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マンガ・アニメと日本の伝統

2012年05月19日 | マンガ・アニメの発信力の理由
前回(15日付)の「日本人はクリエイティブ、なぜ?(4)」で、日本のマンガ・アニメに「相対主義的な価値観にたった作品」が多いことに触れたが、これについて、

「私はこれを先の大戦で負けたことによって,それまでの価値観が全否定されたことに対する反論であるのかと思っておりましたが,もっと昔から「相対主義的な価値観にたった作品」を作っていたのでしょうか?」

というコメントをいただいた。これも、とても興味深い問いなので、十分な答えになるかどうか分からないが、ここで触れてみよう。まず大戦中の価値観への反動として相対主義的な価値観の作品が作られるようになったという面も確かにあるであろう。しかし、相対主義的な価値観そのものが日本文化の伝統に属していることも確かだろう。

では、昔からそのような価値観にたった作品が作られていたのだろうか。その場合、昔とはいつの時代からを指して言えばよいのか。マンガやアニメについて言えば、映画的な手法も取り入れ、現代のような複雑なストーリーをもった作品が作られるようになったのは、手塚治虫などを中心とする戦後の現象だから、戦中、戦前やましてそれ以前については、あまり比較にならない。

もし「相対主義的な価値観にたった作品」がたんなる戦後の現象ではなく、日本の伝統に根ざしているのかどうかを問うなら、江戸時代以前の文学作品を参考にするほかないだろう。そして、その範囲でなら、絶対的な価値観や原理原則を重視しない日本文化の特徴が、かなり色濃く日本の文学作品に反映しているといえよう。

「日本文化のユニークさ」の5番目、「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった」であったが、それは日本人が宗教的な絶対的な正義に一種の拒否反応をもっていたことと重なる。

聖徳太子の神仏習合思想以来、日本人は絶対的正義感から自由になったのだともいえる。もちろん日本人も正義感を大切にするが、それは多くの宗教に見られるような絶対的なものではない。むしろそれは、自分たちが所属する社会や、居合わせる「場」の状況によって変化する。悪くすれば迎合主義になるかもしれないが、時代の変化に合わせて価値観や正義感が変わっていくという事実を日本人は抵抗なく受け入れる。そいいう相対主義的な物の見方を日本人は自然に身につけていたのではないか。

「永遠の絶対的な原理」などないという日本人の感覚は、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返されたという、日本の自然条件とも関係するだろう。それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。」(『方丈記』)

という無常への詠嘆は、人の権力の盛衰を前にしても繰り返される。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。裟羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。」(『平家物語』)

「盛者必衰の理」は、権力が人々に押し付ける「正義」の無常にもつながっていた。すべては滅びゆくという無常感や「もののあわれ」の感覚は、日本文学の底流をなす美学だった。それは、日本人の相対主義的な物の見方と深くかかわっていたはずである。少なくとも両者は、一神教世界に見られるような「絶対的正義感」や「永遠の美学」とは、もっとも縁遠いところに位置した。

現代のマンガやアニメが、日本人の伝統的な無常観をストレートに受け継いでいるというのではない。しかし、日本人が伝統的にもっていた自然観や人間観が、どこかでマンガやアニメに反映されているのも確かだろう。そのひとつが相対主義的な価値観なのである。

《関連記事》
日本人はクリエイティブ、なぜ?(1)
日本人はクリエイティブ、なぜ?(2)
日本人はクリエイティブ、なぜ?(3)
日本人はクリエイティブ、なぜ?(4)

《参考図書》
★『偶然を生きる思想―「日本の情」と「西洋の理」 (NHKブックス)
★『日本型ヒーローが世界を救う!
★『世界カワイイ革命 (PHP新書)
★『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
★『日本の曖昧力 (PHP新書)


