みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Abiding In Him, #12

2015年05月15日 | 聖書研究・信仰
主との歩みの中で、我々の注意は常にキリストに向けられている必要がある。

「私のうちに留まれ、そうすれば私は汝のうちに留まる」

神の命令だ。

客観的(神に関する)もろもろの事実に基づいた信仰によって、それらもろもろの事実は主観的に(我々の中で)真理となる。

パウロはこう記す。

第2コリント3:18
我々は皆、顔の覆いが取り除かれた
主の栄光を鏡に映しながら
我々はその形を変容させながら
栄光から栄光へと
ちょうどそのように
主の霊によって

同様の原則が命の結実の問題においても当てはまる。

ヨハネ15:5
私は一本のぶどうの木で、あなたがたはその枝
私の中に留まる者、そして私はその者の中に
そのような者は多くの実を結んでいる
私から離れて、あなたがたは決して何もできない

我々は実を結ぼうと努力しないし、結んだ実を守ろうと頑張りもしない。

なすべきことは実を見ることではなく、主の方へ視線を向けることだ。

そうすれば、主は我々においてみことばが成就するように請け負って下さる。




Abiding In Him, #11

2015年05月15日 | 聖書研究・信仰
電灯の例えで検証してみたい。

あなたは部屋にいる。表はやや暗くなってきたようだ。

本が読みたいので、灯りを付けたいと思う。

わきに電灯がある。

どうする?

灯りがつくかどうか確認するために、食い入るようにそれを見るだろうか。

布をとり、電燈を磨くだろうか。

違う。

起き上がって、スイッチのある所に行き、電流をオンにするだろう。

電源に注目して、必要な行動を取ると明かりが灯る。