ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマン、趣味と独り言でストレス発散

バリバリショー

2009-03-31 21:26:31 | 

 ロバに乗った奏汰君

 

土曜日、奏汰君が通っている保育園は卒園式と云うことで、2歳児はお休み。パパ・ママは仕事なので我が家で奏汰君を預かることになった。前日が和音君、今日は奏汰君と連日のお守りデーだ。次女から聞いた話だが、奏汰君が「バアバの家に行って、ジイジと遊ぶ」と言ったそうだ。遊び友達と思われているのが何となく嬉しい。我が家に来ても、まず「ジイジ!」

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天気は良いし、家の中ばかりじゃ退屈だろうと、我が街の動物園に行くことにした。旭山動物園が有名だが、この到津(いとうづ)の森公園も色んな趣向を凝らしている。夜中の動物園探索とかいう企画もあるようで、人気が出ている。

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<o:p>モルモットとふれあい。</o:p>

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動物とのふれあいが人気があるようで、餌をやったり抱きしめたりするヤギやウサギ館に人が集まっていた。まず、奏汰君はロバに乗り、次いでヤギにキャベツを与え、モルモットを抱きしめて、ふれあい体験。動物好きの奏汰君、恐れることなく堂々と触れ合っていて小さな身体が頼もしく感じた。

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ゾウさんやサル山、チンパンジーなどを順路に沿って見物したが、ライオンのバリバリショーがまもなく開かれると場内放送された。どんなものだろうかと興味津々でライオン舎のガラスの前にゆくと、もう大勢の子供たちが待ち構えていた。妻は奏汰君を抱きかかえて何とか最前列を確保したので一安心。

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係員の説明によるとライオンの食事は1日1食で、肉を3キロくらい食べるらしい。バリバリショーと云うのは、おやつに相当しており、牛の肉付きアバラ骨を与えるのだそうだ。ライオン舎にはオスとメスが1頭ずついるが、食事の習性としてはまずオスが餌を取り、その後でメスがおこぼれを頂戴すると言っていた。なるほど、ルールがあるのだ。

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時間になって、ライオンも気配を知ってか動きが慌しい。アバラ肉が投げ込まれた瞬間にオスが駆け寄ってすぐさま咥えた。その後2本目の肉が投げられたが、それにメスは咥え付いて遠く離れた場所で食べ始めた。骨を折る音がバリバリ聞こえた。それでバリバリショーなのだった。

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和音君だったら眼を輝かせて乗ると騒ぎ出すであろうミニSLには私と奏汰君が乗った。1週150m位の乗り物広場を2週だ。結構風を受けたり、汽笛が鳴ったりして面白い。子供が喜ぶのも無理は無い。

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昼になってお腹も空いてきたので帰路に着いた。奏汰君、用意していたバギーにも乗らずに元気に歩いて確実に成長していることが感じられて嬉しかった。

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午後は居間で奏汰君と遊んだ。いつもは昼寝をするのになぜか寝なくてお守り役は大変。部屋の中はカードや積み木、ペンシル類がばら撒かれて足の踏み場も無いほど。にこっと笑って悪戯をする奏汰君なのでした。

 

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誕生日は山登り

2009-03-30 21:26:15 | 

  虎尾桜

 

 27日、62歳の朝を迎えた。洗面所で鏡に写った私を眺める。昨日、出張から戻ったばかりで疲れているのか、眼の下の皺が目立つような気がするが、肌はまだつるつる、手も皺はなく元気そのもの。まだまだ若い!と自分勝手に納得する。ただ、垂れ目になっているのが気に掛かる。やはり、少しずつ変っているのだろう。けれど、柔和な顔になりつつある、と無理矢理に納得することにして、洗面終了。

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 今日の誕生日、ゴルフの予定だった。が、同行のI部長とH副部長が緊急業務が入ったとのことで中止となった。平日ゴルフなので仕方が無い。空いたので朝一番に懸案だった血液検査にかかりつけの病院へ。尿酸値検査が主な目的だ。痛風を抑える薬の効果を確かめるためだ。妻は薬を飲まないで食事療法で何とかせよ、と云うが・・・。

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 病院の次に図書館へ。「暁の密使」を申し込んでいたのだ。家に戻ったのが10時前。とりあえず、今日の予定は終わった。さて、天気は良いし、桜は満開に近いし、どうしよう! 

