みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Natural Energy In The Work Of God, #6

2016年07月17日 | 聖書研究・信仰
我々は、ワーシップの中へいろいろなものを持ち込む。

「雄弁」について考えてみよう。

彼らは言葉巧みに、あのことを紹介する。

改心した時のことだ。

霊的なことに関して立つべき場所にも関わらず、我々に聞きもしないで、壇上に上がって説教を始める。

我々もまた、説教のために生まれながらのパワーを使うよう勇気づける。

話題はこれまでとは違うが、やはり同じパワーだ。

我々はすっかり忘れてしまっている。

神の事々の取り扱い方に関して問題となるのは、価値の違いではなくパワーの由来だ。

そのパワーの源は何処から来るのか。

我々の行為ではなく、その行為のパワーが何処から来るのかが問題なのだ。

我々はエネルギーの源にはあまり関心がない。

そのエネルギーの行く末についても、あまり考えない。

神はそのやり方を決して善しとはしないことを忘れてしまっている。