勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

丘の上の眼日記・その6

2009-03-13 14:59:31 | Weblog
 皆様には、ご心配をおかけしました。

 今日の院長の診察では、術後の出血は消え、眼の中のタンパク質も小さくなり、何れ消えるそうです。

 時間と共に視力も快復し、レーザー治療の必要がなくなりました。出血のために上がった眼圧も下がりつつあり、今日はだいぶよく見えるようになり、小さな不安も消えました。

 大きな期待は、時として失望に変わることもあるが、信頼という絆が希望へと導いくれる事も教えてくれたのです。

 見えることの有り難さを改めて感じ、やがて訪れる、両目で見る総天然色の世界を楽しみに、もう少し丘の上の眼日記を続けます。

 コメントを下さった方も、躊躇された方も、ご心配下さった皆様も、ありがとうございました。

丘の上の眼日記・その5

2009-03-13 01:31:25 | Weblog
 待ち詫びた朝が来た。朝から雲ひとつない晴天は、ここに入院して初めてである。看護士さんが左眼の眼帯を外した。今度はどんな世界が待っているかと、期待を胸に眼を開けた。

 ”あれ~~~~~~~~~~っ?”
 眼の前が真っ白で何も見えない。一瞬頭の中まで真っ白になった。まばたきをしても、生れつきの小さい眼を大きく開けても、状況は何も変わらない。

 術後の経過は個人差もあるから大丈夫よ、と看護士さん。午後になると、徐々に眼の曇りも取れはじめた。休診日にも拘わらず、手術の次の日には必ず院長の診察がある。「僅かな出血とタンパク質で見えにくくなっているが、明日それをレーザー治療で取り除きましょう。見えるようになるから、心配は要らないよ」と、自信の顔。

 今日の青空が本当の青空になるのは一日遅れになるが、信頼している院長の言葉にすべてを委ねた僕には、なんの不安もない。

丘の上の眼日記・その4

2009-03-11 22:49:58 | Weblog
 一昨日の右眼に次ぐ左眼の手術も今日無事に終わった。

 同じ病室の仲間とは入院初日から打ち解け、遠慮のない冗談を言い合う仲になっている。病室はいつも笑い声が絶えない。そんな彼らに励まされ、今日も手術室に向かった。

 一度の経験は、怖れていた白内障の手術もそれほど怖くはないことを知り、恐怖心を持たずに臨むことができた。麻酔注射にも呻き声をあげず、手術の進み具合も冷静に受け留められた。左眼の白内障は軽度の為、手術時間は前回よりも短い14分で終わった。

 明日の朝眼帯が取れた時、今度はどんな感動が待っているのか楽しみだ。今宵はこの眼でいい夢を見よう。

丘の上の眼日記・その3

2009-03-10 22:33:34 | Weblog
 手術台に乗せられると、左腕には点滴、右腕には血圧計、眼には麻酔を打たれ、消毒をして重りを乗せられた。眼は触らないでくださいと言われると、余計にむず痒くなる。更に脚は伸ばしたままで身動きが出来ない。そんな状態で待つ時間は長く辛い。

 前の患者の手術が終わり小休止の間、「首が痒いんですけど」と言った。「どのあたりですか?」「肩の近くです」。看護士さんが掻いてくれた。「あっ、そこ。もっと強く」

 隣の台には同室で同い年の患者が、次の準備を済ませて待っている。「オシッコしたいんですけどダメですか?」と聞こえてくる。“この期に及んで何を言ってるんだ”と心の中で呟いたが、極度の緊張がそうさせることは痛いほどわかる。そして始まった手術は、切開も、縫い合わせも、糸を切る音もみな聞こえる。意識を他に持っていくことで恐怖感から逃れた。

 二人共病室に戻り、手術台の出来事で話が弾み、全員で爆笑。そして一夜が明けた。

 朝6時、検温後いよいよ看護士さんが眼帯を外しに来た。恐る恐る眼を開けて思わず叫んだ。
「エェ~~~~~~~~~~ッ!」
左眼だけで見ていた窓の外のパノラマの景観が右眼で見ると全く違う世界。白濁して霞んでいた世の中は、こんなに明るい色だったのか?片目づつ交互に見比べた。明日の手術を控えた左眼はセピア色に、手術した右眼は総天然色に見える。

 空の色がこんなに青く、雲の色がこんなに白いことに驚く。眼にするもの全てが新鮮に見えた。

 明日の手術はもう怖くない。こんな素晴らしい色の世界が待っているのだから。

丘の上の眼日記・その2

2009-03-09 20:33:21 | Weblog
 午後から始まった手術は全部で10人。全て院長の執刀で行われる。白内障の手術は簡単といわれるが、控室で待つ間の緊張は高まる。

