小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

メメント・モリ

2011-10-05 23:07:36 | 考察文
メメント・モリ、(Memento mori)とは、ラテン語で、英語では、memory mortalである。これは、古代のギリシャ人の格言で、「死を忘れるな」という意味である。健康な人間は死を忘れて生きている。明日、生きてられるという保障はないのに。そのように人間は多かれ、少なかれ、自分を欺きながら生きている。もちろん私とてその例外ではない。しかし、その程度は、私は、健康な人よりは、ずっと死を心に中に覚悟して生きているつもりである。物心つくころから起こった喘息。それによる人生と将来に対する悩み。不安。治らない過敏性腸症候群、不眠症、etc。死の準備が出来ているから、私は、癌を告知されても、おそらく動じないだろう。今ままでも真剣に生きてきたつもりだし、これからも真剣に生きるつもりである。

「近代文明は健康者中心の文明である。病人になることは職場や家庭という日常の生活から離れ、社会の第一線から退くことである。生きているということは病気と死を内包しているということである。現代の人々はひとたび病気になれば、人生の悲哀をかみしめることを通りこして周章狼狽し、ノイローゼや精神障害に侵されたりする。
かつて多くの人が結核に罹患し夭折していった。しかし、これら、結核患者は自らの病気に周章狼狽せず、人生を見つめ深い悲哀のなかで生きた。そうして病苦が人生の煩悶と直接結びついていた。時には感受性の高揚は文学、芸術、思想に結晶し、時には病気を恵みとして受ける宗教的心性にまで昇華した。私たちはその例証としてたちどころに多くの文学者、芸術家、思想家、宗教家をあげることができる。これはなにも結核患者に限られるのではない」
(医の哲学)

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切腹

2011-10-05 23:07:02 | Weblog
切腹は美しいと思う。これは理屈では説明できない。物理的に言うなら、切腹ほど、苦痛な、惨たらしい死に方はない。そもそも人間の心は、脳にあるのだが。まあ心臓にあると考えて、胸を突いた方が理にかなっているとも思うし確実に死ねる。もっと楽な死に方もあるが。切腹には介錯が必要で、介錯なしで死のうと思ったら、腹を突いた後、頚動脈を切らねばならない。もしかするとその苦しみに切腹の勇気さを感じているのかもしれない。だが、やはり、これは日本人として生まれ、日本の伝統、文化が身に浸み込んでいるせいだろう。

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