勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

クッション言葉

2007-07-15 02:37:29 | Weblog
 電話があった。催し物(セール)の案内である。店の包装紙が幅を利かせた時代もあった、都内の某有名デパートから・・・。

 名前を確認するや、こちらの事情などお構いなしに電話の主は喋りだした。長々と催し物の説明を始めたのである。話が終らないうちに言った。「今、忙しいのですけど」。その言葉で電話は切れた。相手が何といって切ったかは覚えていない。丁寧な詫びの言葉はなかった。

 先方の事情が見えない電話は、相手への配慮や気配りが大切と心得る。話が長くなりそうなとき、必ず「いま、話してもいいですか?」と聞くことを心がけている。

 以前、知らないところから、セールスの電話があった。やはりこちらの名前を確認するや否や、延々と喋りだした。名前を知っていること自体不愉快だ。切れ目のない話にうんざりして、受話器をテーブルに置いたまま自分の仕事をした。数分して受話器を耳に当てると、まだ喋っている。こんなところから買い物をする人がいるのだろうか。

 『クッション言葉』というのがあるらしい。会話の最初に入れることにより、柔らかい印象を与え、相手の心を和ませる効果があるそうだ。

いくつかのクッション言葉を紹介します。

恐れ入りますが

お手数ですが

よろしければ

せっかくですが

あいにく

残念ながら

おさしつかえなければ

失礼ですが

いつもお世話になっております

申し訳ありませんが

ご面倒ですが

お忙しいにもかかわらず

お言葉を返すようですが

身にあまるお話ですが

etc.

 『江戸の繁盛しぐさ』の著者、越川禮子さんは【訪問しぐさ】のなかで言っている。訪問は予告をすること、不意打ちしぐさはいけない。現代では電話しぐさにも応用する。「突然お電話を差し上げて失礼ですが」「お時間いただけますか」などで、そうしないと、時泥棒になるという。

 クッション言葉は高感度アップにもつながり、話の内容を明確に伝える効果があるそうだ。

蟻の一穴

2007-07-14 03:24:19 | Weblog

◇ 蟻よ ◇

蟻よ
その草が
木に見えるか
その石ころが
岩に見えるか

蟻よ
私は
何に見える

-星野富弘さん-



『蟻の一穴、天下の破れ』
『蟻の穴から堤も崩れる』
『千丈の堤も蟻穴より崩るる』
   
 『些細な不注意から大事を引き起こすこともある』という例えに使われる小さな蟻。しかしその蟻のように小さく無力な者の願いでも、一念が強ければかなえられるという意味の『蟻の思いも天に昇る』ということわざもある。また、『蟻も軍勢』ともいわれる。
 
 三つ指はつけなくても「ありがとう」の言葉で小さな感謝を表すことは難しいことではない。NPOに所属しなくても、ボランティアと名が付かなくても、小さな親切はどこでもできる。

 先日電車内で、自分が眠いのにもかかわらず席を譲ってくれた若者に、こころ癒された。行き先の駅に電車が止まらないことを教えてくれた男性の親切がうれしかった。

 小さな感謝も、小さな親切も、いつか大きな力となって天に昇るかも知れない。一日一度「ありがとう」を言える心を持ちたい。


うれしいときも
悲しいときも
にんげんはすばらしい

-相田みつをさん-

ありがとう

2007-07-13 01:14:45 | Weblog

◇ カトレア ◇

立っていても
倒れても
ここは
あなたの手のひら

-星野富弘さん-

 去る4月2日、新聞に掲載された第7回「60歳のラブレター」の大賞作品 を紹介し、「三つ指」についてお話しました。皆さんから暖かいコメントや楽しいコメントをいただき、思わずニッコリしたものでした。

 ところが昨晩、思いがけず大賞作品を書かれた当事者の宮本和香子さんからコメントをいただき、びっくりしました。楽しい後日談も披露してくださったので、皆様にも紹介させていただきます。


ラブレター (わかちゃん)   2007-07-12 21:02:26

 三つ指の張本人です。実はこれを書いてから三つ指の練習をいたしました。不自然な恰好に夫が「こうやるんだ」と教えてくれました(笑)。いまだにぎこちない三つ指です。でも気持ちはたっぷり込められています。自然とお疲れ様、という優しい心がこみ上げてきますよ。是非皆さんもやってみてください。

