4月27日付の「日本人はクリエイティブ、なぜ?(1)」では、「最もクリエイティブな国・都市」は日本・東京 でも日本人は自信がない──Adobe調査」という記事に触れながら、世界で日本がいちばんクリエイティブな国と思われているのは、どのようなところがそう思われているのかという問題や、日本人自身は自分たちをクリエイティブだとは思っていないという、世界の見方と自己認識とのギャップの問題を考えた。これについては、日本人は本当にクリエイティブなのか、そうだとしらどうしてかなどいくつかのコメントをいただいた。
世界の主な国に日本人がクリエイティブだとみなされているのは確かだとして、ではなぜクリエイティブなのか。今回はそれを考えたい。その理由はひとつではなく、複合的に説明すべきなのではないか。私にやはり「日本文化のユニークさ6項目」が大いに関係していると思う。
(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。
(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきたこと。
(3)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。
(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった。一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。
(5)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。
(6)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。
このうち(1)(2)(3)は、合わせて一つの理由として考え、(5)(6)も同様に合わせて考えると、三つほどの理由に整理できるかもしれない。
まず第一の理由は、現代日本人に縄文人の心性が地下水脈のようにして受け継がれているということである。その事実がどうして日本人の創造性に関係があるのか。たまたま一昨日、一年以上前に書いた記事にツイートしてくれた方がいた。その記事を読み直したら、まさに縄文的心性と創造性という今回のテーマにぴったりの内容だった。それは次の記事である。
☆『日本力』、ポップカルチャーの中の伝統(2)
記事の内容を要約しながら考えよう。
ケータイにストラップをつけるのは、日本以外ではあまりない。海外では、ケータイは単なる機械だという。しかし日本人は、そこに自分の気持ちを入れる、命を与える。現代の若者はケータイにストラップをつけることを、ただそうしたいから、そうしないと何となく物足りないと感じるからやっているのだろう。しかし、そこに日本人の伝統的な心が働いている。
そういう傾向が、今すこしずつ復活している。ネイルアートも「痛車」も「初音ミク」もそういう傾向の表れかもしれない。ヴォーカロイド「初音ミク」とCGによるこだわりのコラボは、コンピューターのプログラムによってまさに命を吹き込む作業で、かつての職人の心、もっとさかのぼれば縄文人の心が、現代の最先端によみがえっているのかもしれない。
『菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力』で著者アン・アリスンも次のように言う。日本人はケータイに、ブランド、ファッション、アクセサリーとして多大な関心を払い、ストラップにも凝ったりする。そうしたナウい消費者アイテムにも、親しみ深いいのちを感じてしまうのが日本人のアニミズムだ。このように機械と生命と人間の境界があいまいで、それらが新たに自由に組み立て直されていく、日本のファンタジー世界の美学を著者は「テクノ-アニミズム」と呼ぶ。日本では、伝統的な精神性、霊性と、デジタル/バーチャル・メディアという現代が混合され、そこに新たな魅力が生み出されているのだ。
『世界が絶賛する「メイド・バイ・ジャパン」 (ソフトバンク新書)』の基本コンセプトは、オタク文化と製造業の融合だったが、それを一言でいうならまさに「テクノ-アニミズム」ということになるだろう。かつての「たまごっち」というサイバー・ペットの世界的な流行も、日本的な「テクノ-アニミズム」が世界に受け入れられていく先駆けだったといえなくもない。
以上のいくつかの例が示しているのは、現代の最先端のテクノロジーと農耕文明以前の、人類の最古層の心性との、他国ではありえない驚くべき結びつきである。その意外な組み合わせから、世界から見て思いもよらぬアイディアや製品が生まれてくるのだ。農耕文明以前の文化の記憶は、ユーラシア大陸ではほとんど失われてしまっている。ヨーロッパも中国も、お隣の朝鮮半島でさえその例外ではない。だからこうした組み合わせによる発想自体が、日本以外では生まれようがないのだ。そこに日本人の創造性の一つの秘密がある。
ちなみに、日本に牧畜文化が存在しなかったことは、縄文的なアニミズムが存続するひとつの理由になっている。牧畜を行う地域では、人間と家畜との間に明確な区別を行うことで、家畜を育て、やがて解体してそれを食糧にするという事実の合理化を行う傾向がある。人間と、他の生物・無生物との境界を強化するところでは、アニミズム的な心性は存続できないのだ。