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8 コメント

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Unknown (pu)
2012-05-20 00:25:54
私が最近興味を持ってるのは祟り神という考え方ですね。
日本は世界からすれば小さい国土なのに、過去世界で起きた災害の1割がここで起こっています。
自然崇拝という自然を信仰している中で、その自然に頻繁に苦しまれるという矛盾が生んだものが祟り神の考え方じゃないのかなと思っています。
災いを起こしていたものがいつの間にか守り神という信仰の対象になるというのは日本の漫画やアニメの中の悪役がいつの間にか味方になったり、実はそっちが正義だったという海外で評価されている日本の善悪の曖昧さに繋がってると思います。
一神教の絶対的支配者の神が起こす天罰とは違う、日本のたくさんいる神々の中にそういう存在が同列に交じっているというのは大変興味深いです。
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返答ありがとうございます (名無し)
2012-05-20 01:00:49
私も始めに思い浮かべたのは平家物語でした。それに方丈記ですか。どちらも鎌倉時代辺りの作品ですね。もののあはれが相対的価値観作品の源流というのであれば源氏物語も該当するかもしれません。実は江戸時代の作品が思い当たらないのです。儒教の影響が強いせいだからですかね。明治大正辺りも無さそうです。国家神道やプロレタリアート文学のせいでしょうか。こうして考えると相対的価値観の作品を再び作り始めたのは実に800年ぶりになるのかもしれません。
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江戸時代も (cooljapan)
2012-05-20 10:52:04
名無しさんへ

江戸時代は、確かに儒教が幕府によって奨励され「勧善懲悪」が表面に出てくる傾向がありますが、底流ではやはり無常観やもののあわれが絶えることはなかったといえないでしょうか。たとえば芭蕉の『奥の細道』のあまりに有名な「月日は百代の過客(はくたいのかかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。」も強い無常観を表出していますし、彼の俳句も伝統的な日本人の感性の上に成り立っています。「物語」などの作品ではなくとも、本居宣長などによる日本的な感性を見直そうという動きも見逃せません。
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怨霊思想 (cooljapan)
2012-05-20 10:55:51
puさんへ

>一神教の絶対的支配者の神が起こす天罰とは違う、日本のたくさんいる神々の中にそういう存在が同列に交じっているというのは大変興味深いです。

面白いご指摘ですね。これをヒントに、ブログの方で、日本人の相対的な価値観と怨霊思想との関係を考えてみたいと思います。

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芭蕉 (名無し)
2012-05-20 16:10:47
なるほど。確かに無情感という意味で奥の細道は当てはまりますね。しかし、「相対的な価値観にたった作品」とは、つまり「諸行無常を底流とした作品」と言い換えてもいいんでしょうか?今の漫画アニメは諸行無常を底流として作られているって言われると、確かに間違ってはいないし、一つの捉え方だと思います。でも、なんだか赤と朱くらいの違いのあることを言っているような気もします。小説の例が思い浮かばないせいかもしれませんが。
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私の方法論 (cooljapan)
2012-05-20 23:13:56
>でも、なんだか赤と朱くらいの違いのあることを言っているような気もします。小説の例が思い浮かばないせいかもしれませんが。

私の方法論は、これまで読んでいただいた印象でも感じ取ってはいただいていると思いますが、ものごとをできるだけ総合的、多面的にとらえるということです。

個々の分野や作品だけでははっきり見えてこないが、他の側面も見ながら総合的にとらえると、ある程度はっきりした像が浮かび上がってくるのではないかということです。

江戸時代の作品だけでははっきり見えないにしても、全体を多角的に見ると、確かにそういえそうだという像を浮かび上がれせればと思います。

また、ブログの方で、「日本文化全体を他の視点からも見ると、やはり相対主義的な物の見方が一貫している」、言えるよう書いてみようと思います。
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Unknown (名無し)
2012-05-21 00:24:17
>聖徳太子の神仏習合思想以来、日本人は絶対的正義感から自由になったのだともいえる。もちろん日本人も正義感を大切にするが、それは多くの宗教に見られるような絶対的なものではない。

わりと上に書かれているようなことを言う人がいるのですが、一向宗信徒はかなりのものであったと思います。自分は、織田信長の、比叡山焼き討ち掃討と一向宗信徒殲滅が日本における絶対宗教の終わりだと思っています。その後、ローカルでは島原の乱に代表される、隠れキリシタンに見られるような宗教への情熱的な熱意をもった人たちがいましたが、全国的なものには遂になりませんでしたし。
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宗教戦争 (cooljapan)
2012-05-21 23:36:31
名無しさんへ

>その後、ローカルでは島原の乱に代表される、隠れキリシタンに見られるような宗教への情熱的な熱意をもった人たちがいましたが、全国的なものには遂になりませんでしたし。

日本のキリスト教徒は、近代以降ほぼ人口の1パーセント前後だそうですが、ザビエルなどの宣教師たちが盛んに布教していたころも5パーセントぐらいだったと記憶しています。しかし、日本人でもキリスト教徒となると、一神教的な激しさに感染するのでしょうね。

ともあれ、権力と宗教の争いはあっても、本格的な宗教戦争(宗教同士の戦争)は日本にはほとんどなかったようです。
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