ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマンだった。引退した今は妻と二人で平和な生活を願いつつ、趣味と独り言でストレス発散

我が家も参加・・・GOTOトラベル

2020-10-21 11:49:49 | 紀行
 新型コロナ感染者は再び増加している傾向ではあるが、このままではじり貧と見たのかGOTOキャンペーンが本格化してきた。GOTOイート、GOTOイベントなど発表されているが、どうも分かりにくい。withコロナで半年以上も行楽を自粛してきた我が家もそろそろストレスが溜まってきたこともあって、妻と娘が温泉に行こうと計画を立てた。今年の2月の嬉野温泉に次ぐ、旦那や男児は留守番の女性ファミリー旅行第2陣となる。今回の目的地は熊本県山鹿市の平山温泉。嬉野温泉と同様の美肌の湯と言われている、泉質の良い温泉で、長女が前々から是非とも行きたいと願っていたところだ。

 木曜日の朝、長女が運転するハイエースに次女、アンちゃん、私たちジジババの総勢5人が乗り込んで九州道を南下。基山のサービスエリアで昼食を摂った後、大分道に入り、杷木インターで降りる。浮羽でフルーツ狩りするのだ。福岡県南部の浮羽市はフルーツの里と言われており、夏以降はブドウ、梨、柿狩りで大いに賑わう。フルーツ狩りはアンちゃんも初めての経験のため、楽しみにしていたのだが、丁度10月中旬のこの頃は葡萄が終わり、梨もほとんど終わり、柿は後もう少しという端境期。ばぁばが観光協会等に懸命に連絡を取り、やっと一軒だけ梨狩りが出来る農園を見つけたのだった。

浮羽 梨園にて




 梨は実を茎の方に持ち上げると簡単にちぎれる。風に弱いという所以だ。このためアンちゃんも簡単にいくつか採って袋に入れていた。たくさん採って帰りたいところだが、キロ600円だ。山のようにと言うわけにはいかない。そこそこで手を打った。
「湯の蔵」入り口


「湯の蔵」別邸






「湯の蔵」別邸室内湯


 長女が選んだ平山温泉の旅館は「湯の蔵」、私たちは別邸に案内された。広いところでベッドが二つと20畳くらいの和室などがあった。ここに全員が泊まる。ジジババがベッド、娘達とアンちゃんが和室で布団となった。もちろん、間仕切りのふすまは、有る。
風呂も立派なものでゆったりと入った。「湯の蔵」は黒川温泉のように戸建ての旅館であり、別に立ち寄り湯や男女別の露天温泉もあった。私は露天風呂にも入ったが、そう広くはなく、別邸の室内風呂の方が良いと思った。ただその時に、温泉好きの55歳くらいの男性と一緒になったが、その人は温泉好きで日本中の温泉に行っていると話してくれた。中でも秋田の乳頭温泉や雲仙などが思い出に残っているといっていた。ちなみに出身は石川県で、仕事はパナソニックでブルーレイの海外工場を立ち上げたそうだ。まだ引退ではないのだろうが、悠々自適の毎日のようで少し羨ましくも感じた。

夕食




朝食


 GOTOトラベルではホテル料金割引の他に、お土産や食事代などがサービス券で使用出来る。帰りはこのサービス券をいかに上手に使うかがポイント、あちこちのサービスエリアや土産物店に寄って、ミカンや柿なども買い求めた。


小倉はもうすっかり秋。

散歩先の公園横の柿の実も赤く色付いています。


我が家のキンモクセイ。香りは少なかったが金色の花は見事でした。





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美人の湯

2020-02-24 13:50:04 | 紀行
 新型コロナウイルスがいよいよ流行してきた。我が街でも店頭からマスクは姿を消し、手に入れることが出来なくなっている。幸いにも若干のストックがあるので今は良いが、これが長引くと外出できなくなる。九州での感染者は今日の段階で福岡で2人、熊本で3人。小倉は本州との窓口でもあるし、中国・韓国の航空便もあるので、いつ飛び火してもおかしくはない。市でも対策本部を立ち上げて対策を練っているようだ。我が家は妻が「うがい、手洗い」と口を酸っぱくしている。