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 週末は花見を計画しているが、それはそれとして北九州の最高峰「福智山」の中腹にあるという樹齢600年の「虎尾の桜」を見物に行くことにした。妻と2人だが、期せずして想いは同じ! 和音君を借り出すことに成功した。この虎尾桜は福智町にあって地元では有名らしいが、私は行ったことが無い。インターネットで行き道を調べると、駐車場から30分程度の山道を登ると紹介されていた。30分くらいなら、和音君でも大丈夫だろうと高をくくったのだが。

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 平日ではあったが福智登山口の駐車場はいっぱいだった。なんとか脇道に車を止めて登山開始。和音君はお得意の機関車トーマスの真似をして両手を動輪に見立ててぐるぐる廻して走りだした。親に似て外出好きで楽しそう。遠足のようだ。山道に差し掛かると、すれ違う人たちが、「まぁ、元気」「大丈夫かなぁ」「頑張ってね」と声を掛けてくれる。それを聞くとかなり急な上り坂で、和音君には無理な気がしたのだが、行けるところまでは行こうと頑張ることにした。そして懸命に登っていたのだが、ちょうど半分くらいのところで、とうとう「抱っこ」と言い出した。私がおんぶする積もりだったが、妻が私がおぶって登るときかない。結局、疲れたら交代と云うことになったが、可愛い孫のためとそれから15分の石だらけの急な坂道を登り通した。

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 虎尾桜は少し開けた中腹に鎮座していた。ちょうど満開で空を覆わんばかりにピンクの花びらが咲き誇っていた。周りには見物客がここかしこに陣取っていて、弁当を広げているグループも多かった。私たちも、巨大な桜を見上げ、「来て良かった!」 和音君はよほど疲れたのか「桜はあんまり好きじゃない」。 一人で登れなかったのが悔しいようだった。そして「弁当持ってきたら良かったね!」

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下りは私がおんぶした。タウンシューズなので滑らないように気をつけたのだが・・・。ふと気を緩めたのだろうか、見事に尻餅をついた。けれども死んでも和音君には怪我をさせられないと、右手は頑張ったのです、怪我がなくてよかった。

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無事に下山してコンビニでお握りを買った。お腹が減っていたのだろうか、和音君は二つを瞬く間に平らげてすやすやと寝てしまった。和音君にとっては初めての登山体験なのでした。

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夕方、娘夫婦から誕生日のお祝いとしてスパークリングワインとヌーベル月桂冠をプレゼントされた。その日の朝、妻と今晩は美味しいお酒が飲みたい、と話をしていたところなのでちょうど良かった。山登りで疲れた身体に沁み込むようで、実に美味しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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思いがけなく綾観光

2009-03-29 20:13:12 | 紀行

 

 照葉大吊橋(橋の向こう側が照葉樹林)

 

火曜日、営業のAグループ長から突然の連絡が入った。水、木と一泊で宮崎に同行して欲しいと。一般産電向け製品の更新引き合いがあり、緊急物件とのことだった。このところ、私が担当する新規引き合い物件が激減していたので、いやおうもなく水曜の朝には営業車の助手席に座っていた。

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車内で今回の作戦を相談しながら、九州縦貫道を南下して宮崎へ。天気は真っ青に晴れており、桜が満開で、ドライブだけなら実に爽快。パ-キングから久しぶりに望んだ霧島山系は相変わらず見事な雄姿を見せていた。

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予定通り昼過ぎに我が社の宮崎営業所に着いた。営業所は九州各県に在り、営業の第一線として活躍しているが、その営業所長は地元に顔が広い人材が望ましいので電力会社から来て頂いている。今回のA宮崎営業所長は一昨年の七月に着任したばかりで、もちろん知ってはいたが面識はなかった。挨拶すると、歯切れのよい声とはきはきした動作が身に着いた人で感じが良かった。

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一時半から明日のユーザーとの本番打ち合わせの前に電力会社と事前ミーティング。それも無事に終わると私は用事がないので近くのホテルにチェックイン。サウナに入ったり、本を読んだりして時間をつぶした。

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夕刻、仕事を終えてAグループ長とA宮崎営業所長が連れ立ってやってきた。ホテルのラウンジで懇親会だ。A所長、私より3歳年下の59歳ということだったが、電力業界という固い職場で頑張って頭角を現してきただけに、魅力的な人だった。出身は照葉樹の森で有名な地元の綾町で、今も週末は家に帰って田圃を借りて米を作ったり、川でスッポンを釣ったりしているという。(スッポンは料理屋に1匹2千円で引き取ってもらうとのことで、年に30匹程度を捕っていると言っていた。)

