活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

馬鹿の修行

2016年05月04日 | 

先般、「馬鹿の出拠」 で 「馬鹿」 について論及しましたが、宝鏡三昧に、

「潜行密用は愚のごとく魯のごとし、ただよく相続するを主中の主と名づく」

とあります。


相続が難しいのです。

時として境にひきつけられ、寝ても覚めても同じというわけにはいきません。


「魔」 がひそかにつけ入るすきをねらっているものですし、逆境にでも逢うと

平生の意気も、守って変えない志も何所吹く風になってしまうものです。


これらは、「馬鹿の修行」 が十分でない證拠なのです。

「潜行」 とは、「不露」 ということです。


際立たないということです。

一体何をしているのか分からないということです。

「修行の臭み」 がないということです。


「凡とも聖(しょう)とも」 分からないのです。

「密用」 は 「不覚」 です。

「悟り」 を忘れてしまうのです。

作用(しごと)に行き詰まることがない、追い払うものがないということです。


「この馬鹿さ加減」は、自修するよりほかはありません。

「山上 更に山あり」 を知って頂きたいところです。