ピッカピカの希望に燃えていたかどうかは忘れたが、桜の花の下、胸を躍らせながら母の手に引かれて行った小学校の入学式。
あれから60年に近い歳月が流れた。あの日のことは微かに覚えている。
その母がこの世を去って16年。
病院で僕の到着を待つかのようにして息を引き取った母。
「おかあさん、ゆうじだよ」と声をかけたそのとき、母の目から一筋の涙が流れた。
葬儀のための洋服を着替えに部屋に戻ったとき、突然大きな悲しみに襲われて、ベッドに身を投げ出して号泣したのが昨日のように思い出される。
ドイツでは死後も、100歳、120歳、150歳など「節目」の誕生日を祝う習慣があると聞いた。
母が生きていれば、今年の5月には100歳の誕生日になるはずだ。
母の命日は5月15日、誕生日は5月30日。
息を引き取る数日前の、母の日に持って行った花を見て「みんなの性格が表れている」と言って、それぞれが贈った花を喜んでいたっけ。
あれから60年に近い歳月が流れた。あの日のことは微かに覚えている。
病院で僕の到着を待つかのようにして息を引き取った母。
「おかあさん、ゆうじだよ」と声をかけたそのとき、母の目から一筋の涙が流れた。
葬儀のための洋服を着替えに部屋に戻ったとき、突然大きな悲しみに襲われて、ベッドに身を投げ出して号泣したのが昨日のように思い出される。
母が生きていれば、今年の5月には100歳の誕生日になるはずだ。
母親の涙には
化学で分析できない深く尊い愛情がこもっている
byファラデー
化学で分析できない深く尊い愛情がこもっている
byファラデー
母の命日は5月15日、誕生日は5月30日。
息を引き取る数日前の、母の日に持って行った花を見て「みんなの性格が表れている」と言って、それぞれが贈った花を喜んでいたっけ。