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また、走るのが趣味のようなスポーツマンで、毎日のランニングは欠かしたことがなく、地元や地方のマラソン大会にも出場していると聞いた。なによりも驚いたのが年末の仕事納めが終わると、家まで80キロの道をマラソンして帰ったという話。(さすがに夜なので冷え込んだため50キロくらいで体が動かなくなってギブアップした・・・) また専門の配電分野のスキルはたいしたもので、研修所の指導教官をしていた頃のエピソードなども伺った。 教え子たちが九州各地で活躍していると嬉しそうに笑っていた。 <o:p></o:p>

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<o:p>綾城と馬事公苑(桜が満開でした)</o:p>

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私が自然豊かな綾町の照葉樹林や吊り橋を見たことがないというと、明朝、時間があるから案内するという。遠いとばかり思っていたのだが30キロ弱の距離なのでそう時間は掛らない、11時までに戻ればいいのだから、と気軽に提案して下さったのだ。ありがたい話で、即座にお願いした。

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翌朝、遅れないように6時には起きて準備。そして7時半に所長の車で綾町へ。天気は快晴。だが放射冷却のためか空気は冷たい。けれどその分だけ二日酔い気味の気分がぴしゃんと直される。

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8時過ぎには綾町に着いた。この綾町は原生林ともいえる照葉樹林が残っていて自然が豊かな所でも有名だが、町ではスポーツ施設なども整備して温かい気候の中でプロサッカーチームなどを誘致しているようだった。ちょうど着いた時に、学生が集団でランニングしているのに出会ったが、そのジャケットには「旭川東」と書かれていた。北海道からキャンプに来ているのだった。

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A所長は精力的に名所を案内してくれた。紫式部が晩年を暮らしたという式部屋敷、見事な景観の綾城、菜の花と桜が満開だった馬事公苑、そして綾の照葉大吊橋などなど。秋の紅葉をを想い起すように色とりどりに彩られた照葉樹林と真っ青な空に浮かび上がった巨大な橋は、あたかも龍が谷を跨いで首をもたげているような感じがして、思わず身震いしたのでした。

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帰り道、スッポン釣りをしているという生まれ育った綾南川の横を車が通った。なるほど魚影が豊かなきれいな川で、まさに「小鮒釣りし、かの川」だ。スッポン釣りの餌はハヤなどの小魚で、10本ほどの針を仕掛けるそうだ。獲物はスッポンの外にウナギやナマズも掛るという。大きなスッポンとウナギの写真を見せてもらった。釣り好きの私としては「うらやましい」のひと言。

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10時前に、営業所に戻った。Aグループ長は顔を出しており、気持ちを仕事に切り替えて行動開始。午後の打ち合わせも順調に消化して夕刻には帰社。宮崎出張は思いがけなくも自然が豊かな綾を観光できて幸せでした。A所長、ありがとうございました。

 

A所長から「日向夏」というみかんを頂きました。リンゴのように皮をむいて、スライスしてお刺身のように醤油をつけて食べるのだそうです。世の中は広い! 知らない食べ物がたくさんあります。

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ワルキューレ

2009-03-24 21:31:38 | 屋内趣味

 

  

 

  WBC、日本2連覇、おめでとう! 今日の韓国戦、ハラハラドキドキで仕事も手に付きませんでした。でも、最後はやはりイチロー、見事に期待に応えてくれました。良かった! 本当に良かった! 万歳!です。

 

 トム・クルーズ主演の「ワルキューレ」を観た。<o:p></o:p>

 3連休であったが、孫たちも来ずに夫婦2人きりだったので、映画でもと云うことになった。 実はこのワルキューレについては、何も知らなかった。ヒットラーが出てくる戦争物、くらいの認識だったのだ。シアターで「10分間のミッション」と描かれたポスターを見て、「やはりトムクル-ズだ、ミッションインポッシブルの続編だ」・・・何も知らなかったのです。ヒットラーの最後にまつわる架空物語だと思っていたのです。