 そんな中、先日の金曜から一泊で妻の古希祝いを兼ねて佐賀の嬉野温泉に行ってきた。私の古希の時は国東半島巡りと別府温泉だったが、妻のお祝いは娘二人が昨年から企画して、アンちゃんも入れて女性陣4人と私の5人の旅行となった。たまには家庭を離れてのんびりしたいというのが本音だろうが、婿殿や孫達は留守番で大変かも知れない。新型コロナウイルス感染問題を危惧していたが、まだ流行の初期、これが最後のチャンスかも知れないと思い切って行くことにした。もちろん公共交通機関は利用せずにマイカーで。

 長女が運転するハイエースに乗って高速道を西へ。サービスエリアで適宜休んでゆっくりと進み、昼過ぎに武雄インターで高速を出た。昼食後に向かったのが武雄市図書館。開放的でオシャレな内観、TSUTAYAとスターバックスが営業管理しているという今時の図書館で観光新名所となっている。女性陣はそれなりに楽しんでいたようだが、私は囲碁の本を借りて2時間ほど過ごした。
 武雄市図書館
 

 

 

 図書館の次に向かったのが「武雄の大楠」。樹齢3000年、幹回り20m、高さ30m。大きさから言えば日本で6番目らしい。武雄神社の裏山に有り自然木のようだったが、さすがに堂々たる威厳を見せていた。
 

 その日の宿は嬉野温泉吉田屋。4時半に着いて早速お風呂へ。嬉野温泉は日本三大美肌の湯と言われていて、泉質は重曹泉でぬめりがあり、肌の角質が取れてつるつるすべすべになるのだそうだ。お風呂の後は夕食、ずいぶん久しぶりに家族だけの食事。アンちゃんもよく食べた。最近控えていたお酒も久しぶりに飲めて、楽しい時間を過ごした。
 

 

 

 翌日 吉田屋玄関にて
 

翌日はお土産漁り。物産館などでお土産を買って一路小倉へ。無事に4時過ぎに帰り着いた。私はのんびりと運転もせずに座っていただけ、楽な旅行でした。ありがとう、娘達。アンちゃんも眠ることなく元気溌剌で場を盛り上げてくれました。

啄ちゃん、4連覇成らず!
 今年もマラソンのシーズン。小一から小三まで毎年マラソン大会で優勝している啄ちゃん、今年も勝て!とママからハッパをかけられていたが、その直前にインフルに罹っていて体調が不十分だったのが気掛かりだった。ジジババは応援に出向いたが、残念ながら途中で失速して4着だった。運動場を6周するコースなのだが、2周目まではトップだったが5,6周で順位を落としてしまった。体力が持たなかったのだ。仕方が無い、来年雪辱だ!。
 マラソンスタート 最内側に啄ちゃんが。
 
 啄ちゃん2番手で追いかけています
 

啄ちゃん二分の一成人式
 10歳の啄ちゃん、二分の一成人です。学校で20歳の自分へ宛てたメッセージを一人一人読み上げました。将来の仕事や夢などを語ってくれましたが、啄ちゃんの希望は、「動画クリエーター」、流行のソフト作家でしょうか。
 




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今年もお世話になりました

2019-12-28 20:16:49 | 紀行
 あっという間に時が過ぎ、今年も残り3日となった。すっかり月1ブログとなってしまって反省しきりです。例年なら今年の重大ニュースなどでこの一年を振り返るのですが、何と言ってもパーキンソン病に振り回された年でした。そのため行動半径が極端に小さくなってしまったことがブログ更新意欲低下を招いたのだと感じています。
 でも、体調自体は特に問題ありません。専門医の先生から症状に応じて薬を処方してもらっており、それが効いて特に動作に支障はありません。左手の細かな作業や力仕事、敏捷性はないけれども普通の生活をしています。薬がよく効くのはハネムーン期と言って数年間らしいですが、それまでは何とか現状維持で進むのではないかと考えています。いずれにしてもリハビリなどの筋力維持が重要なのは変わりません。

 さて、私は男ばっかりの5人兄弟の長男。弟一人は山口に居るが、あとの3人は同じ北九州市に住んでおり、甥姪の結婚式や法事など何事かあればすぐに集まる。昨年は山口の弟夫婦を除いて、4人兄弟の夫婦8人で湯布院別府に温泉旅行に出かけたのだが、今年は5人兄弟の全員の都合が良くて夫婦で全10人揃って熊本・阿蘇に行ってきた。10人乗りのワゴン車で幹事も運転も3男が頑張ってくれた。