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世界の主な国に日本人がクリエイティブだとみなされているのは確かだとして、ではなぜクリエイティブなのか。今回はそれを考えたい。その理由はひとつではなく、複合的に説明すべきなのではないか。私にやはり「日本文化のユニークさ6項目」が大いに関係していると思う。
(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。
(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきたこと。
(3)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。
(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった。一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。
(5)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。
(6)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。
このうち(1)(2)(3)は、合わせて一つの理由として考え、(5)(6)も同様に合わせて考えると、三つほどの理由に整理できるかもしれない。
まず第一の理由は、現代日本人に縄文人の心性が地下水脈のようにして受け継がれているということである。その事実がどうして日本人の創造性に関係があるのか。たまたま一昨日、一年以上前に書いた記事にツイートしてくれた方がいた。その記事を読み直したら、まさに縄文的心性と創造性という今回のテーマにぴったりの内容だった。それは次の記事である。
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記事の内容を要約しながら考えよう。
ケータイにストラップをつけるのは、日本以外ではあまりない。海外では、ケータイは単なる機械だという。しかし日本人は、そこに自分の気持ちを入れる、命を与える。現代の若者はケータイにストラップをつけることを、ただそうしたいから、そうしないと何となく物足りないと感じるからやっているのだろう。しかし、そこに日本人の伝統的な心が働いている。
そういう傾向が、今すこしずつ復活している。ネイルアートも「痛車」も「初音ミク」もそういう傾向の表れかもしれない。ヴォーカロイド「初音ミク」とCGによるこだわりのコラボは、コンピューターのプログラムによってまさに命を吹き込む作業で、かつての職人の心、もっとさかのぼれば縄文人の心が、現代の最先端によみがえっているのかもしれない。
『菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力』で著者アン・アリスンも次のように言う。日本人はケータイに、ブランド、ファッション、アクセサリーとして多大な関心を払い、ストラップにも凝ったりする。そうしたナウい消費者アイテムにも、親しみ深いいのちを感じてしまうのが日本人のアニミズムだ。このように機械と生命と人間の境界があいまいで、それらが新たに自由に組み立て直されていく、日本のファンタジー世界の美学を著者は「テクノ-アニミズム」と呼ぶ。日本では、伝統的な精神性、霊性と、デジタル/バーチャル・メディアという現代が混合され、そこに新たな魅力が生み出されているのだ。
『世界が絶賛する「メイド・バイ・ジャパン」 (ソフトバンク新書)』の基本コンセプトは、オタク文化と製造業の融合だったが、それを一言でいうならまさに「テクノ-アニミズム」ということになるだろう。かつての「たまごっち」というサイバー・ペットの世界的な流行も、日本的な「テクノ-アニミズム」が世界に受け入れられていく先駆けだったといえなくもない。
以上のいくつかの例が示しているのは、現代の最先端のテクノロジーと農耕文明以前の、人類の最古層の心性との、他国ではありえない驚くべき結びつきである。その意外な組み合わせから、世界から見て思いもよらぬアイディアや製品が生まれてくるのだ。農耕文明以前の文化の記憶は、ユーラシア大陸ではほとんど失われてしまっている。ヨーロッパも中国も、お隣の朝鮮半島でさえその例外ではない。だからこうした組み合わせによる発想自体が、日本以外では生まれようがないのだ。そこに日本人の創造性の一つの秘密がある。
ちなみに、日本に牧畜文化が存在しなかったことは、縄文的なアニミズムが存続するひとつの理由になっている。牧畜を行う地域では、人間と家畜との間に明確な区別を行うことで、家畜を育て、やがて解体してそれを食糧にするという事実の合理化を行う傾向がある。人間と、他の生物・無生物との境界を強化するところでは、アニミズム的な心性は存続できないのだ。
