ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマンだった。引退した今は妻と二人で平和な生活を願いつつ、趣味と独り言でストレス発散

焦った9月

2024-09-30 15:08:55 | 平々凡々
 毎年お彼岸になると必ず咲いていた彼岸花、今年は咲かなかった。不思議だなと思っていると、昨日29日、夏ミカンの木の隅に咲いているのを見つけた。およそ1週間の遅れだ。このところ真夏日が続いていたのが原因だろうか。今日も福岡県は暑く、30℃を越えている。明日から10月というのに。

 この暑さで脳が麻痺するのじゃないかとさえ思うこの月、私はまた偉いものに手を出した。いつもの何でも試したい、興味を持ちたいという遊び心だ。それがこの1ヶ月をとんでもない日々に変えてしまった。

 私の家ではセールスマンなどの応対はインターホンで行い、当然ながら訪問販売などは即座に断るのが通例なのであるが、(特にこの暑さのため、外に出るのは厭だった)、たまたま郵便物を取りに玄関を開けたところ、先日断ったはずのケーブル通信会社のセールスマンと顔を合わせた。そしてちょっとだけでも良いから紹介させて欲しいと、私の住むこの地区を重点的に設備増強をして、新規ユーザーを開拓しているという。この機会に是非とも乗り替えはどうでしょうかという。そして日射しが暑いので屋内で話せませんか、と。私も暑いのは厭なので和室にエアコンを入れて通したのが悪かった。通信回線は電力系を使っていたが、土曜日の夜間になると容量不足のためか、極端に通信速度が遅くなるのが頻繁だったのも原因だが。結局、携帯を含めて、電話・TV・インターネットをケーブル通信会社に替える気になってしまった。暑さで正常な思考を失っていたとしか思えない。それも8月31日工事というぎりぎりの契約だった。

 気温がわずかに落ち着いて爽やかな感じだったのでネフローゼが完全治癒した妻とおよそ1年ぶりに散歩して平和公園(忠霊塔)まで歩いた。私は左足に自信が無く、ステッキを持つようになった。平和公園は緑で溢れていたが、イチョウ並木の数本に銀杏の実がびっしりと成っていた。



 過去の経験からして携帯やPCを替えると登録変更が煩わしい。特に最近の携帯の技術革新について行けてない私には、この通信会社の協力が必須なので、その旨を営業マンによくお願いしていた。契約した営業マンも絶対に私が責任もって切替えますと言っていたのだが。

 結論、工事担当はハードの接続をして、TVの確認をしてOKと言って帰って行った。他のところは分業制なのでよく分からないとつぶやきながら。そして10日後に新携帯が送られてきて、その設定にまた別の人が来て、設定が終わるとラインと電話帳は移行しておきました。後はご自分で!と。次のお客様が待っているので今日はこれまで、不明な点はお客様サービスが24時間対応していますので、と。取説は?と聞くと有りませんという。

 よく分からないままどうしようかと考えていると、営業マンがやってきた。やってくれるものと思っていると、docomoに電話してくれと言う。意味も分からずdocomoから予約番号なる数字を教えてもらって連絡するとお客様サービスに電話をつなぎ、自分は帰ってしまった。不明な点は相談してくれと言うことなのだろう。

 結局、私の手元に残ったのはTVやNET、携帯の薄っぺらいスタートガイドだけ。構成ハード機器の接続図さえも無い。なんとサービスというか、ユーザーを無視したやり方だ。怒りは募るが、パソコン(メール)、携帯、TV(地デジ、BS,BS4K,netTV)などは設定を確認して早く使えるようにしなくては成らない。特に携帯のアプリは急がなくては。・・・と、最後はやはり自分で設定しなくてはと覚悟を決めたのだった。

 新しい携帯はgalaxy、韓国製。これがまた分かりづらい。文字やアイコンは小さいし、見たことが無いアイコンだらけ。結局携帯で操作機能を探すのでは無く、PCで確認しながらの設定している。途中、何回もサポートに指導してもらったが、これも繋がるまでが大変。まず休日は繋がらない。平日の午前中から掛けて、運が良ければ、という感じ。とにかく時間が掛かった。それでもまだ完全には終わってない。paypayなどはまだ使えない。アンドロイド携帯は使い勝手が悪いのだろうか?

