日本文化のユニークさの根底をなすものを何かを、これまでの三点から、四点にすることを述べた。
(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。
(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。
(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。
(4)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかったこと。
そして前回、前の三点がすべて、(4)の特徴の理由になっていることを示唆した。というよりも、これまでも折に触れて述べてきた。もう一度ここにまとめておこう。
《1》現代日本人の心には、縄文時代以来の自然崇拝的、アニミズム的、多神教的な傾向が、無意識のうちにもかなり色濃く残っており、それがキリスト教など一神教への、無自覚だが根本的な違和感をなしている。
日本列島で一万年数千年も続いた縄文文化は、その後の日本文化の深層としてしっかりと根をおろし、日本人のアニミズム的な宗教感情の基盤となっている。日本人の心に根付く「ソフトアニミズム」は、キリスト教的な人間中心主義とは違い、身近な自然や生物との一体感(愛)を基盤としている。日本にキリスト教が広まらなかったのは、日本人のアニミズム的な心情が聖書の人間中心主義と馴染まなかったからではないのか。
西洋文明は、キリスト教を背景にして強固な男性原理システムを構築した。それはしばしば暴力的な攻撃性をともなって他文化を支配下に置いた。男性原理的なキリスト教に対して縄文的な基層文化は、土偶の表現に象徴されるようにきわめて母性原理的な特質を持っている。その違いが、日本人にキリスト教への直観的に拒否反応を起こさせたのだともいえよう。
《2》キリスト教は、遊牧民的ないし牧畜民的な文化背景を強くにじませた宗教であり、牧畜文化を知らない日本人にとっては、根本的に肌に合わない。絶対的な唯一神とその僕としての人間という発想、そして人間と動物とを厳しく区別する発想の宗教が、縄文的・自然崇拝的心性には合わない。
この点については、すでに日本文化のユニークさ04で、『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公新書 (92))』などを中心にして論じたとおりだ。
《3》ユーラシア大陸の諸民族は、悲惨な虐殺を伴う対立・抗争を繰り返してきたが、それはそれぞれの民族が信奉する宗教やイデオロギーの対立・抗争でもあった。その中で、自民族をも強固な宗教などによる一元支配が防衛上も必要になった。キリスト教、イスラム教、儒教などは多少ともそのような背景から生じ、社会がそのような宗教によって律せされることで「文明化」が進んだ。
しかし、日本はその地理的な条件から、異民族との激しい対立・抗争にも巻き込まれず、強固なイデオロギーによって社会を一元的に律する必要もなかった。だから儒教も仏教も、もちろんキリスト教も、社会を支配する強力なイデオロギーにはならなかった。
日本にもキリスト教は伝来したが、この宗教は日本列島にはほとんど定着することができなかったもうひとつの理由は、この時期に日本がキリスト教国による植民地化を免れたからだろう。つまり暴力的な押しつけができなかった。である以上、キリスト教が日本に広まることは不可能であった。キリスト教は、日本の基層文化にとってあまりに異質なために受け入れ難く、また受け入れやすく変形することも難しかったのである。
したがって、日本文化には農耕・牧畜文明以以前の自然崇拝的な心性が、圧殺されずに色濃く残る結果となった。要するにユーラシア大陸に広がった「文明化」から免れた。ヨーロッパで、キリスト教以前のケルト文化などが、ほとんど抹殺されていったのとは、大きな違いである。
一神教は、砂漠の遊牧文化を背景として生まれ、異民族間の激しい抗争の中で培われた宗教である。牧畜・遊牧を知らない縄文文化と稲作文化とによってほぼ平和に一万数千年を過ごした日本人にとってキリスト教の異質さは際立っていた。キリスト教的な男性原理を受け入れがたいと感じる心性は、現代の日本人にも連綿と受け継がれているのである。
日本文明は、母性原理を機軸とする太古的な基層文化を生き生きと引き継ぎながら、なおかつ近代化し、高度に産業化したという意味で、文明史的にもきわめて特異な文明なのである。
日本発のマンガ・アニメは、その特異さ、ユニークさを何らかの形で反映した、不思議な魅力を放つがゆえに、世界に受け入れられたという面があるのではないか。
(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。