 11月30日の土曜日、8時半に小倉を出発、九州縦貫道を熊本へ。熊本駅で新幹線で山口から来た4男夫婦を拾って全員が集合。まず熊本城へ。熊本地震で痛んだ本丸が見学可能な程度に修復されたと聞いていたのだ。熊本は私が学生時代を過ごしたところでも有り、思い出が詰まっている。見事に修復された本丸は天気も良くて青空に映え、黄色に染まった銀杏と共に改めて素晴らしいと感じたが、無残に壊れた石垣はやはり地震のすさまじさを物語っていた。
 




そのあと弟たちの計らいで私が下宿していた熊本大学の近辺を巡ってくれたが、大学近辺は50年前と大して変わってないような気がした。五高の赤煉瓦はそのままだったし、大学横の狭い道路も変わっていなかった。校内は銀杏はやはり落ち葉が舞っていた。

 昼は水前寺公園で食事を取った。この公園も懐かしかった。入学したての頃この付近の家庭で高校生の家庭教師をしていたことがあって、良く来ていたのだった。地震で水前寺公園の湧水が少なくなったと聞いていたが、昔のように水は綺麗で鯉が泳いでいた。


 昼食の後は、一路阿蘇へ。内牧温泉だ。途中、立野は橋が落ちてしまっていたので迂回するのだがそれでも五時過ぎに旅館に着いた。早速お風呂に入ってくつろいだ後、揃って夕食。最近はお酒もあまり飲めなかったのだが、この日はそこそこ飲むことが出来た。やはり気楽だったのだろうか。ただ、食事の後はすぐに寝てしまった。疲れていたのだろう。



 翌日は旅館の前で記念撮影した後に、カドリー・ドミニオンへ。昔の熊牧場でサル劇場があったところだ。今は熊の他、色んな動物もいて動物園の雰囲気。サル劇場もあって面白かった。ただ、この日は風向きが悪かったのか、阿蘇中岳の噴煙が丁度真上に立ちこめて、細かな灰が頭や服に降り注いだのには困った。



 灰で身体が汚れたので食事を後にして先に黒川温泉の立ち寄り湯に入ることになった。その途中に大観峰に寄った。黒い噴煙が阿蘇の山々を覆っていた。





 黒川温泉こうの湯旅館「森の湯」に着いたのは2時前。ここは深さ162cmの露天風呂があった。もちろん小柄な私は頭が浸かってしまって息ができない。掴まり棒をしっかり掴んで溺れないように頑張った。



 これで兄弟旅行の計画はすべて終了、帰りは東九州道を通って小倉へ。帰り着いたのが6時半。事故も無く無事で良かった。
 末の弟も還暦を過ぎた。来年も兄弟揃って旅行に行こうと話し合っている。仲良く事故無く無事に過ごすことを願っている。
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紅葉の湯布院、そして別府へ

2018-12-03 12:10:57 | 紀行
 師走に入った。例年ならば木枯らしが吹き荒れて寒さを感じる時期なのだろうが、今年は暖かく快適とさえ言いたいような毎日が続いている。もちろん、身体の不自由さは変わりなく続いているものの、薬の効果か、上腕の痛みや足先の熱っぽさは少なくなってずいぶん楽になった。昨日はカルチャーセンターのパーキンソン病講演会があったので、妻共々参加させてもらった。最近の動向や治療法などを近場の専門の先生が講演してくださったのだが、知らなかったことが多々有り非常に役に立った。およそ100人くらいの参加者だったが、殆どがパーキンソン病の患者と思われ、改めてこの病気の患者の多さを実感した。難病指定されているのだが、私の症状は5段階評価でまだレベル1程度。見るからにしんどそうな人もおられて、私などは楽な方だなと感じた。それと共に、これから先が長いと・・・。