 当分は機種替えで忙しくなるだろうが、さて本当に我が家の通信費は安くなるのだろうか? ネットTVが見れるのは嬉しいが。


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あぁー、カラスよ、カラス (2)

2024-08-26 10:11:18 | 平々凡々
 前回記事の続き、今夏の三番目の目標「スイカ」。カラスに振り回された。
 妻のネフローゼ症候群が奇跡的に治癒して、後は体力回復と視力問題をどうするかと考えていた6月初め、懇意にしている植木屋のKさんがほぼ1年ぶりに顔を見せ、「垣根のヒバが数本枯れているので取り替えましょう,ついでにスイカを植えて、余っている芝があるのでそれも植えときましょう、なに簡単ですから」と言うので、これは嬉しいと即座にお願いした。その結果、去年の作地にスイカの苗三本を植えたのだが、その経緯は前記事で紹介したとおり。

 今年は6月から暑くて,雨も少なかった。そのため、芝の根付きとスイカの苗のために毎日朝夕に水を遣り、時には肥料も入れた。
ミニスイカ畑と新たに張った芝(手前)

 そして7月、ミニスイカ畑は緑鮮やかに色付き、数カ所にスイカが生れて段々膨らんできた。そろそろカラス対策をせねばならないと昨年の経験を思い出してネットを張ったのだが、スイカの手入れが必要のために全面に張ることは出来ず、スイカ個別に張ることにした。カラスの口が届かないようにネットから20から30センチ離しておけば良いだろうと思ったのだが・・・。甘かった!
柵を作りネットを張った。

 7月の中旬、小玉スイカではあるが、かなり大きくなって,そろそろ収獲だなと思ったその日、やられてしまった。ネットを踏みにじって、見事に食べられていた。それも2個。収穫直前のスイカを。
ネットを張っても食い荒らされたスイカ


 ネットからの離隔距離が短かったのと、ネットの支柱が弱くて容易に倒されたのだ。要するにネットの網目から首を突っ込んで食べられたのだ。このためすぐに次に大きいスイカのネットを張り替えようと、ホームセンターで材料を買おうと,考えていた矢先、わずか2時間くらいの間でまたもやそのスイカが食べられてしまった。おまけにまだ小さいスイカまで,かじられていた。
食べられる前のスイカ

見事なまでに食い荒らされたスイカ

これには私もがっくりして、今年はもうスイカは食べられないのじゃないかとさえ思ってしまった。で、対策を考えた。要するにくちばしが届かなければ良いのだ。と言うことで、取りあえず植木鉢をかぶせ、デンソーで編み目が小さいバスケットを買ってきて,スイカを覆った。植木鉢ではこの炎天下、中の温度がもの凄いことになるのだろうと。そしておよそ3週間経って、スイカは順調に育ち、昨日までに4個収獲して、知人にもお裾分けした。サイズは大きいとは言えないが、現在8個育っている。カラスも諦めているようだし、安心だ。始めからバスケットにしておけば良かった、炎天下、妻の協力を得て、汗を流してネットを張ったのに。
バスケットをかぶせた。

今年初収穫のスイカ、甘くて美味かった

最後に「今年もかき氷」
 猛暑日が続く福岡、ピティナで頑張った杏チャン連れて例年通っている和菓子の店に出向いた。私が食べたのは「みぞれミルク入り金時」。しばし冷感につつまれた。