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「テクノ-アニミズム」は確かに日本人の18番だと思います。ただ,「クリエイティブ」と言われる一方「奇妙」とも思われているようで,私としては「日本人はクリエイティブ」と言っていいのか迷うところです。
クリエイティブだとはどういうことかということの定義の問題だと思います。世界にとって何か新しいものを生み出すことをクリエイティブと定義するなら、日本は確実にクリエイティブでしょう。その理由のひとつが、人類にとってもっとも古い層と最先端の組み合わせによるというわけです。しかし、単に古いものと最先端と古いものが併存するだけではクリエイティブにはなりません。そこに別の要素が複合的にからんできます。この点については次のブログで触れます。
>日本人がその性質としてクリエイティブかどうかは知りませんが、ニコニコ動画などを見てると、日本人は創作活動に、より時間を割いていると感じます。踊ったり、歌ったり、作曲したり、俳句作ったり、工作したり、物語を作ったり。
おっしゃることは、確かに日本人の創造性の一因になっていると思います。大衆の層と質の厚さ、中間層の力、とでもいいましょうか。そしてこれもまた「日本文化のユニークさ」6項目のひとつにからんできます。これについてはブログで詳しく語ります。
やはり、外国人の目から見てどうかということなのですね。日本人にとってのクリエイティブの基準と異なるから、アンケートでは日本人が自信がないような結果になったのだと思います。
日本人は日本にとって何か新しいものを生み出すことをクリエイティブと定義していると思います。
>やはり、外国人の目から見てどうかということなのですね。
「世界にとって」は、ことさら日本以外の世界と限定したわけではありません。
初音ミクは世界にとっても日本にとってもクリエイティブとは感じませんか。世界にとっての方が驚きが大きいかもしれませんが。
私が拘っているのは、日本が「他国より」クリエイティブかどうかということです。決して日本が他国より劣っていると思っているわけではありません。
我ながら細かい上にしつこいと感じますが、日本人が日本人の能力を評価するという自画自賛には慎重であるべきだと思いますので。「我々はクリエイティブ性に富んだ民族である」って台詞を他国人が公式発言したら「あいつら自惚れてる」って思います。
外国人から「日本人はクリエイティブだね」って言われたら、私的には「日本人が特別その様な性質を持つわけではありませんが、大陸と異なる価値観、宗教、伝統を持っていますので、外国から見ると目新しく感じることもあるかもしれません。また、外国より経済的に恵まれているため、その様な活動に勤しむ機会が多いのもあるかもしれません。」くらいの説明が妥当ではないかと思っております。
勿論、日本人が他国人より民族的にクリエイティブである証明が可能であれば別ですが。
>私が拘っているのは、日本が「他国より」クリエイティブかどうかということです。
名無しさんが何を危惧しているのかよくわかりました。重要なご指摘だと思います。もっと一般的に言うと、あまり根拠なしに日本人は優れていると主張するのはエスノセントリズム、自民族中心主義に陥ることだと思います。その辺は十分に慎重であるべきだと思います。
一方で、他国が日本人はクリエイティブだと思っているのに、自分たちは他国よりクリエイティブではないと思っているという、自己評価の不当な低さも問題だと思います。その裏返しが、外国は何でも素晴らしいという外国崇拝につながり、要するにまだ辺境人根性から抜け出ていない部分がこういうところに出ているのだと思います。
ともあれ、ひとつの文化が創造的であるかどうかは客観的に判断できない部分があるので、この辺の発言は慎重にならないと、誤解されると思いました。ありがとうございます。
人がクリエイティブと感じるものとは、自分では思いもよらない概念や方法、或いは感性で作られたものであると思います。ですから、日本人にとっては西洋人の作ったもの、西洋人にとっては日本人が作ったものにクリエイティブ性を感じるのは何ら不思議では無いのではないでしょうか?
私は日本人が自分達をクリエイティブと感じていないのは、日本社会に大きな衝撃を与えるようなものは日本人からよりも外国からもたらされるせいだと思います。日本のものが海外で評価されるかどうかは日本人にとっては関係ないです。
他国人が自分達をクリエイティブだと思っている理由はよくわかりません。それこそクリエイティブの定義が違うからなのか、或いは多民族社会であるためなのかもしれません。
>しかしクリエイティブかどうかは主に主観に基づく概念なので、高い低いと議論するなら他国と比較することになるのではないかと考えました。
このような見方があり、またこの点に関して十分に慎重にならないと、自民族中心主義に陥るという戒めの意味でも、参考になりました。
同時に「震災後、日本は何を生み出すのか」やこれまで書いてきたすべてに関係するのですが、これまでの日本の歴史、地理的条件、風土から生み出されてきた文化が、今後世界にとって重要な意味をもつかもしれないという仮説は、大切にしていきたいと思います。それを検証するのが、このブログを立ち上げた理由のひとつです。創造性についての議論も、このテーマを考える一要素として考えていきたいと思います。