 一番目の患者さんは、誰もが知るあるプロ野球チームの4番打者だった超有名選手の奥様。控室で待つ僕の前を、手術が終わり車椅子で通り過ぎた。

 手術室には2台の手術台。その台の上で眼に麻酔注射を打ち、準備を整えて前の患者の手術を待つ。診察の時、麻酔注射は痛いと聞かされていた。「両目を開けて下さい」の指示に、「エッ!」っと驚く僕を無視し、看護士さんが「はい、ここを見てください」と、手術の眼と反対側に手をかざす。

 下瞼に注射針が付き刺さる。思わず「ウゥ~」っと呻くと、注射担当の女医さんと看護士さんも一緒に唸った。そして3人で笑った。思ったより痛みはなかったが、怖さが先に立つ。

 顔を覆われ、手術台の上で隣の手術台で行われる手術をじっと待つ。その時間の長いこと、身体中が固まる。

 前の人の手術が終わり院長は部屋を出た。インターバルをとって戻る院長の足音に、いよいよ僕の手術の始まりを知る。

 名前を呼ばれ「それでは始めます」の院長の声に、「お願いします」と返事をし、覚悟を決めた。

 静かに進む手術は、意識もあり音も聞こえる。恐怖心を紛らすために他の事を考える。

 佐伯院長の「はい、無事に終わりました」の声に、「ありがとうございました」と答え、長く感じた手術時間を看護士に聞くと、19分だといわれた。

 明日の診察まで眼帯は外せない。期待と不安が入り交じり、今夜も眠れそうもない。

PS。
 皆様のご心配と励ましのコメントを読ませていただいて、勇気付けられています。ケータイからのコメントは確認数字の認識ができず、投稿できません。この場を借りてお礼申し上げます。

丘の上の眼日記・その1

2009-03-08 19:05:58 | Weblog
 午前中に入院手続きを済ませ、気さくな同部屋の方たちとの談笑に話も弾み、気が付くと昼食の時間。朝食と夕食は院内のレストランで、昼食は部屋で摂るシステムのようだ。

 4人部屋の窓は広く、パノラマに広がる景観はリゾートホテルのよう。部屋の中央の椅子とテーブルは、食事や談笑のためのリラックスエリア、病院特有の陰鬱な雰囲気は微塵もない。

 休診日にも必ず顔を出すという院長とも話ができ、「ブログ見たよ」と声をかけられた。受付けの女の子にブログで記事にすることの了解を得ていたためのようだ。

 早々と夕食も済んだ。眼科病院だけに、部屋にはテレビもない。明日の手術に備え、今夜はゆっくりやすむ事にしよう。

鐘の鳴る丘

2009-03-06 21:14:31 | Weblog

緑の丘の 赤い屋根
とんがり帽子の 時計台
鐘が鳴ります キンコンカン

 空襲で家も親も失った戦災孤児たちが、明るく強く生きていくさまを描いたラジオドラマ、「鐘の鳴る丘」の象徴だった時計台の屋根は、とんがり帽子だった。

 上から見ると眼の形をしているという、丘の上に建つ佐伯眼科からの連絡で、8日の入院が確定した。

 予定より早まった入院は約一週間。単身の僕にとって、その準備に気ぜわしい。必要なものを揃え、散髪に行き、冷蔵庫の整理や部屋の片付けなどなど。特にベランダの植木を枯らさないための水遣りに苦労する。

 そんな時に活躍してくれるのが、ペットボトルと穴の開いたとんがり帽子。水を満たしたペットボトルの口に付けたとんがり帽子を土に差し込むことで、土の渇きを防いでくれる。


昨日にまさる 今日よりも 
明日はもっと 幸せに

 「鐘の鳴る丘」の4番の歌詞のように、手術のあとの明日がもっと明るくなって、幸せになるために、鐘の鳴る丘に行って来ます。 

 入院生活の模様は、できる範囲でケータイでの投稿を試みます。皆様への訪問や、コメントは退院後にさせていただきますので、しばらくご容赦願います。

検査

2009-03-04 22:25:06 | Weblog
白内障の手術にあたり、事前の検査と診察を受けに小田原の佐伯眼科に行った。
 簡単な手続きのあと、午後3時の予約時間ぴったりに始まった検査は手際がよく、しかし事務的ではない。会話にも案内にも心遣いが感じられ、病院にいるという緊張感はない。

 院長は、月・水・金の午後は手術のため、検査後の今日の診察は、美形の女医さん。眼の画像を見るや、やさしげな中にも、なかば呆れたように笑いながら僕の顔を見た。“何故、ここまで放っておいた”と、言いたげな顔。事情を察した僕は言った。「院長先生に横綱と言われました」(笑)