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 ナチス独裁に抵抗する良識ある軍人達のヒトラー暗殺計画とその顛末だと気づいたのが、映画が始まって30分も過ぎた頃。それでも、架空の物語だと思っていたのです。確かヒットラーはベルリンが陥落したときに死んだはずなので、それとのつながりはどうなるのだろう・・・などと安易に考えながら。

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 ワルキューレ、耳慣れない言葉なので調べると北欧神話で「戦死者を選ぶ女神」だとか。革命によって、この女神はヒットラーを選ぶのか、はたまた反乱分子が淘汰されるのか。ネーミングとしては実に面白い。

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それにしても歴史は面白い。この革命が成功していたら、現代はどうなっていただろう。少なくとも米ソの2大国の(冷戦の)歴史はなかったであろう。また我が国も早めに停戦していたかもしれない。タラレバは禁句ではあろうが、ふと想像してみるのも悪くない。

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 けれど、この映画を観て感じた。革命が成功するには何よりも「天の時、地の利、人の和」が必要だ。一つでも欠けるとうまく行かない。潮が満つるまでまつ、という勇気も要るのだ。

 

 

 

 急遽、明日から宮崎に出張になりました。1泊です。宮崎市と都城市。すっかり有名になった東国原知事のおひざ元。天気が心配ですけどね。と言うわけで、2日間はブログはお休みです。宮崎の桜を楽しんできます。

 

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3連休

2009-03-23 22:10:55 | 平々凡々

   

  

3連休の初日、休みとなるとなぜか早く目が覚める。子供の頃からずっと変らない。少しでも1日を長く使いたいと思っているのだろうか。

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 まず、線香や草取り道具などを携えて墓参りに。彼岸の墓参りは欠かしたことが無い。朝早くだったが、もうかなりの人がお参りに来ていた。眠っているお袋に親父の近況と我が家の報告を行って、墓参りは終了。朝食の後、電車で博多へ。Hさんと恒例の囲碁対局だ。

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 博多駅前では、JR九州のイベントが開催されていた。桜も咲いて、春の旅行シーズン。特設ステージでは女性デュオが歌を唄い、添乗員スタイルの女性がSLや新幹線などのパンフを配っていた。連休初日で天気もよく、お祭り騒ぎが繰り広げられていた。

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 このところ急に実力が付いたという噂のHさん、心境の変化だろうか、石が急所に来て見違えるようだった。期するところがあって、開眼したようだ。結局、この日は2子局だが私の2勝3敗で始めて私が負け越した。

  

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 二日目、朝から良い天気だ。妻が寝ている間に私は枇杷の剪定。と言っても間引きだ。大きくて美味しい枇杷を作るには、一つの枝の実は3個程度に抑えなければならないと、遠賀のAさんから教わっていた。それを昨年に始めてしたが、その結果予想外に大きくて美味しい実が成った。その経験で、今年もと思ったのだ。脚立のてっぺんに立ち枇杷の茂みに頭を突っ込んで小さな実を取り除く。足元が覚束ない恐さも感じたが、2時間ほどで間引きは終了。昨年ほどとは行かずとも、かなりの収穫は見込めそう。今度は4月に袋を掛けなくては。天候異変がなく順調に育ってくれたら良いが。

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昼からは私はジムへ、妻は畑仕事。今年はどういうわけか、豆類の出来が悪く、早々と諦めて春野菜を植えると言っていた。種が悪かったのか、肥料が多すぎたのか。

 

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3日目、日曜日。朝から雨だ。気温も低い。桜の開花にストップが掛かりそうだ。将棋のNHK杯戦をTV観戦。今日は優勝戦。羽生名人と森内九段の対戦だ。ソファに寝転がってゆったり観戦するのは無上の喜びだ。森内九段の方が殆ど勝勢だったが、例によって羽生マジックともいうべき差し手が出て逆転した。解説の渡辺竜王も大興奮の思いがけない手だったようで、私も身体が震えてしまった。

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午後は雨も止んで、妻とチャチャタウンへ。この連休、連れ立って出たことがなかったのだが、映画でもと思ったのだ。そのチャチャタウンの1Fフロアでは女児のチアダンス発表会が開かれていた。Chaiさんちの娘さんがしているようなバトンを使ってのチアリーダーではなく、ダンスのようだったが、お揃いのユニフォームを着て実に可愛い。男の子も良いがやはり可愛いのは女の子。 次の孫は女の子が良いな、と思ったりした。勝手なものだ。

