられて、次に神の救いに至ると理解している者はいない。
有益ゆえに、神が我々の霊の中でのみ生きることを望んでいるとするなら、パウロは次のように言う必要があったはずだ。
「あなたがたの霊は神の宮である」と。
そして、体に関しては言及しなかったはずだ。
以上から、我々は次のような理解に至る。
聖霊の宮としての我々の体は、特殊恩恵の受容体以上の意味合いがある。
つまり、有効なパワーのための誘導体という意味合いだ。
聖霊の内住は我々の内なる人を力づけ、心の目に光を与え、我々の体を健やかにする。
God as the Life of the Body, #1
我々の体が聖霊の宮であるとはどういうことなのだろうか。
パウロが体に対して特に重点を置いていることに注目したい。
キリストの命は我々の体のためにではなく、我々の霊のためにあると考えるのが一般的だ。
最初に命が与えられて、次に神の救いに至ると理解している者はいない。
有益ゆえに、神が我々の霊の中でのみ生きることを望んでいるとするなら、パウロは次のように言う必要があったはずだ。
「あなたがたの霊は神の宮である」と。
そして、体に関しては言及しなかったはずだ。
以上から、我々は次のような理解に至る。
聖霊の宮としての我々の体は、特殊恩恵の受容体以上の意味合いがある。
つまり、有効なパワーのための誘導体という意味合いだ。
聖霊の内住は我々の内なる人を力づけ、心の目に光を与え、我々の体を健やかにする。