ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマンだった。引退した今は妻と二人で平和な生活を願いつつ、趣味と独り言でストレス発散

ファミリーウオーク

2012-10-31 21:05:13 | 

 

若戸大橋が開通して50年、その記念として1日だけ若戸大橋が市民に開放されることになった。その名も1DAYレッドウオーク、若戸大橋を戸畑から若松まで渡る4キロのウオーキングなのだ。若戸大橋が赤色に塗られているのでレッドウオークと名づけたものらしい。自動車専用道路の若戸海底トンネルが開通した事もあって、その祝賀記念の一環でもあるが、何しろ50年ぶりに若戸大橋の上から北九州市を眺望できるのだから、大変な人気だ。大勢の人が群がりすぎると橋が重さで壊れるということは無いのだろうが、主催者は橋が50年と言うことで語呂合わせで8450人(ハシ ゴジュウ)の参加者を設定したと思える。 希望者多数の場合は抽選だったので、ぜひとも当てたいと家族名義なども使って応募し、目論見どおり3件申し込んだ中で1件(10人)が当選した。(西日本新聞社の記事では申し込みが4万人弱だったというから当選確率約3割だった)

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 さて、当日の日曜日。前夜来の雨も朝方にはすっかり上がり、良い天気に恵まれた。私達の参加証は第5グループ、11時の受付だったので、奏汰ファミリー(奏君、たっ君、パパ。 ママは残念ながら仕事だった)と共に戸畑駅に10時半着の電車で赴いた。スタート地点の戸畑側橋脚広場はもう既に大勢の参加者が集まっており、仮設舞台ではお祭り騒ぎが始まっていた。間に合うか懸念していた和ファミリーも程なく到着し、我が家(総勢8人+会社のU君)の全員が揃った。

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<o:p> 左:奏汰君とたっ君。スタート前。洞海湾もきれいな海に蘇っています。 右:和君と奏汰君</o:p>

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 案内どおり11時に第5グループも受付が始まり、参加証ホルダーを掛けてもらって、さぁ出発。若戸大橋の導入口までの約500m区間を蟻の行列のようにぞろぞろ並んで歩いた。

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この人混みに気おされたのか、たっ君が「ばぁば、負んぶ!」 最近は足腰も強くなって、このウオーキングも最後まで歩く!と 意気込みたっぷりだったのだが。ばぁばも長くは負んぶできないので、途中から私が抱っこ。 日頃はなぜか私に抱っこされることが無いたっ君だが、この日は状況が分かっているのか、素直に私に抱っこされて若戸大橋の料金ゲートへ。いよいよ橋の横断だ。和君と奏君も興奮気味に二人で連れ添って駆け出したり、立ち止まって橋の隙間から下を覗いたり。この頃になるとたっ君も興味が湧いてきたのだろうか、バァバに手を引かれて歩き出した。

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橋の中央部に差し掛かると、自衛隊の飛行機が4機、曲芸飛行のように隊列を組んで現われて、数回橋の真上を飛んだ。孫たちもこのサプライズに大喜び、市のイベントに自衛隊までも協力してくれたようだ。

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1時間以上も掛けて渡り終えたのだが、若松では五平太囃しの山車が盛大に歓迎してくれていた。今も石炭の積出港として縁の建物が残っている若松、街中が歩行者天国に様変わりしてお祭りを盛り上げていた。

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<o:p>左:熱烈歓迎だった五平太囃子  右:若戸渡船と待っている間も元気な孫3人</o:p>

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帰りは若戸大橋の復路は閉鎖されているので、バスか若戸渡船。私達は日頃は乗ることが無い渡船を選択した。定員100人の渡船が2隻、ピストン輸送していたのだが、それでも待ち時間は30分だった。渡る時間はたったの3分だったが、渡船は孫達にも面白い体験だったようだ。

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孫3人、元気良く事故もなくウオーキングを終えた。若戸大橋を足で渡るという貴重な体験、次回はまた50年後? 家族みんなが心地よく疲れたファミリーウオーキングだった。

 

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コメント (16)
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