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初ゴルフ

2009-03-19 21:15:40 | アウトドア

 

   

    瀬板の森GC、10番ロングホール。1打目を左の林の中に打ち込んでしまいました。

 

  このところ九州は南風が吹きこんで暖かい日が続いている。桜のつぼみはすっかり膨らんで、ちらほらと咲いている姿も見られる。この分では連休の日曜の公園は気の早い花見客で賑わっているかもしれない。

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 水曜日、今年初めてのラウンドだった。天気予報では24~5度と4月末から5月の気温になるという。長袖にするか半袖にするか悩んだが、急に半袖では身体も付いてゆかないだろうと長袖を選んで家を出た。私のホームコース「瀬板の森GC」だ。ご一緒するのは関係会社のHさんと仲良しのOさん、それに我が社の同僚のH君。 プライベートゴルフだ。最近のゴルフはプライベートの時は平日が殆どだ。安いし、スタートも取りやすい、それに休暇が余り余っているのだから。<o:p></o:p>

 

3ヶ月ぶりのラウンドなので、1番ホールのティーグラウンドに立つとさすがに緊張した。この2ヶ月、スイング改造に取り組んでいたのだが、それがどう出るか、我ながら不安だった。 南風がやや強いものの、晴れていて上天気。半袖でも良かったと感じたほど暖かかった。フェアウエイも枯れ草の中から緑の新芽が顔を出していて、まもなくいっぱいの緑に変身するであろうし、ゴルフのシーズンの幕開けだと感じられた。

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さて1番ホール、グリップに注意してドライバーをフルスイングしたのだが、ボールは高く上がって左の林方向に飛んでしまった。 身体が回転していなくて手打ちになっていたようだ。結局このホールはリカバリーの甲斐なくダボ!。 2ホール目、今度は右手に押し出してボールは無常にも森の中へ消えてしまった。OBだ。 その後もフェアウエイウッドの当たりが悪く、ボールは意に反して右や左へ。何とハーフだけでOBが5個も出てしまって、スコアは52と惨憺たる成績だった。 グリップがうまく握れていない様だ。それに、腰が廻っていない。ただ、アイアンショットが予想に反してよかったのが唯一の救いだった。

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ところが昼食後の午後のラウンドでは、見違えるようにドライバーの方向が良くなってきた。グリップが漸く板についてきたようだ。それに釣られてフェアウエイウッドも調子が出てきた。最近は飛距離が出ないので、フェアウエイウッドが纏まらないとスコアメークが出来ない。良い連鎖と云うか、ショートアイアンもピンに絡んで実に調子が良い。おかげでワンパットが多くて、オリンピックも私の独り勝ち。26枚もチョコをGETした。ということで、初ラウンドは52,42の94。後半は快適でした。

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来週は北海道や親睦ゴルフでお世話になっているMさんの退職記念ゴルフ。私より1歳上のはずだが2月で退職することになった。退職後しばらくは家庭でゆっくりと養生するといっていたが、そのMさんの慰労ゴルフだ。色々とお世話になった人だ。これからの生活を応援するためにも、元気づけてやりたい。

 

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初恋の人からの手紙

2009-03-18 21:30:13 | 平々凡々

私に、初恋の人から手紙が届きました。甘酸っぱい思い出の人です。こんな意味深の手紙が来て、私の心は揺さぶられています。全文を紹介します。<o:p></o:p>

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ゆうしゃケン、元気にしてる?<o:p></o:p>

今でもバタフライナイフを見せびらかしていますか?自慢のナイフを先生に取り上げられていたゆうしゃケンをなつかしく思います。<o:p></o:p>

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泣きじゃくる私にゆうしゃケンが「別れても連絡するから大丈夫だよ」と慰めつつパッタリ連絡が来なくなったあの日から、もう46年が経ったのですね。月日が流れるのは早いものです。<o:p></o:p>

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あ、そうそう、お手紙を書いたのには特に理由はないんです。ただ部屋の掃除をしていたらゆうしゃケンからの昔の手紙が出てきたから、なつかしくなって。びっくりさせてごめんなさい。<o:p></o:p>