 もし、三つ指に抵抗があるとしても、作品に書かれているように、「ありがとう」の一言が素直に言えるようになれたら、きっと優しい心が伝わることでしょう。そしてカトレアの花言葉のような『優雅な女性』になって、愛する人の手のひらにそっと倒れてみてはいかがでしょう。

宝蔵門

2007-07-11 23:39:57 | Weblog
 ほうずき市で賑わった浅草寺境内も、一夜明けると閑散となり、昨日までの賑わいが嘘のよう。
 その浅草寺には3つの門がある。いわずと知れた正面の雷門。雷門を抜けた本堂直前にある宝蔵門。そして国の重要文化財である、浅草神社の鳥居の横、寺の東側に建っている二天門の3つである。
 そのひとつ宝蔵門は二階建てで、仁王像を納めていたところから仁王門と言われたが、文化財の貯蔵庫にもなっているため、宝蔵門というようになったらしい。
昨年4月18日撮影

 その宝蔵門が昨年から改修工事が行われ、一部仁王像の修復工事を除いて、一年以上の歳月をかけて先月末に完成したばかりである。
 高さは雷門の約二倍、22.7m。屋根の広さは二層合わせて約1,080㎡となり、瓦は約4万枚が必要だそうだ。
 その宝蔵門の屋根瓦は、耐震性の確保の為、軽くて耐久性があり、金属素材では最高の耐候性を誇り、酸性雨などによる腐食や変色の心配もないチタンを、世界で始めて採用したという。
屋根の頂上に聳えるチタン製の鬼瓦、浅草にお出かけのときは、見上げてください。

株主総会

2007-07-10 23:08:57 | Weblog
 金髪こと弟のビサイトが、サラリーマンから転じて始めたPC教室。株式会社として立ち上げて、3年が過ぎ4年目に入った。彼の息子夫婦とともに、役に立たない役員として名を連ねている僕だが、そのPC道場ビサイトの株主総会が行われた。と言っても会食だが・・・。
 大株主でもなく、名前だけの役員なので、期待した配当はお預けのようだが、業績も徐々に上がっているようなので、いつの日か貰えるであろう配当を夢見て、宣伝部長でも勤めよう。

 金髪ビサイトは、ブログビサイトICT博物館でもPCテクニックを取り上げています。僕にはちょっと難易度が高いのですが、皆さんの参考になればうれしいです。また質問等にも、解る範囲で答えてくれるそうなので、小さな事でも遠慮なく問い合わせてください。
 息子夫婦と一緒に来た彼の孫、昨年はまだ赤ちゃんだったのに、今年は少し大人びて可愛い笑顔を振りまいてくれた。

酸漿・鬼灯

2007-07-09 19:31:31 | Weblog
酸漿
入谷の朝顔市が終るとすぐ、浅草寺境内ではほおずき市が開かれる。
 酸漿(ほおずき)という漢字はなんと難しい字だろう。鬼灯とも書くらしい。PCで「ほうずき」で変換すると、この字が出てこない。ムム?変だぞ!そうか「ほおずき」か。
売り子の威勢のいい掛け声が響き、境内は大賑い。
 この日にお参りをすると、四万六千日分のご利益があるという。なんとも都合のいい日だ。
 そんないい日を逃すのは勿体ない。でも去年もお参りをしたので、長生きしなくては意味がないか。
ご利益があったのかなかったのか、救急車で運ばれるお年寄りもいた。
 こんなかわいい子に、思わずほっぺを触ってしまった。ほおずきの語源は、種を除いた実を口の中で鳴らすことから、頬を付くという意味があるらしい。市は10日までです。

Kindness

2007-07-08 20:44:31 | Weblog
 早朝に出かけた。日曜日の朝の電車は比較的空いている。しかし座席に座ることは出来ず、一つだけ空いた席に連れに座ってもらい、つり革につかまって話しをしていると、隣に座っていた若者が席を譲ってくれた。思いがけない出来事に「ありがとう」と言ったものの、何故譲ってくれたのだろう?とうろたえながら席に着く。格好だけ若作りをしても、顔を若作りするのを忘れていた。

 その若者、つり革につかまりながら居眠りをしている。「ゴメンね、眠いのに」と言うと「いいえ」と言いながらニッコリ笑う。初めて席を譲られたショックよりも、その好意にうれしい気持ちになった。その若者、降りるときにも会釈をして降りていった。