杏チャンのピティナ結果。
 杏チャンのB級は8月20日から東京の銀座でピティナコンペティションが開催され、全10組(100名)の中で3組のトップで演奏し4曲弾いた。その結果は翌21日の夕刻に発表され、2年前と同じベスト賞(21位から39位)だった。金賞にはわずかな差で届かなかったが、よく頑張ったと思う。日本全国の3,4年生のピアニストのトップ40なのだから。また、杏チャンの仲良し、共に連弾を弾いているRちゃんは金賞に輝いた。その翌日、二人はご褒美としてTDLで遊んだ。夏休みも終わり、来週から学校が始まる。夏休み最後のイベントだった。暑い夏を頑張り抜いた杏チャンでした、
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あぁー、カラスよ、カラス

2024-08-19 10:50:44 | 
 立秋を過ぎたのに連日猛暑日が続いている。小倉ではもう3週間は雨が降っていない。朝から身体に纏わり付くような熱気を感じる。朝湯に植木やミ二歳園に水遣りをするが、汗が出るのでシャワーを浴びてさっぱりして夕食の準備をすることが常になっている。

  さて、この夏のテーマは三つあった。「我が家の墓」、「孫達の頑張り」と「スイカ」だ。

  墓問題だが墓自体は分家した父が生前に建立し、父の没後に私が立て替えた。墓自体に物理的な問題はないのだが、私たち夫婦には引き継ぐ男児がいない。弟たちがいるが、それも女系であって、管理できる後継者がいないのだ。墓と仏壇は元気なうちに何とかしておかないと娘たちの負担になるので。何とかしようと6月末に兄弟寄りして、各分家として永代供養を考えることになって、その方向で順調に
進んでいる。

  次に孫達だが、和君と奏汰君、共に高3。来年は大学か社会人だ。和君は進学するとして、部活のサッカーは7月で退部となり、夏休みは講習会や模試で忙しい。希望は九大医学部と言っていたが、最近は京大経済系になっているという。理由は?といえば、生体解剖?がいやといってるらしい。それに何故か英語と国語の成績が良いようだ。

 奏汰君は人好きの性格を生かして将来は保育士になりたいので、その関連の専門学校に行きたいと決心して、夏休みのこの期間に目標や考え方を記した作文を書かなければならないと,学校の先生に相談して進めているという。(書いていて思い出したが「めぞん一刻」ではないだろうか? 響子さんはいないだろうが)
 
  啄チャン、中3で来年は高校受験。野球部のキャプテンとして頑張っている。やはり7月で退部して受験に備えるとされているが、実際は夏休み期間は後輩のコーチとして部の練習に顔を出しているようだ。その啄チャン、最後の公式大会で見事に優勝した。小倉北区軟式野球大会だ。私も応援に行ったが、ピッチャーとしてバッターとしてキャプテンとして大活躍。嬉しかった。優勝決定戦の相手は私の母校A中学だったが、なんとそのピッチャーは女の子。男兒と堂々と渡り合っていたのには感心した。
ただ、その1週間後、北九州市の軟式野球大会では1回戦で負けてしまった。啄チャンがピッチャーだったのだが、80球?の球数制限のために,ピッチャー交代した結果打たれたそうだ。残念だった。サァ、来年受験する高校は? いくつかの高校から誘いが掛かっているとの噂もあるが・・・。

小倉北区中学校軟式野球大会優勝 記念写真


  最後に紅一点、杏莉ちゃん。あっという間にもう小4になった。毎日、ピアノに塾にバレェと忙しい。今年もこの時期はピティナ。6,7月は地方予選、本選があるので練習に明け暮れる。個人のソロと連弾の2部門にエントリーしている。二年前の小2の時はソロ、連弾の両方共に東京の大会に選出され、連弾では銀賞、ソロではベスト16に入ったのだが、今年はそれ以上を目指して頑張っている。ピアノに対する杏ちゃんの集中度はこれはもう大したもので2時間程度は休みなく弾き続ける。だから素人の私が聴いても上達の程度が分かるように、音が滑らかに涼しげに、そして重厚に聞こえだす。

 そして、今日パパママと三人で東京に飛び立った。明日のピティナコンペティションに向けて。残念ながら連弾はわずかな差で敗れたが、ソロは本選一位の肩書きを持って。北九州地区百数十人の代表だ。杏チャンが出場するBクラスは最も出場人数が多いクラスで10組に分かれているらしい。杏ちゃんは3組目の一番に演奏すると聞いたが、上がることなく頑張って欲しい。

 次回、好結果を報告できることを期待したい!

