古き歌の終わり

2008年01月13日 | フランス生活
ベトナムがインドシナと呼ばれていた頃、フランスの統治時代に、彼女はベトナム人のお母さんとフランス人お父さんの間に産まれました。

インドシナがベトナムになった後、国を離れフランスへ渡り、女手一つで子供を2人育て上げました。

子供たちの父親は戦時中に日本軍に捕まり、その後解放されたものの、そのまま家で亡くなったそうです。


子供たちが独立した後、彼女は友達の紹介で奥さんを亡くした男性と知り合います。
それが旦那のおじいさん。旦那はおじいさんと前妻との間の孫なので血のつながりはありません。


旦那が日本に赴任する事に決まった時、日本は良くないと難色を示したのは彼女でしたし、日本人と交際していると知って大反対したのも彼女でした。彼女の夫を殺したのは日本人だから。
でも、始めて旦那の実家で会った時、彼女はそんなそぶりはいっさい見せませんでした。
日本人ではなくて、私個人として見てくれたんです。

それ以来、同じアジア系として親切にしてくれました。


ある日一枚の紙切れを出して、なんて書いてあるか読んでほしいと言われました。
それは日本軍が彼女の夫に渡した紙で、縦罫の便せんに(どこかの駐屯地の名前が印刷されてたとおもう)銃一丁と弾丸◯発を預かるとかかれたものでした。
彼女の夫はそれを持って家に戻り、彼女はそれがなんだか分からないまま何十年も大事に持っていたんです。


単なる預かり証だったのですが、なんだか分かってよかったとぽつんと言っていました。


毎年作る年賀状は、今年もおじいさんの家に送りました。
彼女は倒れて入院してしまっていたので、お義母さんとおじいさんが病院へもって行ったそうです。


彼女が亡くなったのはその次の日。

タヒチに来る前に貰ったパレオが形見になってしまいました。



インドシナで生まれた彼女が思い浮かべる故郷はベトナムではなくフランス統治時代のインドシナでした。
でもベトナム人でもある彼女は、その辺に複雑な想いがあったと聞いています。


もっと彼女の物語を聞いておけばよかった。理解すればよかった。
毎度の事ですが後悔先に立たずです。