活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

実相(無相)の姿

2016年05月17日 | 坐禅

「坐禅」 は 「実相(無相)」 の姿です。

自我を無にした証拠です。

 

経論が空論でないことを 「実証」 したものが 「坐禅」 です。

ですから、「坐禅」 というものを借りて、坐禅と一如に成る事によって

「実相は無相である」 ということを 「実証」 していくことが可能なのです。


「坐禅が実相(無相)の姿である」 ということは、「坐禅」 を「坐禅」 によって

徹底して削ぎ落として、始めてそこに現われることです。


「自己を忘じなければ」、決して 「坐禅」 が 「実相(無相)の姿」

だということはわかりません。


「実相(無相)の姿」 がわからなければ、「無明」 とか 「迷い」 の中に

入っても、それが全く邪魔にならないような 「大安心(だいあんじん)」

の境涯を得る事は出来ません。、