・ 自分で 「実証」 出来るということは、「法」 というものが確かに間違いないもの
という事を自分自身で証明できるということです。
・ 分かる分からないの問題ではありません。
自分が本当に素直に空に成ってさえいればきちんと 「実証」 出来るのです。
・ おシャカ様の 「法」 が本当に正しいものだと証明(実証)するのは自分自身です。
・ 修行するということは、修行によって修行を完全に忘れ尽くすという、
このことの為に修行をするのです。
・ 「今」 をはっきり自分のものにする、知るのではありません。
・ 弟子(参禅者)は、師匠(指導者)を証明し、師匠(指導者)は、弟子(参禅者)を
証明(印可)するのです。 これは「禅」の特色です。
・ 本当に 「嗣法(しほう)」 するということは、すべてのものが 「空」 に成ったということ、
「無」 に成ったということです。
・ 「法」 はどこにでもあるけれども、どこにでもないものです。
だから自分のものにしなければ、どうすることも出来ません。