三番目のテーマ、「スイカ」は次回にアップします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兄弟寄り

2024-07-01 15:59:33 | 家族
 北九州地方は線状降水帯に見舞われたそうで、昨日から断続的に雨が降り続いているが、今は空が明るくなって、小糠雨程度になっている。前の川は土手の半分近くまで水かさが増え、ゴウゴウと茶色の濁流となっており、よく観察していると時折枯れ枝や草なども混じっている。この川の下流には地下に調整用の池が作られているので、水害の心配は無いと思うが、やはり水害は怖い。高齢者は避難せよと携帯に連絡が入るが、もうそれも慣れた感じで、半ば無視している。地形的に山崩れの心配は無いし、せいぜい床下浸水くらいのものだ。

 先週、数年ぶりに兄弟寄りを催した。新型コロナのために兄弟旅行を中止していたのだ。私は五人兄弟の長男であるが、夫婦で健康に黄信号がともり始めたので、墓をどうするか、兄弟で意見を纏めたかったのだ。午後に我が家に集合し、墓問題の意見を述べ合って纏めた後に、スーパーで買ったにぎり寿司を食べながら宴会。昔はビールの他に日本酒二本くらいだったのだが、皆年老いたか、日本酒半分、焼酎少々程度だった。

数年ぶりに五人兄弟が集まって記念撮影


 宴会の後は麻雀。実に30年ぶりくらいだろう。私は足が自在に動かなくて、座れないので椅子を持ってきた。牌を並べるにも手先が不自由で、もう麻雀は電動式じゃないと駄目だと自覚した。それでも弟たちの手助けもあって、ハンチャンした。開始早々に3男が「メンタンピン サンシキ ドラ3」の倍満をツモ上がりしたのだが、私は粘ってオーラスの「ピンフー ドラ3」の満願を上がって最後にトップを逆転。昔のように勝負強さを発揮したのだった。弟達が兄を立てたのだと言うが、それは違うと思う、やはり経験の差はおおきい!

 麻雀は四人しかできないので、次は5人全員で遊べるトランプでのオイチョカブ。花札はあるが、トランプの方が計算が瞬時でできるので簡単だ。オイチョだのカブだの、ワァワァ騒いで午後8時に終了した。結果は麻雀と合わせて私(長男)と次男が勝ち、負けは3男と5男。まるっきり30年前と同じ構成。年を経ても習性は変わらないようだ、それにしても楽しい時間だった。五人とも還暦を過ぎ町内会などの役職はあるものの悠々自適の生活を送っている。それぞれ苦労は背負ってはいるのだろうが、
幸せに暮らしている。それが嬉しい。

 最後に今年は秋に是非とも兄弟旅行を復活しようと約束して散会した。(一人は山口県なので家に泊まった)

