活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

馬鹿の出拠 2

2016年05月03日 | 

私たち衆生は「法」から外れたところで生活している人は一人もいません。

「法の真っ只中」にありながら、「法」が見えないということなのです。

そういうことを 「潜行」 というお言葉で形容しています。



大きな自分に成れるという結果が現れないということは

「潜行密用」 が足らないし、「愚のごとく魯のごとし」 が行われていないからです。

どこかに自分という介在をしているからです。



今の世の中、真面目な修行をすればするほど、なんとなく 「馬鹿」 にされたり、

からかわれたりするものです。


そういう時代のなかで 「祇管(ひたすら)」 に黙々として

「潜行密用は愚のごとく魯のごとし」

ということは大変なことです。


しかし、誰か後を継いでいってもらわないとなりません。


禅語で 「馬鹿」 とは、「不喞溜漢(ふしつりゅう の かん)」 といっています。

「馬鹿に成る」 というのは、妄想、煩悩がなくなるということです。