(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。
(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。
(4)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかったこと。
そして前回、前の三点がすべて、(4)の特徴の理由になっていることを示唆した。というよりも、これまでも折に触れて述べてきた。もう一度ここにまとめておこう。
《1》現代日本人の心には、縄文時代以来の自然崇拝的、アニミズム的、多神教的な傾向が、無意識のうちにもかなり色濃く残っており、それがキリスト教など一神教への、無自覚だが根本的な違和感をなしている。
日本列島で一万年数千年も続いた縄文文化は、その後の日本文化の深層としてしっかりと根をおろし、日本人のアニミズム的な宗教感情の基盤となっている。日本人の心に根付く「ソフトアニミズム」は、キリスト教的な人間中心主義とは違い、身近な自然や生物との一体感(愛)を基盤としている。日本にキリスト教が広まらなかったのは、日本人のアニミズム的な心情が聖書の人間中心主義と馴染まなかったからではないのか。
西洋文明は、キリスト教を背景にして強固な男性原理システムを構築した。それはしばしば暴力的な攻撃性をともなって他文化を支配下に置いた。男性原理的なキリスト教に対して縄文的な基層文化は、土偶の表現に象徴されるようにきわめて母性原理的な特質を持っている。その違いが、日本人にキリスト教への直観的に拒否反応を起こさせたのだともいえよう。
《2》キリスト教は、遊牧民的ないし牧畜民的な文化背景を強くにじませた宗教であり、牧畜文化を知らない日本人にとっては、根本的に肌に合わない。絶対的な唯一神とその僕としての人間という発想、そして人間と動物とを厳しく区別する発想の宗教が、縄文的・自然崇拝的心性には合わない。
この点については、すでに日本文化のユニークさ04で、『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公新書 (92))』などを中心にして論じたとおりだ。
《3》ユーラシア大陸の諸民族は、悲惨な虐殺を伴う対立・抗争を繰り返してきたが、それはそれぞれの民族が信奉する宗教やイデオロギーの対立・抗争でもあった。その中で、自民族をも強固な宗教などによる一元支配が防衛上も必要になった。キリスト教、イスラム教、儒教などは多少ともそのような背景から生じ、社会がそのような宗教によって律せされることで「文明化」が進んだ。
しかし、日本はその地理的な条件から、異民族との激しい対立・抗争にも巻き込まれず、強固なイデオロギーによって社会を一元的に律する必要もなかった。だから儒教も仏教も、もちろんキリスト教も、社会を支配する強力なイデオロギーにはならなかった。
日本にもキリスト教は伝来したが、この宗教は日本列島にはほとんど定着することができなかったもうひとつの理由は、この時期に日本がキリスト教国による植民地化を免れたからだろう。つまり暴力的な押しつけができなかった。である以上、キリスト教が日本に広まることは不可能であった。キリスト教は、日本の基層文化にとってあまりに異質なために受け入れ難く、また受け入れやすく変形することも難しかったのである。
したがって、日本文化には農耕・牧畜文明以以前の自然崇拝的な心性が、圧殺されずに色濃く残る結果となった。要するにユーラシア大陸に広がった「文明化」から免れた。ヨーロッパで、キリスト教以前のケルト文化などが、ほとんど抹殺されていったのとは、大きな違いである。
一神教は、砂漠の遊牧文化を背景として生まれ、異民族間の激しい抗争の中で培われた宗教である。牧畜・遊牧を知らない縄文文化と稲作文化とによってほぼ平和に一万数千年を過ごした日本人にとってキリスト教の異質さは際立っていた。キリスト教的な男性原理を受け入れがたいと感じる心性は、現代の日本人にも連綿と受け継がれているのである。
日本文明は、母性原理を機軸とする太古的な基層文化を生き生きと引き継ぎながら、なおかつ近代化し、高度に産業化したという意味で、文明史的にもきわめて特異な文明なのである。
日本発のマンガ・アニメは、その特異さ、ユニークさを何らかの形で反映した、不思議な魅力を放つがゆえに、世界に受け入れられたという面があるのではないか。
西洋では、友情といっても、性悪説がベースですから、心の底から友を信じるという設定が無いのです、聖書によれば、神の信頼さえ裏切ったアダムの子孫には、付き合い程度の友情はあっても、日本の性善説ベースの深い友情は、西洋の青少年にとっては、目を見張るほど素晴らしいと同時に、人を信じる事の出来る世界は、
どれほど魅力的に見える事か・・!