昨日のスイカミニ畑。ソフトボール大が2個、ピンポン玉大が2個ほど隠れている。花合わせの肝心な時に天気が悪くてめしべが無駄になったのが多かった。





コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スイカで一騒動

2024-05-27 12:24:20 | アウトドア

 この1週間、小倉は天気が良く毎日が夏日、時に真夏日の暑い日が続いた。妻はすっかり元気になって体力的には問題無いけれども、緑内障が悪化してほとんど視力を失ったため家事は無理なので、私は主夫業を専門として家事を私なりにこなしている、ただ、娘からはまだまだ不十分だと言われているが、まぁそれなりに暮らしていければと聞き流している。
 パーキンソンは確実に進行しているような感じで、身体全体の動きがぎこちなく、動作も遅い。だから何をするにも時間が掛かるので、自分の時間が取れないのが悩みだ。そんな中、今年も近所の私と同世代の植木職人さんからスイカを植えましょうかと提案があったので、喜んでお願いすることにした。5月の始め、GWの期間中のことだ。ある朝、朝食を食べ始めた8時、チャイムが鳴って出ると、植木屋さんが、「スイカを植え終えたので毎朝夕に水を遣ってくれ」という。苗は接ぎ木苗で3株、去年と同じように道沿いの畝に植えられていた。スイカは連作は駄目と聞いていたが、接ぎ木苗なので、まぁ問題無いだろうと水遣りを欠かさず10日ほど経過したのだが、連作の弊害?かもしれない葉が開かない現象が発生した、3株のうち、1株が全部の葉がアウト、1株は半分だけがアウト、1株は正常だった。
 調べると、土中の窒素成分が多すぎるとその様な状況になるらしい。対策は無く、植え替えするか、毎日水を遣って奇跡的に治るのを待つかしかないようだ。
私はその日のうちにホームセンターに走ってスイカ苗を購入しようとしたが、もう販売時期は過ぎていて在庫はゼロ。仕方ないので種を買ってきて種から育てることにした。この天気だ、なんとかなるだろうと。3日で芽が出て、今月末に植え付けられれば1ヶ月遅れで成るだろうという目算だったのだが、3日経っても、4日経っても、芽が出ない! これは大変だと再度別のホームセンターへ。すると運良く売れ残っていたスイカ苗があった、それを3株と花と野菜の土を一袋買い、畝の土を入れ替えた。これでスイカの株はだめと判断した1株を取り除き、残った2株+新3株の5株となった。半分アウトだったものも土の入れ直しなどで、すっかり完治したので良かった。それにしても、この忙しい中で、スイカ騒動。順調に育ってほしい!

子蔓が伸び始めた最初のスイカ苗と植え付けたばかりのスイカ苗


枇杷の収穫期? 例年6月1週目に収獲している枇杷、そろそろ収獲です、でも今年は剪定したので数が少ない。



 大の里、よくやった! 昨日の相撲、勝った瞬間、見ていた父親が涙を流していたが、私も思わず涙が出た。やっと、日本人の強い関取が出てきた!と。
 相撲界はモンゴル勢が席巻していて、面白くなかったのだ、尊富士に続いて若手の台頭にほっとした心境だ。横綱、大関が不甲斐ないと思える相撲界に新風を吹かせてくれる。大谷翔平のような「気は優しくて、力持ち」の雰囲気があって、非常に好感が持てる。来場所が楽しみだ、全勝優勝するかも!



コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

GWの中で

2024-04-29 15:35:14 | 日記

 GWが始まった。今年は10連休の会社もあるそうで、毎日が日曜日?の私でも羨ましい感じがする。異常な円安をものともせずに海外に出掛ける人も多いそうで、勝ち組人種は、「我が世の春」を謳歌しているようにみえる。昨日の衆院補選の結果をどのように評価するか、円安と相まって、今我が国は大変な危機を迎えていると思わざるを得ない。現役を離れてもう数年、透明感を持って世の中を眺める心境も板に付いてきた。逆に言えば、今を生きてゆくのが精一杯の私が、どうあがいても世の中は変わらないと諦めている・・・?

 さて、この1ヶ月、色んな事があった。写真をベースに振り返りたい。
まず3月の下旬。私の77回目の誕生日が来た。「喜寿」を迎えたのだ。お祝いは何が良いかというので、県南だったプラネタリウムに連れて行ってもらった。八幡東区のスペースワールド跡地にできたスペースラボ内にプラネタリウムがあって、面白いと聞いていた。ソファーに座って天幕に写る星々は、その輝きと興味深いエピソード紹介などで面白かったのだが、暗いこともあって、後半の半分以上は寝てしまって残念だったが気持ち良い睡眠だった。

●スペースラボで展示されているアメリカのアポロ計画(スペースシャトル)。 この他、「月の石」や「シャトルのエンジン」も展示されていた。


●アポロ計画初期の頃の帰還船?


