私の出張用バッグ、もう20年以上になります。妻に買ってもらいました。先日、柄がちぎれて収縮チューブで手当てしましたが、本体はびくともしていません。良いものは長持ちします。
還暦を過ぎてはや2年、来月末で2度目の退職を迎える。いや退職とは少し違って契約が変わる。2年間の雇用契約が切れるのだ。会社側からは引き続いて働く意思はあるか、との問合せがあり、「働く!」と応えているので引き続いて雇用は継続される。が、給与体系が変わる。ボーナスがなくなるのだ! と云うことは、年間給与が約30%も少なくなる。生活が厳しくなることはもちろんだが、ボーナス時の小遣いが無くなりそうなので、ゴルフ旅行などの個人の娯楽が出来なくなりそうだ。減った分だけ年金で充当されればいいのだが、どうもそれも駄目なようだ。少ない給料なのだが、それでも年金対象からは外れる。ただ、世の中には仕事が無くて困っている人が多いので、まだまだ私は幸せな部類なのだろう。贅沢をせねば、この給料で何とかやってゆける?・・・我が家の大蔵大臣が目を吊り上げそう!<o:p></o:p>
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とは言いながら、給料が減ると働く意欲に変化がでる。と云うより仕事の環境が変わりそうだ。会社は組織で動く。逆に言えば、その組織の一員じゃないと、会社には有効に役立たない。定年者は会社組織に属してはいるものの、組織の歯車とは見做さない感覚なのだ。要するに、生産活動に従事するライン業務から外されているので、存在価値が無いのだ。<o:p></o:p>
私の仕事は、営業活動の技術的補佐、ライン設計業務の技術支援、お客様への技術サポートである。要するに、通常の生産活動においてはお呼びが掛からない類であるから、無意識にではあるが締め切り意識に乏しい、弛緩した業務になっている。3月以降はなおさらこれに輪を掛けるのではないかと心配だ。<o:p></o:p>
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愚痴ともいえない愚痴を書いてきたが、実は今日のテーマは耳順のつもりだった。孔子様の言葉、
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「吾十有五にして学に志す。」<o:p></o:p>
「三十にして立つ。」<o:p></o:p>
「四十にして惑わず。」<o:p></o:p>
「五十にして天命を知る。」<o:p></o:p>
「六十にして耳順う。」<o:p></o:p>
「七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず。」
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によると、60歳を過ぎたので「何を聞いても動じず、素直に受け入れることができるようになる」ことが求められているのだが、どうも人間が出来ていないので、この心境には到底至らない。4月の再スタートの時までには自分なりに何らかの結論を出しておかないと、勤務が嫌になるのではないかと思う。
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あと2ヶ月、長いようで短いのだろうな。
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