 乗り換え駅で乗った電車、車内放送が「この電車は急行です」と言った。すると中年の男性が側に来て「これは駒澤大学駅には停まりませんよ」と言ってくれた。電車を待っているとき、駅からの行きかたを話していたのを聞いたらしい。親切なうれしい出来事が2つも続いた事に、朝からいい気分。

 駒沢大学駅からタクシーで行った会場は、駒沢オリンピック公園総合運動場体育館。千春ちゃんが出場するダンス競技会場である。
競技会をはじめて一年に満たない彼女は、出場するたびに実力を付けている。
 しかし今回は持ちクラスより上の、Aクラスでの挑戦のため、惜しくも準決勝の前の2次予選で敗退してしまった。次回を期待しよう。
 競技会は、子供たちのクラスもあり、少年のジュブナイルクラスと、それより下のキッズのクラスがあり、可愛い少年少女たちの見事な演技も見ることができる。
 千春ちゃんカップルは、夕方に行われるラウンドにも出場することになっているが、激励の言葉を残して会場を後にした。

星に願いを

2007-07-07 16:50:28 | Weblog
 
◇ のうぜんかずら ◇

こころは つる草のよう
細く弱いくせに
とんでもないところまで伸びる
やっぱり冒険が好き
豆の木を登る ジャックの夢

 行く先は知らない草ばかり
ふりむけば いくつかの花
私のこころは つる草のよう

-星野富弘さん-


青春
みじかきゆえに
うつくしく

-みつをさん-
<>
マウスオンでどうぞ

 牽牛・織女は、愛し合うあまり、牛を追い機を織る仕事を忘れたため、天帝により年に一度だけの逢瀬を命じられた。
 隅田川に架かる橋の一つ、言問橋の上を通る高速道路からお札が降ってきたという。天からの贈り物かもしれない。残念ながらそのとき僕は橋を遠くから眺めていた。
今宵、天の川には橋が架かるのだろうか?

入谷朝顔市

2007-07-06 09:30:02 | Weblog
今年もやってきた入谷朝顔市の夏。
梅雨晴れの初日は早朝から賑わい、朝顔も誇らしげに咲いている。
仕事場と目と鼻の先で開かれるこの市は、僕にとって見過ごせない行事の一つである。
鬼子母神境内にも鉢が並び
漂う線香の香りに朝顔も酔い
インタビューににこやかに答える人
斬新なファッションで闊歩する人
そしていちばんの人気の花色は、やはり団十郎のようだ。

合歓の花

2007-07-04 23:58:32 | Weblog
 7月に入り、東京もやっと梅雨らしい天気になった。奥の細道で芭蕉が詠んだ、中国の絶世の美女“西施”に例えた合歓の花が、雨に煙りその美しさを際立たせている。
鬱陶しい梅雨空も、時として心が落ち着き、雨音が心地よい子守唄になることもある。

◇ ねむの木の子守唄 ◇

ねんねの ねむの木 ねむりの木
そーっとゆすった その枝に
遠い昔の 夜(よ)の調べ
ねんねの ねむの木 子守歌

うすくれないの花の咲く
ねむの木陰で ふと聞いた
小さなささやき ねむの声
ねんね ねんねと 歌ってた

ふるさとの夜の ねむの木は
今日も歌って いるでしょか
あの日の夜の ささやきを
ねむの木 ねんねの木 子守歌



皇后陛下が聖心女子学院時代に作られた詩
作曲・山本正美さん
編曲・山本直純さん
(山本正美さんは直純さんの奥様です)

合歓の木は、夕方になると眠るようにその葉を閉じ、早朝には再び開くという。
 合歓の花の繊細な花びらも、女性の黒髪も、しっとりと雨に濡れてその美しさを増し、梅雨もまた楽しからずや。今宵は雨音を子守唄に・・・

