家の近くに中学校がある。グラウンドで運動している姿をよく見る。揃いのユニフォームを着て、掛け声を掛けて真面目に野球の練習をしている姿は清々しい。私は中学生に対して複雑な感情コンプレックスを持っている。野球をしている子を見ると、将来、甲子園に出たり、プロ野球選手になって欲しいと思う。大きな夢を持って欲しいと思う。総理大臣とか、学者とか、プロスポーツ選手とか、俳優とか、作曲家とか、要するに、Wikipediaに乗るような人になってほしいと思う。男なら、家業を継ぐ、とか、サラリーマンとか、そんな小さな者には決してなって欲しくない。女の子なら、保母さん、とか、美容師とか、トリマーとか、そんな小さな者になって欲しくないと思う。しかし、皮肉なことに、中学時代から、将来の夢を決め、本気で一心に頑張る生徒とというのも、何か好意を持てない。中学生はやっぱり普通なのが、かわいい。全く矛盾している。間違っても、作文で、「将来は保母さんになりたいです」などと書いて欲しくない。要するに、中学生は、ずっと中学生のままでいて欲しいのである。作文で、「僕は大人になりたくないので、中学校を卒業したら自殺します」と書いて欲しいし、それが、中学生の模範的な作文だと思う。
こうして書いているうちに分ったのだが、中学生は、何にでもなれる可能性を持っているのに、それが大人になるにつれて、限定されていくことがさびしいのである。
さらに言うと、小説では物語のラストは決して人生の終末ではないのである。物語のラストこそが、新しい物語の始まりなのである。新しい未知の波乱の人生が、はじまるのである。そこに現実では出来ない、夢、を残しておけるのである。
こうして書いているうちに分ったのだが、中学生は、何にでもなれる可能性を持っているのに、それが大人になるにつれて、限定されていくことがさびしいのである。
さらに言うと、小説では物語のラストは決して人生の終末ではないのである。物語のラストこそが、新しい物語の始まりなのである。新しい未知の波乱の人生が、はじまるのである。そこに現実では出来ない、夢、を残しておけるのである。