 眼の画像と図を示しながら、丁寧な病状の説明と診断、そして手術の段取りの説明を受けた。それは前回、院長に説明を受けていたことではあるが。。。

 白内障である水晶体の濁りが極度に進み、固まっているという。それを砕いて吸い出すため、水晶体を覆う薄い膜を傷つけることなく行う、難しい手術なのだそうだ。普通は15分ほどの手術時間だが、僕の場合はその倍の30分はかかるらしい。「手術は局部麻酔なので、意識もあり音も聞こえます」と言われた。「ウヮァ~、怖いなぁ」と言うと、「我慢してくださいね」と、ニッコリ♪

 受付での会計のあと、「8日の日曜日には入院できそうなので、準備をしておいてください」。「エッ、そんなに早くできるんですか?」の問に、「院長から早めにと言われていますので」との答え。正式な通知は後日になるが、予定より早い入院にはちょっと慌てる。暫しの間、皆様とはご無沙汰になると思いますが、視力を回復させてまた戻ってきます。

マディソン郡の恋

2009-03-02 23:59:58 | Weblog
 花は散るもの、葉は枯れるもの。陽は昇り陽は沈む。そして季節は巡り、新しい生命が生まれる。世の常である。
 秋に枯れた柏の葉は、春に新芽が出るまでは落葉しないことから、子孫繁栄を願い、端午の節句の柏餅を包むのに用いられるようになったとか。

 人は老い、やがて朽ちる。「自分が死ぬときに“俺の人生はなんと華々しく素晴らしかったのだろう、満足だ、あばよ”と言って死ねるのが一番。そのためには出し惜しみしないで突っ走ることです」と、高齢者の眼疾患治療を支える、小田原の佐伯眼科の佐伯宏三院長は言う。

 61歳での紅白初出場は、紅組史上歴代最高齢記録であり、「団塊世代の星」といわれる秋元順子さんが歌う『マディソン郡の恋』という歌がある。あの『愛のままで』より早く2006年に発売され、僕もCDを持っている。タイトルでおわかりのように、映画「マディソン郡の橋」をモチーフにした歌である。

 片田舎に暮らす平凡な中年の主婦に訪れた、運命の出逢いの四日間。結ばれぬ恋の命は炎(も)え尽きたが、想い出の橋の上から散骨されたふたりは永遠に結ばれる。


枯葉が青葉に蘇る
不思議な恋なの
魔法かしら

 と、大人の恋を歌う彼女の魅力は、中高年に勇気と希望を与えてくれる。悪魔が仕組んだ出逢いと、サタンの接吻(くちづけ)で、しばし大人の世界に浸ってみませんか?

恋人よわれに帰れ

2009-03-01 23:02:37 | Weblog
 BS2で放送された『歌伝説・フランク永井の世界』を見た。僕にとって、フランクさんの歌声は青春そのものであった。
 ジャズ歌手としてデビューし、昨年10月27日に亡くなった、フランク永井さんのデビュー曲が「恋人よわれに帰れ」であることはあまり知られていない。

 大ヒット曲「有楽町で逢いましょう」以前から、あの甘い歌声にしびれ大ファンだった。ジャズのカバー曲である「16トン」や、彼にとっては初めての歌謡曲であり、初めての吉田正作品である「場末のペット吹き」。そして、当時の大卒の初任給を意味する「13,800円」など、どれもリアルタイムで知っている。「有楽町・・・」がヒットしたのは、それからであった。
 数ある彼の歌の中でも僕の好きなベスト5は、いつまでも色あせない名曲「有楽町で逢いましょう」。アコーディオンの伴奏が、シャンソンを思わせ、しゃれた雰囲気を持つ「公園の手品師」。“花ならば 触れずにいたい 好きなほど なおさらに”の歌詞が切ない「わかれ」(この歌は彼のオリジナルではないかもしれない)。先立った妻への、身の置き所のない愛を歌った「妻を恋うる唄」。若い頃の、テクニックに走らない歌唱が新鮮な「場末のペット吹き」。それに続くのが「君恋し」だろうか。
 「君恋し」は、二村定一のヒット曲を、1961年(昭和36年)にジャズ風にカバーし大ヒットした歌だが、翌年の高校卒業のとき、僕のフランク永井ファンを知る友人から、記念品交換として贈られた大切なレコードである。その彼に何を贈ったかは覚えていない。

 今夜の放送を見て、改めてフランク永井という歌手の魅力を再認識させられ、僕の最も好きな歌手であったことに誇りさえ感じた。その歌声は切なく胸を焦がし、過ぎ去りし青春の熱き想いに浸った1時間半だった。『フランク永井』を語ると、きりがないので、この辺でけりをつけよう。今日のブログタイトルは、フランクさんのご冥福を祈り、再び生で聴くことができなくなった甘い歌声に、愛を込めて付けてみた。