山本太郎議員3
山本太郎氏の問題行動を、くどくど述べたいとは思わない。ただ、一つ、気づいたことがあり、どうしても書いておきたいので書く。これは山本太郎氏一人に当てはまることではなく、一般論でも、あるからである。
なぜ彼が、ああいう行動をしたか、について。
天皇陛下は政治的に中立である。陛下は政治的発言をしない。だから、山本太郎氏は、天皇は政治に関心を持っておらず、政治的に盲目である、と思ったのであろう。しかし、それは、全くの誤りである。陛下は、学習院で、小学、中学、高校、大学と、普通の人と同じように、学ばれれておられる。当然、新聞も読むし、テレビも観ておられる。陛下が、テレビで、何を見ているかは、わからないが、察するに、NHKのニュースや、国会中継、オリンピック、ワールドカップ、時論公論、NHKのドキュメンタリー番組、などを観ておられるのではないかと推測する。みのもんたのワイドショーや、タモリの、笑っていいとも、や、テレビドラマなどは、あまり観ていないと思う。しかし断定は出来ない。相撲や、高校野球なども観ておられると察する。
人は何も喋らない人間を、何も考えていない人間だと思うものである。
天皇陛下は政治的発言を一切しない。だから、山本太郎氏は、天皇は政治に関心を持っておらず、政治的に盲目だと思ったのだろう。しかし、それは全くの見当はずれである。もちろん、陛下は、国際政治学者でもなく、経済学者でもない。だから政治に関しては、学者ほど、深い考察は出来ない。しかし陛下も、新聞やテレビを観て、時事問題に関して、自分なりのお考え、意見は、当然、持っているはずである。日本の象徴である、お方が、日本で起こっている出来事に無関心なはずなど、あり得ない。ただ、陛下は、政治的に中立でなくてはならない、という御自分の立場をわきまえて、おられるから、政治に関する自分の意見は一切、言わないのである。そこで、山本太郎氏は、
何も喋らない人間は、何も考えていない人間である。
という錯覚におちいってしまったのである。山本太郎氏が陛下に見せたのは、原発のことだが、陛下が原発に関して、関心を持っておられないはずなど、あろうはずがない。原発のニュースは、よく見ておられるはずである。新聞でも、原発の記事は熱心に読んでおられるはずである。山本太郎氏の直訴は、まさに釈迦に説法、である。
人は何も喋らない人間を、何も考えていない人間だと思うものである。
これは私が、子供の時から今日まで、身を持って体験していることである。
私は、小学校から、中学、高校、大学、社会人と無口で何も喋らなかった。父親や母親とも、ほとんど話さない。(それは父親や母親があまりにも思考力のレベルが低く、バカで時間の無駄だからである)それは、私の生まれつきの性格で、気が小さく、人に自分の考えを述べたり、自己主張したり、自分の考えを人に押しつけたり、人に説教したりするのが大嫌いで、人前にしゃしゃり出るのが、嫌いだからである。
しかし黙っていると、人は私を何も考えていない人間だと本当に思っていた。特に大学でそれを痛感した。しかし私は人にバカにされても何とも思わない性格である。むしろ嬉しいくらいである。
しかしである。
「喘息=内向性=ものを考える人間=哲学者=自我をもっている」
という法則が、私には、ものの見事に当てはまるのである。
大学二年の哲学の夏休みの宿題で、病気に関して自分の考えをレポートにして提出せよ。という宿題があったから、私は「病気とは何か」と題して、割と長い文章を書いた。皆は、私とは逆に書くことが無くて困っていた。その文章は、このブログの一番最初、2008年4月14日に書いてある。書いた後、それを母親に、見せたら、母親は、「文章に乱れがない。内容が凄く深い」と目を丸くして驚いていた。大学四年の文芸部の文集で、原稿が集まらなかったので、「よかったら、二年の時、書いた哲学のレポート使って」と言って、同級生で文芸部の主将の友人に渡したら、喜んでくれて、それは文集に載った。文集は100部、作って、クラスの皆にタダで配った。そしたら、それを読んだクラスメート達の私を見る目が180度、変わってしまった。無口で何も話さず、何も考えていないバカが、物凄く思索の深い哲学者にかわってしまい、私に対して敬語で話すようになってしまったのである。
「病気とは何か」は、このブログの一番最初、2008年4月14日に書いてあるので、興味のある方は読んでくだされ。
今は、ホームページやブログという便利なものが出来たから、私は、自分の思っていることは、書かなきゃ損だと思っているから、どんどん書いているのである。しかし、私以外で、こんなブログを書いている人は、いないだろう。