 私は男ばかりの5人兄弟の長男で、その4人が小倉に住んでいて、残りの一人は山口にいる。近くに親族がいると何かと安心で、催し事などは甥、姪も含めて即座に集まり和気藹々で仲が良い。嬉しいことだ。で、私がパーキンソン病だと判明したのが切っ掛けかどうかは分からないが、兄弟家族揃って一泊で温泉旅行することになった。末弟の会社の保養所が別府に有り、大部屋が二室取れたのだ。勤労感謝の日の夜だから、前から申し込んでいたのと運が良かったのだろう。残念ながら山口にいる4番目は中学校の同窓会と重なってこられなかったが、残りの4家族は揃って参加したので総勢8人の団体となった。足は我が家系の宴会部長(3男)が10人乗りのレンタカーを借りて運転した。仕事で一時期湯布院に住んでいたのでコースや見学先も併せて任せたのだが、私などはのんびりできて良かった。もちろんトイレの心配もしてくれていた。

 初日は九時にスタート、東九州道を南下して宇佐を経由して豊後高田へ。昭和の街の見学後、湯布院で昼食を獲ったと、湯布院散策、それから由布岳の山頂付近にある塚原温泉に入って別府へ。天気も良く快適だった。

昭和の街で。ダイハツのミゼット。こんなに小さかったのかと驚いた。


湯布院は大勢の観光客で溢れていた。中国の人が圧倒的に多かった。湯布院のメイン道路。奥に由布岳を臨む


別府八湯の一つ亀川寄りにあるY電機の保養所。


翌朝、素晴らしい快晴。別府湾の日の出


別府と言えば地獄。まずは地獄巡りから
竜巻地獄


血の池地獄


鶴見岳ロープウエーに乗って山頂へ。




最後は別府八湯の一つ明礬温泉の泥湯に。女性陣は肌がつやつや、美人度がますますアップした。
帰り着いたのが5時前。盛りだくさんで楽しい旅行でした。
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今年の夏は伊王島

2018-08-06 11:48:37 | 紀行
 異様な夏が続いている。豪雨に炎暑、そして台風とゲリラ豪雨。被害に見舞われた各地の皆様、大変なことでした、お見舞い申し上げます。幸いなことに小倉は被災を免れており、幸運だと思っています。

 学校も夏休みに入り、子供達はクラブや合宿で真っ黒になっているが、なんと言っても休みが揃うこの時期は家族旅行。今年もばぁばが頑張ってくれました。行き先は長崎伊王島、ファミリー9人の夏休みだ。思えば2年前、楽しみにしていた北海道が意地悪な台風のために大雨に降られて台無しになった。今年も台風12号が迷走してはらはらどきどきだったが、何とか中国方面に去っていった。

 8月2日、奏パパが仕事で参加できなかったが、和パパが運転するハイエースに娘、孫、そしてジジババが乗り込んだ。総勢9人の一泊のファミリー旅行だ。小倉から長崎は高速道で2時間半、炎暑の中車の中は快適で私たちはばば抜きなどで遊んだ。このばば抜き、アンちゃんが大好きで今嵌まっている。小さい手で器用にカードを操る姿はとても三歳だとは思えない。

伊王島 コスタ・デル・ソル  




 ハイエースは順調に飛ばして、昼前には伊王島に到着し、昼食のあとコスタ・デル・ソルという西海岸のような名前の海水浴場へ。何と言っても今時は海水浴は珍しいので、孫達は大喜び、アンちゃんも初めてのはずだが海を怖がることなく、浮き輪に乗って大喜び。長女やばぁばも水着を準備していて、波打ち際でじっと見守るしかない私には羨ましい限りだった。海水浴場は名前負けすることなく、水はやや緑がかってとても綺麗で、水温も丁度良く本当に快適だった。今売り出し中のようだが、その効果はもう現れていて外国人やヤングギャルも数多く、人気のスポットなのだった。

スペイン風の橙色の瓦屋根。

ナギホテル 



啄ちゃんとアンちゃん、朝食です


 海で充分遊んだ後は温泉で汗を流しホテルへチェックイン。私たちはスペイン風?のナギホテルだった。夕飯はみんなで会食、私は例によって酔っ払って寝てしまったのだが、孫達は島内探検とかに行って、ものすごく面白かったらしい。夏のイベント、肝試しに似た探検だったようだ。

伊王島大橋の下で。

馬込協会、孫4人が揃って!


