昨日『日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
』のレビューをアップしたが、実はこれはだいぶ以前に書いたもので、なぜかこのブログにアップしていなかったことに気づき、遅ればせながら掲載した。
先に歴史学者・会田雄次の『合理主義(講談社新書)
』に触れて、日本人は自分たちの過去を全否定することで、逆に海外の進んだ文明を驚くべき速さで学び取るエネルギーにしてきた面があることを確認した。
私がこの「クールジャパン★cooljapan」というブログを立ち上げ、考察を続けている理由のひとつは、日本人の、自らの文化や社会を卑下し、裏返しに欧米をやたらに崇拝する傾向が不愉快だからであり、それがいかに日本文化の事実に反する態度であるかを示したかったからだ。ただ、会田雄次が指摘するように、日本人のそのような傾向が、海外の高度文明を吸収するための巨大なエネルギーになってきたことは確かなのだろう。中国やインドは、「自国の高い文明によりかかりすぎ、新しくはいってくる外国の文化ををばかにし、拒否するという態度が強すぎた」のだという。日本人の自虐的な傾向が逆に長所にもなっていたという見方は、いままで私の中になかった。
一方で、これに関連して私の中に問うべき課題が生まれた。ではなぜ日本人は、自らの過去を否定したり、自分たちを卑下したりする傾向が強いのか。それで思い出したのが、『日本人はなぜ日本を愛せないのか』という本であり、調べていたらまだこの本の書評をここにアップしていなかったことに気づいたわけだ。
ところで昨日アップしたレビューを読み直して、著者の鈴木孝夫が「日本人はなぜ日本を愛せないか」というこの問いに結局どう答えているのか、レビューの中でははっきり述べていないことに気づいた。
著者の答えはこうだ。日本は、大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略されたことがない。それゆえ外国の負の面に直面せず、その文化の良い面だけを取り入れて独自の文明を発達させることができた。これを著者は「部品交換型文明」と表現する。それは、外国の文明はなんでも優れているという自己暗示を生み出し、その暗示のため、逆に日本の本当の良さは見えなくなる。欧米の文明は何でも良いとし、欧米の価値観で自己のすべてを判断するならば、自分たちの歴史や文化が劣ったものと見えてきても不思議ではない。
今、この本がどこかにまぎれて見つからず、本にあたって確認はしていないのだが、だいたいこんな理由だったと思う。この考察に私もほとんど同意するが、もう一歩踏み込んだ言い方もできそうな気がしている。この点については、次回に考えてみたい。
先に歴史学者・会田雄次の『合理主義(講談社新書)
私がこの「クールジャパン★cooljapan」というブログを立ち上げ、考察を続けている理由のひとつは、日本人の、自らの文化や社会を卑下し、裏返しに欧米をやたらに崇拝する傾向が不愉快だからであり、それがいかに日本文化の事実に反する態度であるかを示したかったからだ。ただ、会田雄次が指摘するように、日本人のそのような傾向が、海外の高度文明を吸収するための巨大なエネルギーになってきたことは確かなのだろう。中国やインドは、「自国の高い文明によりかかりすぎ、新しくはいってくる外国の文化ををばかにし、拒否するという態度が強すぎた」のだという。日本人の自虐的な傾向が逆に長所にもなっていたという見方は、いままで私の中になかった。
一方で、これに関連して私の中に問うべき課題が生まれた。ではなぜ日本人は、自らの過去を否定したり、自分たちを卑下したりする傾向が強いのか。それで思い出したのが、『日本人はなぜ日本を愛せないのか』という本であり、調べていたらまだこの本の書評をここにアップしていなかったことに気づいたわけだ。
ところで昨日アップしたレビューを読み直して、著者の鈴木孝夫が「日本人はなぜ日本を愛せないか」というこの問いに結局どう答えているのか、レビューの中でははっきり述べていないことに気づいた。
著者の答えはこうだ。日本は、大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略されたことがない。それゆえ外国の負の面に直面せず、その文化の良い面だけを取り入れて独自の文明を発達させることができた。これを著者は「部品交換型文明」と表現する。それは、外国の文明はなんでも優れているという自己暗示を生み出し、その暗示のため、逆に日本の本当の良さは見えなくなる。欧米の文明は何でも良いとし、欧米の価値観で自己のすべてを判断するならば、自分たちの歴史や文化が劣ったものと見えてきても不思議ではない。
今、この本がどこかにまぎれて見つからず、本にあたって確認はしていないのだが、だいたいこんな理由だったと思う。この考察に私もほとんど同意するが、もう一歩踏み込んだ言い方もできそうな気がしている。この点については、次回に考えてみたい。
自らが生まれ育ってきた故郷を
愛することが不足してるのかもしれません
日本中に溢れる小京都
そして現代のミニ東京
日本はいつかミニアメリカになるのでしょうか