性悪説と性善説という比較も興味尽きません。その背景にユダヤ教・キリスト教などの宗教、聖書の考え方があるというのも、面白く思います。
そしてさらにその背景には、異民族間の戦争を繰り返した歴史があるかもしれません。
いかがお考えでしょうか。
おっしゃる通りだと思います。徳川家康も、最初はキリシタンを黙認する姿勢のようでした。そのためキリスト教はかなりの勢いで本州にも広がり、やがてそれを警戒した家康は禁止令を出し、次第に強化していったのでしょう。宣教師が、とくに情報収集の面で日本侵略の片棒をかついでいたのも事実でしょう。秀吉も家康も、その辺に気づいていたのではないか。禁止が行なわれなければ、日本が当時の中南米の国々のようになっていた可能性も充分考えられます。
現代の欧米諸国も、日本を取り巻く国々も、これまでの歴史的な経験から、そうとうにしたたかな国家戦略とそれを実行する力をもっていますが、今の日本の政治家たちは、こうした問題への洞察力も対応する戦略も、まして実行する力も、なきに等しいでしょうね。大国に翻弄されるままのように見えます。
現代の日本に、危機への洞察力と対応する実行力をもった政治家の出現が、切望されるにもかかわらず、期待うすなのが悲しい。
一体神」の考えは、無かった。
☆ヨハネによる福音書の10・34~36に、下記の様に書かれている。
10・34
イエスは彼らに答えられた、
「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と
書いてあるではないか。
10・35
神の言を託された人々が、神々といわれておるとすれば、
(そして、聖典は無視できない)
10・36
それならば、父によって聖化されて世に遣わされてきたわたしが、
「わたしは神の子である」と言ったからとて、
どうして神を冒涜したと責められるのか。
・ これは、イエス・キリストが、神は一神ではなく神々(多神)の
存在である。
それは、貴方たちの聖典・律法に神々(多神)と書かれているでは
ないか、だから、
わたし(イエス・キリスト)は、神々・多神である神を冒涜していること
にはならない。
つまり、
『父なる神』から遣わされて来て「わたし(イエス・キリスト)は『神の
子』である」と言っても
神々・多神の存在の中において、
神々・多神の冒涜にはならない(貴方達も私も、聖典・律法は無視
することはできない)・・・と主張しているのである。
イエス・キリストには、「三位一体神」などという考えはなかった。
あくまで一つ一つの神々、つまり多神と考えていた。
神々・多神の中に、『父なる神』や自分自身も『神の子』としても考え
ていた。
貴方達の聖典にも書くかれていて、私も信じるその聖典に書れて
いる神々・多神の存在を守らなければならない。
その教義・論理を根拠として、「わたし(イエス・キリスト)は、神々・
多神の冒涜をしていないと主張しているのである。
貴方達の神を否定し、また排除して「神の子」と言っているのではな
く、多神・神々の中の「神の子」と言っているのです、と言っている。
☆テルアビブ大学ゼエブ・ヘルツオグ考古学教授の言葉:
「 (キリスト教の)『唯一の神』という一神教の概念についても、
生まれたのは今から2000年余りさかのぼるに過ぎない 」
(1999年10月3日、朝日新聞夕刊)
キリスト教(ユダヤ教)が生まれた最初から
「 一神教である 」としてきた世界の常識が
間違いであったことが証明されている。
☆多様性や自由、人間の尊厳を重んじる世界へと突き進んで行け。
そうすれば、人類が自由に人道的に生きていくという理想を揚げ、
夢に向かって羽ばたくことができる。
(キリスト教暗黒の裏面史 238~9頁 徳間文庫より)
・方向性は多神教にある事が確認され、
それが正しい方向性だと分かってきた。
また、最近、次の確認をした。
来日された前パリ・ソルボンヌ大学総長が上記考えと同じ発言を
されていた。
多様性の中に人類の未来があり、各多様性さの中に神聖さがあ
り、オリジナリティがある・・・など。
小生の日記、「近代の最先端科学は『 キリスト教の間違い 』を
証明したを、ご覧ください。
URL http://ameblo.jp/staff1944/
キリスト教徒が神仏を破壊したり、奴隷売買をしていたこと、侵略の意図があることがあったからこそ豊臣秀吉は禁止したのでは?
外国の意図を読んで小数貿易におさえたからこそ侵略をまぬがれたのでしょう。
(完全な鎖国ではない)
今の政治家とはえらい違い・・・