 翌日はみんなでサイクリング。島内半周だ。私はついて行くのが精一杯、それでも海岸沿いの道は海風を受けて気持ちよかった。
その後は長崎市内で昼食を食べて帰路へ。私はハイエースの座席でのんびり。アンちゃんや孫達は疲れも見せずにはしゃいでいた。熱中症を危惧していたが元気なで良かった。無事に旅行を終えて一安心、みんなお疲れ様。

長崎 中華街




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湯布院から阿蘇へ、オオルリシジミを求めて

2018-06-06 09:56:02 | 紀行
 蝶の収集を再開してからもう10年、それなりにコレクションも増え標本箱も20箱に迫ってきた。けれどもやはり環境の変化は大きく蝶の種類は以前の6割というところ。蝶の生息場所が極端に少なくなっている。クヌギ林が田畑に変わり、人家が山の奥まで進出しているのだ。素人昆虫採集マニアにとっては危機的な状況だと思う。

オオルリシジミ


 さて、私のアウトドアの友人、ハマサンからオオルリシジミの観察に行かないかと誘いがあったのが2年前。日本では長野と阿蘇にしか生息していない絶滅危惧種で、採集は固く禁止されている。クララの花が咲く5月に阿蘇の草原で飛び交うのだが、それを観に行こうというのだ。ところがその直前になって例の熊本大地震、阿蘇は大打撃を受けて道路は寸断、山も草原も広域で土砂崩れがおきて、採集行なんてとてもできる状態じゃなかったのでのびのびとなっていた。

 それから2年、復興もかなり進み、阿蘇の噴火も活動が静まって草千里まで通行が許可された。それと同時にハマサンの会社の湯布院の保養所の建て替えが完了し、再オープンするということで、温泉で泊まった翌日に阿蘇までドライブしてオオルリシジミを観ようということになった。

TOTO保養所からの湯布院眺望。




保養所の玄関口で


 5月の末、ハマサンの車で小倉を出発、昨年凄まじい水害を受けた朝倉市杷木地区を抜けて九重から湯布院に入った。杷木地区は復興も途中であり、ここかしこに壊れ落ちた家屋や棚田が有って、今年の梅雨はまたも大被害に見舞われるのではないかと思えた。途中、飯田高原に立ち寄ったが、天気が荒れて風が強かったので採集を諦めて湯布院に向かった。TOTOの湯布院の保養所は、別荘地区画の最奥にあった。まだオープン5日目と言うことで、利用者も抽選という大人気だったのだが、見事にハマサンが当たったのだった。

阿蘇はミヤマキリシマが盛りでした。中岳の噴煙が奥に。


阿蘇の五岳の一つ、烏帽子岳。山肌がむき出しになっていた



 その夜は温泉に浸かり、美味しい夕食を堪能して旅情を楽しんだ。翌日は天気も回復し、朝から日射しが見られた。山なみハイウエーを西に向かって再開された阿蘇登山道路を登って草千里へ。噴煙を上げている阿蘇の中岳を間近に見られるところがその場所だとハマサンが言う。オオルリシジミが乱舞していたというのだ。ところが、その場所は無残にも草地が削り取られルように崩壊し、食草のクララが見当たらない。全滅しているようだ。場所を変えてあちこち探してみたがオオルリシジミを確認できなかった。水害で生態系が変わってしまったのだ。

 オオルリシジミは時期的には5月の初旬から中旬なので、遅かったのかも知れない。来年はもうちょっと早い時期に来ようという話になって阿蘇を後にした。それにしても阿蘇の被害はものすごくひどくて、山肌がむき出しになっていた。完全復興まではまだまだ長い年月が必要だろう。


 阿蘇から戻った翌々日、枇杷の収穫を。今年は一枝二個という基準で実を間引きした。収穫後直ちに毎年楽しみにしている知人友人に送った。笑顔が届けられただろうか。





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明礬温泉

2017-12-15 11:52:14 | 紀行
 今年は寒い。本当に寒い。毎週のように寒波が来ている。ラニーニャ現象が原因のようだが、今冬いっぱい続くのだろうか。このままでは毎晩の湯たんぽが欠かせないし、年末の大掃除・餅つきが怖い。それに枇杷。今、花が咲いているが気温が氷点下に下がると一昨年のように花芽が枯れてしまう。何とか氷点下に下がらないことを祈る。