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今あのころの付き合いをあらためて考えてみると、私たち、めちゃめちゃな恋愛でしたね。なんだかんだ言っても余裕があるのはいつもゆうしゃケンのほうで、私はいつも泣いていたような気がします。そういえばあのころゆうしゃケンはよく「おれと別れたあとのおまえが心配だ」と言っていましたね。本当はゆうしゃケンのほうがモテていないことは黙っていたのですが(私はわりと告白されていたので)、その後はどうですか?<o:p></o:p>

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私はともかくゆうしゃケンにとっては初恋の相手が私だったんですよね。そうそう、最初のころのゆうしゃケンは、手をつないだときに手汗をびっしょりかいていましたね。家に帰ってからすぐ洗ったけど、ゆうしゃケンが幸せそうだったからそれでいいんです(笑)。<o:p></o:p>

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告白するときのゆうしゃケンは、必死で「一生大事にするから」とか酔っ払ったことを言っていましたね。とても嬉しかったのですが、お別れしたときには、やっぱり詐欺だったなぁと思ったものです。後先考えないところはゆうしゃケンらしいとも思いました。<o:p></o:p>

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全体的に言えば、私はゆうしゃケンと付き合えてよかったと思っています。あれでもゆうしゃケンなりに一生懸命頑張ってくれたのだろうし、自分もだいぶ寛容さが鍛えられました。どうもありがとう。<o:p></o:p>

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いろいろ書きましたが、私はゆうしゃケンが大好きでした。これからもゆうしゃケンらしさを大切に、当時本気でやっていた宇宙人との交信も続けて(笑)、新しい誰かを幸せにしてあげてください。<o:p></o:p>

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またいつか会いましょう。では。<o:p></o:p>

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P.S. 今もブリーフ派のままですか?気になります。<o:p></o:p>

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はい、今もブリーフ履いてます! 戦う兵士はブリーフなのです!(笑)<o:p></o:p>

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・・・・玉茶丸さんのブログで紹介された、初恋の人からの手紙(http://letter.hanihoh.com/)です。<o:p></o:p>

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これ読むと、相変わらず独りよがりの臆病者で、この気質は変わっていません。 彼女は今日あることを知っていたのでしょうね。<o:p></o:p>

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ユミコさん、元気にしてますか?

 

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密教

2009-03-17 20:48:24 | 屋内趣味

   

 

   私の長所(欠点かもしれない・・が)、素直なところだ。人が言ったことは嘘だとはっきりしている場合は除いて、まず信じ込む。それにすぐに感化される。おだてられると舞い上がってしまい、豚(猪生まれ)ではあるが、木に登る。すぐに信じ込むと云うのは、性格が良さそうな感じがするが実はそうではない。信じた方が楽だから、楽な方へ逃げているのだ。要するに怠惰な怠け者に過ぎない。<o:p></o:p>

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その私、最近はまたまた読書が面白くなってきた。これも感化されたものだ。懇意にさせてもらっているブロガーさんは例外なく読書家だ。それも通俗的な本ではなく、高尚な書物が多い。心を豊かに自己研鑽に励んでいる。彼らを見ていて、私も負けてはいられないと感じた。知的レベルを向上させねば、いまに見捨てられる!と。

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 以前は感慨も何も残らない時代大衆小説を電車内で広げていたが、最近は感動したり考えさせられる本も土俵に上がるようになってきた。その代表が東野圭吾であるが、その他に今読んでいるのが「密教」に関する本。

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 私は幼い頃に姉を亡くして、門前の小僧ではないが親父の見よう見まねで「般若心経」を覚えた。もちろん読むだけでその意味や内容は分からない。そのまま成人になったが、最近は「般若心経」とは何者か、と考えるようになってきた。やはり年相応に考え方が変化してきたのだろう。そんな時に図書館で見つけたのが「密教のすべて」。これを読みつつあるが、仏教にもきちんとした考え方、世界が確立しているのには正直、驚いた。それに考え方を整理して理解しやすいように、数字で仏教世界を表現しているので分かりやすい。三界、三障、四魔、六欲、八正道、十二縁起・・・などだ。

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 今は興味本位で読んでいるが、やはりお大師様の足跡を追って、将来は四国八十八箇所を巡ってみたい。きっと何らかの収穫があると思う。

 

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日本頑張れ!

