活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

坐禅を志す人へ1

2016年05月05日 | 坐禅

「坐禅を志す人」 は、今まで色々な事を問題にしていたと思います。

そして、そういうものを皆なくしてしまうのだと思っていることでしょう。

 

「修行」 というと大抵そんなことを考えていると思います。

それだから、「無念無想」 などという 「木石(ぼくせき)」 の如くなる事と思うのです。

「無念無想」 というものは、そういうものではありません。

 

内からも外からもどのようなことがあっても、「総ての物はあるがままの存在」 で

人間(にんげん)の為にあるのではないのです。

「唯 其の物の活動」 なのです。


この身体でも精神作用でも私たち衆生の考えているような、「私が」 と思う

自分の為に存在しているのではないのです。


其の作用を 「無念無想」 というのです。

「私」 という 「錯覚」 を起こして不知不識に 「私が」 と思い込んで迷っているのです。


これを 「顚倒夢想(てんどう むそう)」 と言っています。

しかしながら、実は聞こうと思ったから聞こえるのではなく

「人と環境(六根と六境)」 との必然性なのです。