 先週、別府八湯の一つ、明礬温泉に出かけた。春は鉄輪温泉だったが、今度は鉄輪の山の手にある明礬温泉。この二つの温泉はお隣さんくらいに近いのだが泉質は全然違っていて、明礬は硫黄泉であり、硫黄成分を結晶させた湯の花が有名だ。ここ明礬は5年くらい前に娘の案内で泥湯にも行ったことがあって、硫黄泉、乳白色に変化する湯、美肌を作る泥湯と不思議な温泉なのだ。

 日曜日の昼前、冷たい雨が降っている小倉をマイカーで出発した。先日更新したばかりのカーナビが初めて役に立つ機会だ。目的地に明礬温泉岡本屋を入れると、カーナビは当然ながらルートを東九州道を選択し、到着時間も2時間くらいだと示した。

 高速道明礬橋の下の明礬温泉から別府湾を観る。正面が高崎山 
 
 明礬地獄
 
 湯の花を造る湯の花小屋。観光客で溢れていた
 

 雨が降り続く中、マイカーは順調に走って2時過ぎには明礬温泉に到着したのだが、チェックインは3時。1時間弱も時間があったので明礬の湯の花製造小屋を見物した。硫黄成分を析出して造る湯の花は江戸時代から設けられていたようで、今では見学スポットになっていて、中国や韓国からの観光客も多くて大型バスが何台も入っていた。

 露天風呂を独り占め
 
 温泉卵は観光客にも大人気
 
 明礬温泉名物地獄蒸しプリン
 

 3時になるとすぐさま岡本屋にチェックインし、早速露天風呂に入った。この頃になると雨も止み、青空も覗いてきて露天風呂が気持ちよかった。温泉の成分が酸化して青白く乳白色になるのがこの温泉の特徴なのだが、早い時間帯の入浴と言うことで、私一人で広い浴槽を独り占め、温泉を満喫したのだった。その晩は例によって美味しい料理とお酒で酔っ払って大河を目をこすりながら見た後に早々と寝てしまった。

 翌日は朝湯に入りゆっくりした後、旅館を出て別府市街でお土産などを買い無事に小倉に戻った。年に2回の温泉行、今年は噴火のために霧島に行けなかったのが残念だが、まだ機会はあるだろう。霧島ホテルの超大浴場は何度入っても気持ちよい。
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鉄輪、湯煙旅情

2017-04-21 09:54:14 | 紀行
 前記事から時が過ぎましたが、続きを。

 国東巡りを終えてバスは別府駅に5時前に帰り着いた。雨はまだ降っていたので路線バスに乗るのも億劫だったからタクシーで旅館に向かった。鉄輪(かんなわ)温泉にある「かんな和別邸」だ。別府には別府八湯と言って、別府の他に鉄輪や亀川、明礬、浜脇などの温泉郷が散らばっており、現在ではそれらが別府市内にあるため、総称して別府温泉と言っている。それぞれが古くから栄えた湯治宿であり、泉質も微妙に違うので湯巡りも人気となっている。

 私たちが泊まった部屋
 
 
 鉄輪は坊主地獄や海地獄などの地獄でも有名なところで、至るところで湯煙が立ち上っていて、別府温泉の中でも代表格だ。妻が予約した「かんな和別邸」は客室が6室しかないという平屋造りの日本家屋であって、客室が少ないためかなかなか取れなくて女性に人気の趣のある旅館なのだった。春休みが終わった直後なので運良く空いていたのだ。
 
 夕食風景。メインは豊前牛のしゃぶしゃぶだったが、撮るのを忘れていた。
 
 

 朝食
 

 部屋に案内されるとすぐに露天家族風呂に入り、磨崖仏観光で疲れた足腰を伸ばして身体を癒やしたのだが、さすがに大分県は日本一の温泉県、私たちもこの1年間で杖立温泉、長湯温泉とこの鉄輪温泉の3カ所に来ていた。やはり毎日が日曜日、余暇は充分にあるのだ。
 
