ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマン、趣味と独り言でストレス発散

お駄賃

2018-12-26 12:46:34 | 平々凡々
 クリスマスも過ぎ、平成30年も残り1週間を切った。思えばこの1年は私にとって驚天動地というか、こつこつと築き上げてきた生活の流れが滝に吸い込まれて水爆化したかのような思いも掛けない展開となった年であった。幸せで落ち着いた老後生活を思い描いていたのだが、それがもろくも壊れ去ったと思えたのだ。
とは言うものの、ガンで余命宣告を受けたかのように限られた命ではない。頑張れば平均寿命を目指すことも可能で有り、その例も多いと聞く。最近の医療技術の進歩は著しく、この病気が生活に支障を来すことも少なくなっているとも聞いている。要は本人の気持ち次第、頑張り次第ということだ。病院の先生はリハビリを生活習慣にしてガンバリナサイと言ってくれる。だから私ラジオ体操と散歩に精を出すことにしている。エアロビも出来なくはないが、いまいち不安なので春になるまで待とうと思っている。

 さて、こんな中、私の生活は妻と二人なのだが、老夫婦が毎日顔をつきあわせているのも妻から言えばストレスで、家事の負担くらいはしなさいよと言う。私もそう言うのは当然だと思うので出来るだけの家事手伝いをするようにしているのだが、やはり苦手なのが料理。料理の基本を知らないのだから何も出来ないというのが本当のところ。朝の味噌汁と目玉焼きくらいが関の山だ。夕食の準備は食材の買い出しから言っても不可能に近い。食後の食器洗いと片付けくらいしか出来ないし、それもガラス食器があると割りそうで怖い。と言うことで今のところ家事負担は少なくて妻の機嫌を損ねることも多い。

 そんな中、アンちゃんがレッスンできていたときにジジババの様子を観察していたのか、私を自分のマンションに持ち帰って一緒に寝ようかと言ったのには驚いた。じいじを一人で置いてゆくわけにはいかないと思ったのだろうか。まるで私の保護者の意識なのだ。これには私も思わず目頭がうるうる、愛しさが倍増した。アンちゃんが気力までも充填してくれたのだった。


 その翌日、町内の回覧板を次に回す用事があったので、歩行訓練と思って私が持って行くことにした。今まで町内の仕事はすべて妻がしていたのでお隣さんの実情など皆目知らないのだが、小雨が降っていたので丁度濡れても良い格好をしていた私が行くのが良いと思ったのだ。そして回覧板を手渡したのだが、そのお隣さんがちょっと待ってと言うので何かと思ったら見事な干し柿を一本くれて、奥さんによろしくという。丁度干し柿を作ったので是非どうぞと。町内の付き合いは妻に任せていたので私には思いがけない出来事で、妻の交流半径が広いことを改めて知った。それにしても見事な大きさの干し柿、柿大好きの私にとってものすごく嬉しい。思いがけないお駄賃、ありがとうございました。

ささやかなクリスマス

 クリスマスイブは妻と二人、チキンとささやかなケーキを食べ、静かに過ごした。娘達2家族は8人が揃って、お寿司と肉のパーティを開いたそうでアンちゃんを含め孫4人は楽しそうだったと聞いた。私たちも呼ばれたのだが、夜出歩くのも億劫だったので遠慮した。

クリスマスコンサートで
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紅葉の湯布院、そして別府へ

2018-12-03 12:10:57 | 紀行
 師走に入った。例年ならば木枯らしが吹き荒れて寒さを感じる時期なのだろうが、今年は暖かく快適とさえ言いたいような毎日が続いている。もちろん、身体の不自由さは変わりなく続いているものの、薬の効果か、上腕の痛みや足先の熱っぽさは少なくなってずいぶん楽になった。昨日はカルチャーセンターのパーキンソン病講演会があったので、妻共々参加させてもらった。最近の動向や治療法などを近場の専門の先生が講演してくださったのだが、知らなかったことが多々有り非常に役に立った。およそ100人くらいの参加者だったが、殆どがパーキンソン病の患者と思われ、改めてこの病気の患者の多さを実感した。難病指定されているのだが、私の症状は5段階評価でまだレベル1程度。見るからにしんどそうな人もおられて、私などは楽な方だなと感じた。それと共に、これから先が長いと・・・。

 私は男ばかりの5人兄弟の長男で、その4人が小倉に住んでいて、残りの一人は山口にいる。近くに親族がいると何かと安心で、催し事などは甥、姪も含めて即座に集まり和気藹々で仲が良い。嬉しいことだ。で、私がパーキンソン病だと判明したのが切っ掛けかどうかは分からないが、兄弟家族揃って一泊で温泉旅行することになった。末弟の会社の保養所が別府に有り、大部屋が二室取れたのだ。勤労感謝の日の夜だから、前から申し込んでいたのと運が良かったのだろう。残念ながら山口にいる4番目は中学校の同窓会と重なってこられなかったが、残りの4家族は揃って参加したので総勢8人の団体となった。足は我が家系の宴会部長(3男)が10人乗りのレンタカーを借りて運転した。仕事で一時期湯布院に住んでいたのでコースや見学先も併せて任せたのだが、私などはのんびりできて良かった。もちろんトイレの心配もしてくれていた。

 初日は九時にスタート、東九州道を南下して宇佐を経由して豊後高田へ。昭和の街の見学後、湯布院で昼食を獲ったと、湯布院散策、それから由布岳の山頂付近にある塚原温泉に入って別府へ。天気も良く快適だった。

昭和の街で。ダイハツのミゼット。こんなに小さかったのかと驚いた。


湯布院は大勢の観光客で溢れていた。中国の人が圧倒的に多かった。湯布院のメイン道路。奥に由布岳を臨む


別府八湯の一つ亀川寄りにあるY電機の保養所。


翌朝、素晴らしい快晴。別府湾の日の出


別府と言えば地獄。まずは地獄巡りから
竜巻地獄


血の池地獄


鶴見岳ロープウエーに乗って山頂へ。




最後は別府八湯の一つ明礬温泉の泥湯に。女性陣は肌がつやつや、美人度がますますアップした。
帰り着いたのが5時前。盛りだくさんで楽しい旅行でした。
コメント (3)
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