●3月27日 忠霊塔(平和公園)にて、桜の開花を確認した。昨年より7日遅れ。


●3月の下旬に収獲した夏みかん(ハッサクかも知れない) 今年はあまり酢っぱく無くて好評だった


●妻は週2,私は週1でデイケアに通っている。デイケアは和気清麻呂がイノシシに先導されて足の傷を治した湯川の地にあって、桜の名所としても有名なところにある。4月5日、満開の桜をバックにデイケアで妻と。


●翌6日、平和公園でアンちゃん家族とお弁当を持って夕方に花見。






●玄関の石柱にアゲハチョウのさなぎが居を構えていたが、4月7日に羽化した模様。残念ながら羽化の瞬間は見れなかった。



●夕方の花見で寒かったのが悪かったが大変な事態に。7日、日曜日だと思うが、朝から身体がだるくて頭も冴えない。熱っぽいので体温測ると37.5℃。疲れが出たのかも知れないと早めに寝たのだが。熱は38.5℃まで上がっていた。これを聞きつけた次女が夜分にかかわらず駆けつけてきてくれた。翌朝一番に掛かりつけ医で診察した結果、新型コロナの陽性反応を検出。五日間の自宅籠もりを指示された。2回目の感染だった。そして、またしても妻も発熱。夫婦で罹ってしまった。ただ私は薬のおかげか、1日で熱が引き、妻も3日で快復した。またまた入院にならなくて良かった。 しかし、2度の感染の原因は私。どこで誰からもらったのか、分からない。3度目は許して欲しい。

●4月13日 ご近所で藤の花が咲いているのを見かけた。その他にもハナミズキやツツジなども咲いていて、まさに春爛漫。


●GWの初日、27日の土曜日、妻を乗せて車を運転して中間市の義姉宅へ。およそ1年ぶりだ。仲が良い姉妹で、お互いに涙、を流して喜んだ。
この時期にはスイカは東京に全て出荷しているという熊本スイカを手に入れたと、スイカをご馳走になった。甘くて旨かった


●28日、奏汰君が枇杷の袋掛けの応援に来てくれた。体力が低下してしんどくなる作業なので応援は嬉しい。間引きの仕方、袋の掛け方などを教えてスタート。やはり作業は早い。今年の出来はどうなんだろうな、と楽しみだ。QW中に、袋掛けを終えなければ。




今月はアップテーマがたくさんあったのに、深掘りできず、残念だった。来月は月2を目標にアップしたい。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春はあけぼの・・・

2024-03-20 21:39:56 | 平々凡々

 今日は春分の日、今日から半年間は昼の方が長い。光を浴びる時間が長いと活動的な気分になるから嬉しい。
 
 病院通いや家事に追われる毎日ではあるが、彼岸入した日曜日、ホームセンターに行って木片と釘、ねじを買ってきた。木片は15t×600L×200wサイズが1枚と90幅の長尺ものを200幅に切断してもらったものが4枚。この小さい板は2枚重ねて足として長い板にねじと釘で取付けた。何かというと洗面所においている洗濯機の排水ホースが邪魔で貴重な場所を取っているので、ホースの上に板を通して、物置スペースを確保したのだ。要するに物置台だ。前々から考えてはいたのだが、なかなか実行する気分にならなかった。それが家事をするようになって、収納スペースが大事であるかが体得出来たのだった。
 
 ただ、この工作、単に釘を打ち、ドリルで穴を開けてねじをドリルで打ち込むだけなのに、腰は痛くなるし、足は曲がらないし、思ったより作業はきつかった。10年くらい前は蝶の展翅板を10セットくらい簡単に作っていたのに。日頃使わない筋肉がいかに衰えているか、よく分かった。