 かんな和別邸 露天家族風呂
 
 
 その夜は一晩中雨音が響いていた。布団の中で板屋根に響くやや金属的な雨だれの音は眠りが浅くなった私に旅情とでも言えるような静けさを感じさせてくれたりしていた。
 
 翌日、朝湯に浸かって朝食を頂いた後、また温泉に入ったりしてのんびりして宿を後にした。帰りの電車は午後の3時なので、充分すぎるほど時間はある。私は地獄巡りの観光バスを希望していたのだが、妻は健康にも良いという地獄蒸しを食べたいというので、妻の希望通りお供することになった。私にとっても鉄輪温泉街はずいぶん久しぶりで昔は鄙びた温泉宿が並んでいたのだが、ここ数年は再開発されたようで、街並は一変していた。何よりも若い女性や外国人にターゲットを絞ったような明るくカラフルな街に変貌していたのだ。かんな和別邸の目の前の白池地獄を手始めに、狭い温泉街を散策し、宿の女将から教えてもらった地獄蒸しの店舗に入ったのが12時過ぎ。あまりお腹は空いていなかったのだが、温泉の湯気がもうもうと吹き出ている釜を見ると、これは話のネタにでも食べておかねばと海鮮蒸しを注文した。もちろんビール付きで。

 白池地獄
 
 
 地獄蒸しの釜。湯気の温度は百度に近い。
 
 
 

 私たちが地獄蒸しに取り組んだ頃、丁度昼時だったのだろう、次から次へとお客さんが入って、40人くらいの座席が瞬く間にふさがってしまった。この地獄蒸し、野菜や魚介物などを百度近い蒸気の釜に入れて蒸すのだが、できあがった後は足湯付きの座席に座って食べるのだった。私は昨日からご馳走続きでお腹は膨らんだままだったが、ホタテやエビ、鯛などの海鮮を肴にビールを飲んで至極満足した。この頃になると雨も上がって日が射しだしたのも良かった。
 
 地獄蒸しを愉しんで時間をつぶした後、路線バスに乗って別府駅へ。いよいよ今回の国東巡りの終点だ。特急ソニックに乗り込み車窓から別府の湯煙と散り始めた満開の桜を観てながら異様に膨らんだお腹をさすっていた。(笑)
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雨の国東、のんびり旅情

2017-04-15 14:32:51 | 紀行
 日本列島、春爛漫。各地で花見客が溢れていると思う。我が町小倉はすでに満開を過ぎ、花びらが風に舞っている。例年より開花が遅れたのに、あっという間に花が散って残念だ。温暖化の影響? 最近の気象はおかしい。

 今週の始め、妻と二人で国東半島を巡る旅に出かけた。丁度桜が満開の時期で喜んでいたのだが、月・火と旅の二日間だけ雨が降ったのだ。思えば昨年夏の北海道旅行。この時も雨にたたられたのだが、今回も雨。晴れ男の私の神通力も見る影もない。雨女の権力が強大になっているのがこんなところにも現れている! とはいえ、今回の旅は温泉も楽しめたのんびりツアー、その紀行を写真で紹介する。

 今回のツアーは国東巡り。仏の里、国東は私の長年の願望だったのだが、妻が古希の祝いと温泉を関連付けて具現化してくれたのだ。ただ、妻が雨女と言うことを忘れていた。(笑)

 月曜日、久しぶりに早起きして6時半のバスで小倉駅へ。7時過ぎの特急ソニックに乗り込んだ。別府から国東巡りの観光バスが出るのだ。社内で朝食代わりのサンドイッチを食べていると雨が降り出した。やはり天気予報通りだった。この雨、だんだんと雨脚が強くなり、別府駅では本降りとなってしまった。

 別府駅東口から観光バスに乗り込んだ。このバス、大型バスだったのだが、お客は私たち夫婦を含めてたったの4人。ガイドさんと運転手を入れて総勢6人と言う状況だった。ま、交通会社には悪いが満員よりもいいや、と思ってしまった。他の二人は私たちとほぼ同年代の女性が二人。直に仲良くなった妻が話していたが一人は東京の人で、各地を一人旅しているらしかった。
 
 宇佐神宮内宮
 
 バスはまず国東半島の西入口にある宇佐神宮に止まった。全国4万社ある八幡宮の総本社だ。広い境内を歩いて、内宮、外宮へ。4礼2拍手1礼と参拝していよいよバスは国東へ。

最初は富貴寺へ。この富貴寺は独身の頃に来ていたので2度目になるのだが、中尊寺金色堂にも負けないような優雅なたたずまいに圧倒された。雨の中の富貴寺は趣が漂い、国宝だけのことはあった。 

 富貴寺
 

 昼食の後、バスは真木大堂を経由して熊野磨崖仏へ。バスの駐車場から磨崖仏までは往復40分強の階段なのだったが、ガイドさんが鬼が一夜で作ったと言われる自然石で作られた最後の200mの階段に気をつけよ、と言っていたのだが、実際に急階段な上に雨で濡れているので滑らないように恐る恐る上った。そしてやっとの思いで磨崖仏にたどり着いたのだが、観光ガイドでよく見知っていた仏様が「頑張ったね」と言っているかのようだった。
 
 昼食は大分名物だご汁
 
 

 熊野磨崖仏
 

 熊野磨崖仏の参拝に体力を使い果たし、バスの中でうつらうつらしていたが、バスは女優の財前さんのルーツだという財前墓地を右手に見て、最後は国東半島中心に在る両子寺へ。山の中腹にあるためか、霧が出ていて満開の桜もすっかり影が薄くなっていた。ここ国東半島は神仏混合で有名なのだが、天台密教が根付いていて両子寺は護摩を焚いているので本堂は煤で真っ黒になっていた。
 
 両子寺
 

 霧の両子寺を後にバスは国東半島から南西に向かって別府へ。別府駅で降りてその日の宿は鉄輪(かんなわ)温泉。タクシーでかんな和別邸へ向かった。
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杵築ひいなめぐり

2017-03-01 11:06:13 | 紀行
 今日は3月1日、日増しに暖かくなって桃の節句も楽しく迎えられそう。ひな壇を前にアンちゃんの笑顔を撮っておかねばならないと思う。最近はひらがなも読めるようになって、「おふろでちゃぷちゃぷ」「はらぺこおあむし」などの絵本を私に代わって大きな声で読むようになってきた。何より「あんり」と書けるようになったのが嬉しい。三つの文字の大きさはアンバランスだけれども、確かに「あんり」と書く。自我も強くなって、自分の主張が通るまでテコでも動かないガンコな面もあるが、納得すれば何でも素早くする。やんちゃないとこ達から可愛がられて、すくすくと成長している。

 さて、先週の土曜日はJRウオーキング。久しぶりに遠出して、杵築に出向いた。小倉から日豊線を南に100キロ、特急で1時間強の城下町だ。テーマは「城下町杵築のひいなめぐり」。杵築の街は散策したことがなかったので、落ち着いた街並みを歩くのを楽しみにして出向いたのだった。それに天気も良かったので、初春のウオーキングも楽しいだろうと。

 杵築駅前。
 
 杵築中央のメイン道路。昔ながらの白壁の店が並ぶ。
 

 特急ソニックから杵築駅に降り立ったのが9時過ぎ。10名くらいの同好者がいた。スタート受付を済ませ、渡された地図を片手にウオーキング開始。空は青く風もなくてすぐに暑くなってきた。ジャンパーを脱いで1時間ほど歩くと杵築の城下町にたどり着いた。中央のメイン道路を挟んだ丘の上に武家屋敷群があって、そこかしこにおひなさまが展示されていた。古いものは江戸時代初期だと思うが、保存が良くて綺麗に飾られており、情緒豊かで落ち着いたたた住まいが静かに広がっていて、「来て良かった」と思った。

 
 
 
 
 

 杵築城は瀬戸内海に面した守江湾の端にあり、小さいものの格好が良い平山城だった。難攻不落の名城で、江戸時代になって松平氏(能見氏)杵築藩3万2千石の城下町として栄えたと知った。九州の小京都と自称しており、戦火にも耐えた街並みはやはり懐かしく感じる趣があった。
ただ、街の構成上、坂が多く難儀したところも多かったかもと感じた。

 杵築城(別名勝山城)
 
 坂道が多い城下町。この坂は「勘定場の坂」
 

 ゴールの杵築駅に戻ってきたのが12時前。スタンプを押してもらったが、ちょうど20個溜まった。今回は40個を目指すことにしているので丁度半分までたどり着いたことになる。3月からの春のウオーキングも頑張らなくては。


コメント (8)
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