活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

馬鹿の出処 1

2016年05月02日 | 

中国秦の「宦官(かんがん)趙高(ちょうこう)」 は、権力をほしいままにしようとして

試みに鹿を指して馬と呼び、人が鹿を馬と呼ばなければ殺戮(さつりく)を

繰り返しました。


人々は死を恐れて鹿を馬と呼び和し、また趙高は二世を殺し、一時

権力を得ましたが間もなく殺されました。


これが 「馬鹿の出処」 です。

たまたま 「馬鹿」 が禅の世界に歓迎されて、「禅はただ馬鹿になる修行である」

と言われるようになったのです。


趙高死して、余栄ありということです。


因みに禅でいう 「馬鹿」 とは、取捨の念のないことをいいます。

「取捨の念」 とは、悪いものや不用なものを捨て、

良いものや入用のものだけを選び取るということです。


禅の世界では 「潜行(せんこう)密用は、愚のごとく魯(ろ)のごとし」 とは、

「難中の難」 といわれています。


また別の禅語に 「井戸の中に雪を担いで井戸を埋める」 という

お示しがあります。


「馬鹿さ加減」 もここに至っては極まれりです。

本当に 「馬鹿」 のようになって修行する、賢い人ほど 「馬鹿」 には

成り切れないものなのです。