Good night ♪

2007-07-03 23:38:40 | Weblog

◇ だれもが棘を◇

だれもが
棘を持っています
外に向いているか
内に向いているか
それだけのちがいです

-星野富弘さん-


◇ 朝日新聞 『天声人語』から ◇

 ある落語家が刑務所に慰問に出かけた。受刑者を前に、第一声は「エー、満場の悪人諸君!」 笑う人もいれば「言われる身になれ」と苦る人もいるだろう。人権感覚を疑問視する向きもあるに違いない。だが、こういう場合はえてして、背景やいきさつを知らずに判断すると、的を外すことが多いようだ。
 たとえば落語家が、過去にもその刑務所を訪ね、交流を重ねていたとしよう。それなら荒っぽい毒舌も、親しみをもって感じられるかもしれない。互いの間柄いかんで、言葉は丸くもなれば、とがりもする。
 「地獄へ直行」と書いた紙を廊下に張って、遅刻者の指導をした中学校教諭がいた。「イエローカード」「校長面談」などとも書いた紙に、遅刻の回数に応じて生徒の名を付箋でつけていた。配慮を欠いた指導と問題視され、校長が謝罪する騒ぎになったが、川崎市教委は先ごろ処分を見送った。「生徒との信頼関係の中での指導だった」と判断したそうだ。
 問題が表面化すると、生徒らから市教委に、「先生を責めないで」といったメールが寄せられたという。少々荒っぽい指導でも受け入れる信頼感が、クラスにあったということだろう。(抜粋)

 小田原市では、20代の男性教諭が、実際にはやっていない6年の男児の背中に「僕は、女子更衣室に侵入しようとして失敗したオバカさんです」と書いた紙をはり付け、男児は1ヶ月間不登校になったというニュースもある。
 棘はどこに向けるかによって、痛さも変わってくるだろう。愛情ある棘は心地よい痛さかもしれない。棘のある植物には美しい花も咲く。

 我がブログへのコメントは、刺激のある棘も大歓迎。愛ある棘を「チクリ」と一刺しお待ちします。

許すまじ原爆を

2007-07-02 22:15:43 | Weblog

◇ 長崎の鐘 ◇

サトウ・ハチロー 作詞
古関裕而 作曲

こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る
 

 20代の始めの頃、九州を旅した。長崎平和公園を訪れ、こよなく晴れた青空に聳える平和記念像の前に立ったとき、思わず口ずさんだ歌が「長崎の鐘」 だった。


「長崎の鐘」とともに好きな がある。

◇ 原爆許すまじ ◇

浅田石二 作詞
木下航二 作曲

ふるさとの街やかれ
身よりの骨うめし焼土(やけつち)に
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を
三度(みたび)許すまじ原爆を
われらの街に

ふるさとの海荒れて
黒き雨喜びの日はなく
今は舟に人もなし
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
われらの海に

ふるさとの空重く
黒き雲今日も大地おおい
今は空に陽もささず
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
われらの空に

はらからのたえまなき
労働にきずきあぐ富と幸
今はすべてついえ去らん
ああ許すまじ原爆を
三度(みたび)許すまじ原爆を
世界の上に

 護憲派の宮沢喜一元首相が亡くなられた。防衛庁を防衛省に昇格させ、改憲を推し進めようとする現首相、その首相が選んだ防衛大臣の驚くべき発言。美しい日本よ何処へ行く。

「もう」と「まだ」

2007-07-01 23:19:54 | Weblog

-真理-

生れて   

  老いて

 病んで死ぬ


誰にも避けられない

永遠の真理

真理の中に

生かされている

わたしのいのち

-みつをさん-

 あっという間に半年が過ぎ、新しい月が始まった。今年も、もう半年しかないと思うか、まだ半年あると思うか、人によって様々だろう。人生の最終コーナーを回った我が身にとって、一年一年、いや一日一日一瞬一瞬の大切さを身に染みて感じ、「光陰矢のごとし」を実感している。

兼好はいう。



花は盛りに、
月は隈なきをのみ見るものかは
雨に対(むか)ひて月を恋ひ
垂れこめて春の行方知らぬも
なほあはれに情け深し
咲きぬべきほどの梢
散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ

・ 

『よろずのことも、始め終はりこそをかしけれ』



 桜の花は満開だけを、月は満月だけを見て楽しむべきものだろうか。いや、そうとは限らない。物事の最盛だけを鑑賞することがすべてではないのだ。


 何事においても、最盛そのものではなく、最盛に向かう始めと、最盛を過ぎた終わりとが、味わい深いものなのだ。
 と・・・。(角川書店『徒然草』より)
 味わい深く歳を重ねたとは思えないが、『人生において、最もたいせつな時、それはいつでも、いまです』と相田みつをさんも言っている。終わりに近づいたと思わずに、まだ生かされている。そう思えば毎日が楽しい。