2009-03-16 21:27:55 | スポーツ観戦

 

   土曜日は久しぶりに肌寒かったが、明くる日曜日は晴れて春を思わせる陽気だった。それに夏を思わせるような日差しで眼を開けているのが恐いような感じさえした。視力が低下しているのだろうか、これからは運転中にはサングラスを掛けなくては眼を傷める。

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 土曜日は肌寒かったが大潮だったので、はまさんと潮干狩りに繰り出し、マテ貝をそれなりにGET。その疲れからか日曜はソファーに寝転んで将棋番組を見ていた。上天気なので妻が布団を干したり、片付けたりと気忙しく立ち回っていたが、私は休息宣言! 久しぶりにTVを見ながらまどろんでいた。昨日の潮干狩りがやはり堪えていたのだろう。とはいってもゆっくりしたのは午前中だけ。午後からはアッシー君でイオンにお出かけ。それにしても良い天気だった。風はまだ少し残ってはいるものの、光が溢れて恐いようだった。イオンも大勢の人で溢れかえっており、駐車場は満杯。臨時駐車場の方へ廻された。

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  いよいよ春本番。あちこちでこぶしの白い花が天に向かって咲き誇っているのが実に嬉しい。福岡市ではもう桜が開花したと報道されていた。我が街もまもなくだろう。私もいよいよゴルフのシーズンだ。来週には3ヶ月ぶりにラウンドが予定されている。肥満気味なのと練習不足なので初ラウンドは心配だが、気の置けないHさんなので、まぁ何とかなるだろう。とは思ったがそれでも夕方、ジムのインドアゴルフ場で練習に精を出した。<o:p></o:p>

 

  夜、大河ドラマ「天地人」を観た。いよいよ景勝を立てて兼続が世に出ることになる。これからが面白い。それにしても家督相続というのは難しい。鎌倉、足利と源氏の時代は家督争いのたびに力を失って、結局は滅んだといっても過言ではない。この越後でも、まさにその状況になりつつある。<o:p></o:p>

 

   月曜日、起床してすぐにTVを見た。3回で3点先取したところだった。キューバの豪腕ピッチャー相手に良く頑張っており、松坂投手も実力を発揮して零点に抑えていた。実況放送を見たかったが、出勤なので仕方ない。これは勝てる!と信じて家を出た。デスクについたのが9回の攻撃中。1点を追加して6-0となっていた。そして9回裏の攻撃を藤川投手が抑えて、見事に2次ラウンド緒戦に勝利。強豪キューバを見事に破ったのだから大したものだ。WBC2連覇も夢ではないかもしれない。決勝ラウンドはあさって、水曜日とのことだ。相手は韓国。今度は勝って欲しい。

 

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心情

2009-03-13 22:09:56 | 平々凡々

 

▲「先生は貯水池の方を眺めていた。その姿は声もかけられないような様子だったので、私は彼女と水面とを代わりばんこに眺めていた。やがて視線は、池の水面に飛んできた鳥たちに移ったようだった。そしてとてもか細い声で、こうつぶやいた。『あの鳥たちはいいわね、本当に……』」<o:p></o:p>

▲いつも「酔うと窓の外を眺め『うちの子供はいま何歳かしら?』と言いながら指折り数え」ていた「先生」だった (毎日新聞3月13日 余禄から、金賢姫元死刑囚の言葉)<o:p></o:p>

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   金賢姫元死刑囚と拉致された田口八重子さんの長男・飯塚耕一郎さんの対面の翌日の毎日新聞の記事(余禄)だ。朝は早いので新聞は夕食時に読むのが常であり、その時はアルコールも入って大概はご機嫌さんなのであるが、これを読んで思わず涙が溢れてきた。涙もろい私ではあるが新聞読んで涙を流すのはそうあることではない。もちろん田口八重子さんの子を想う心情に心を打たれたのだ。それにそれを素直に伝えてくれた金賢姫さんへの思いもある。

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 可愛い盛りの1歳の我が子を無理やりに奪われ、異郷の地では訴えることも、どうしようも出来ない立場となれば、毎晩悲嘆に暮れ我が子の夢ばかり見ていたに違いない。彼女自身、なぜこんなことになったのか、訳も分からずにいたと思う。

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 幸いにも残された家族の庇護のもとで幼子は健気に育ったようだが、我が子の成長を知りえないのも残酷だ。国と云うのは、その人民を守るために存在すると思う。今からでも遅くない。この悲しい親子を1日でも早く、結び付けてやって欲しい。与党や野党と騒ぐ前に、国民の嘆きを正すのが先決だと思う。

 

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