 今日は全国的に風が強く寒気が舞い降りているらしいが、小倉でも墓参りに出掛けたときにみぞれが降った。その時間は短かったが、傘を持ってなかったのと強風で寒かったのもあって、妻のネフローゼ完治を報告し、見守ってくれたお礼を申し上げて帰ったのだった。(前回記事で、妻のネフローゼが奇跡的に治っていると言われ手喜んだが、いまいち不安なところもあったのだが、今月11日の診断の結果、先生から「完治している」とお墨付きを頂いた)

 我が家の墓は公営墓地の中腹にあって、駐車場から墓まで20度以上の急斜面を100mほど登らねばならない。妻は、食欲も戻り体力も戻りつつあって、最初は登れるか危惧していたが何とか無事に墓まで行けた。私の方が足腰に問題がありそうな感じだった。でも、春分の日にみぞれとは! コブシはすでに咲きおわり、水仙も咲き誇っているのに。

 2週間前の隣家のコブシ、


 1週間前、夏みかんの下でひっそり咲いていた水仙


 今年の大河、平安時代の物語。この時代の著名な英雄、豪傑をしらないので、平安時代を良く理解していない。紫式部の生涯のようだが、時代背景を良く理解していないからストーリーと登場人物の関係がよく分からないところがある。道長と紫式部の恋はストーリーだと思うのだが、実はどうなのか、生きていた時代はどの程度かぶっているのか、など疑問点も多々ある。今後の展開もよく分からないのも気掛かりではあるが、平安時代の愛憎劇をどのように創作したかは非常に興味があるところだ。先日は清少納言も出てきた。彼女の切れの良い良質な歌詞のような文は実に味わいがある、春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬は早朝など、実に季節を的確に捉えていると感じる。紫式部の今後のストーリー展開を期待している。

 我が家の夏ミカン。収獲時期ですが、食べる気がしないので。

 
 去年作った金柑酒が旨かったので今年も金柑酒を作りました。夏みかんからは何が出来るのだろうか

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立春・雨水を過ぎて・・・(遅れましたが・・・あけおめ 改定)

2024-02-21 17:48:26 | 平々凡々

 遅れましたが前記事の続きを。
 ネフローゼ症候群の治療として利尿剤を飲んでいる妻は、食べたくないと言って栄養飲料だけの時が多かったため。みるみるうちにやせ細ってしまい、体重も10キロ以上おちてしまった。水も足りてなかったようで脱水状態となり、掛かりつけ医からすぐさま総合病院に入院させよ、との指示があって、その日のうちに入院することになった、1月20日の土曜日のことだった。これで4回目の入院となった。

 総合病院では内科病棟に入れられたのだが、点滴はもちろんのこと、食べないのならば無理矢理にでもと鼻からチューブを通して流動食を食べさせる荒療治が実施された。この結果、妻は食事の摂取量も増え、日毎に快復し、2月1日に退院することになった。

 退院後、ネフローゼの専門医検査してもらったところ、なんと奇跡的にネフローゼの症候が消えているという。ようするに,治った?! 私たちは先生からそれを聞いて大喜び、まさに奇跡ではないかと。良かった、本当に、良かった! 

 とは言っても、3ヶ月以上もほぼ寝たきりの生活をしていたので、足腰の衰えはひどく、歩くのが精一杯。リハビリに精を出さねばならない。妻は週2回のデイケア、私は要支援1の査定だから週1回のデイケアでリハビリを頑張らなくてはならない。だから週に1回は夫婦でデイケア、妻はその他に週1回一人でデイケアとなっている。

 最近の妻は食事も殆ど完食だし、おやつやコーヒーも欲しがるようになってきた。ただ、利尿剤を飲んでいないので、足の浮腫(むくれ)は結構あって、次回の検査まで浮腫に耐えきれるかどうかが心配ではある。眼は依然として視力がなく、細々とした作業は出来ない。それでも食事後の食器洗いと洗濯物たたみをしてくれるので大いに助かってる。認知症も進行が泊まっているような感じがして嬉しい。厳しい冬を乗り切った感がする。

