努力 2
2016年05月14日 | 禅
百丈(ひゃくじょう)和尚というお方は、行持が厳格でした。
その百丈和尚が老体になられたので、弟子達がそのお身体を心配し
ある時、作務に出る鍬や鎌をかくしてしまいました。
そのために、百丈和尚は作務に出ることが出来なくなって
その日から食事の時になっても飯台の前に出て来なくなってしまいました。
それが、毎日のようになってしまったもので、弟子達が百丈和尚の室に行って
尋ねると、「一日なさざれば一日食わず」 という一語を以て答えとされたのでした。
そこで弟子達は翌日から隠していた鍬や鎌を出しておくと、百丈和尚は
それを持って大衆(だいしゅ)と一所に作務をやり、飯台に着座して飯を喫すること
常の如くであったそうです。
私たち衆生は 「努力」 にかくの如きの価値あることを発見したなら
楽しんで 「業(ごう)」 につくことができます。
社会へ行くのは恰も 「極楽浄土」 へいくようなものではないでしょうか。