先週、天気が良かったので妙見宮にネフローゼ治癒のお礼を妻と二人で出かけた。
妙見宮の麓にある平和公園、忠霊塔の梅林。もう盛りを過ぎていた


妻の治癒をお願いした氏神様、足立山妙見宮




コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遅れましたが・・・あけおめ

2024-01-31 23:09:54 | 平々凡々
皆様、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
今日はもう1月の最終日、月に1回はブログの記事を投稿したいと時間に追われながらpcに向かっている。今11時半、あと30分。タイプミスが多い。あせっている。
クリスマスの日に妻が退院して、正月は妻と二人でゆっくりと過ごしたのだが、それを過ぎると、大変な忙しさが待っていた。まず妻の視力が両眼とも0.01にまで落ちたことだ。入院中に点眼薬が上手く行かなかったのか、緑内障がひどくなり、眼の中心部の網膜細胞?が殆ど壊れてしまっていると眼科で指摘された。網膜は再生できないというので、視力はこのままと言うことになるのだが、まだまだ進行してしまうかも知れない。こんな怖さも有り、正月を過ぎた頃から妻の食欲が徐々になくなり、それと共に体力・気力も低下してきた。
デイケアに行くのさえ拒むようになったのだ。体重も一挙に10キロ以上も落ちてやせてしまっている。

11時50分になった。途中だが投稿する。続きは2月に。

妻の治癒をお願いした氏神様、足立山妙見宮




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

待ち遠しいクリスマス

2023-12-23 18:13:40 | 家族
あと1週間で正月だ。正月までにはとしなんてでも退院して欲しい、食事を頑張って食べてくれ、と妻に毎日のように言っていたが、妻もそれに応えて何とか量50%を維持し、点滴が外れ、むくみも取れ、目つきもしっかりし、介助付きではあるが歩く事も出来るようになった。今は毎日、歩行を主体としたリハビリしている。やはり、体力は食事からだ。と言うことで、退院がクリスマスの25日に決まった。妻は涙を流して喜び、私も凄く嬉しい。けれども手放しで喜ぶことは出来ない。妻の胃はデリケートなようで、むかついて食事を受け付けないこともあるのだ。自宅で食べなくなると、元の木阿弥となる。訪問介護を考えてはいるが、順調に食欲が改善して欲しい。妻は「もう入院はしたくない、だから頑張って何でも食べる!」と表明しているが、胃が痛んでいるのは間違いないようだから、最初はお粥食だ。それでも、クリスマスの25日が待ち遠しい。2ヶ月ぶりに妻が帰ってくる。忘れることが多い妻だが、自宅は覚えているだろう、孫達にも会いたいと言っているから。

11月末の平和公園、銀杏が綺麗でした。


森林公園入り口の柿の木。鳥たちが食べ残した柿が寂しそう。


中国の易経に「積善の家には余慶有り」という言葉があると、私がお世話になった関連会社の友人Mさんから教えて頂いた。「善を積んで来られた方々の家には慶びが余りあるほど来る」との意味で、私を励ましてくれたのだ。40年来の友人で、私と同じように孫達に囲まれて悠々自適に暮らしている。彼のこの言葉によって、いかに元気を持てたか、希望を信じることが出来たか、感謝・感謝です。Mさん、ありがとうございました。

昨日、寒気が押し寄せて、我が家にも雪が少しだけ。アンちゃんは学校で雪合戦したらしい。


孫達も冬休みに入って、25日はばあばと逢えるようだ。妻も楽しみにしている。その日は総合病院で検査もするので、疲れるからクリスマスパーティまでは計画していないが、妻がどんなに喜ぶか、観るのが楽しみだ。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする