函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

魅力ある人について

2010年09月28日 14時17分54秒 | えいこう語る
颯爽と独身を貫き、共に美人で才女の阿川佐和子、壇ふみさんが、ゲストに俳優の藤竜也さんを招いてのテレビ対談である。
二人の軽妙洒脱な突っ込みに、人生の先輩である藤さんは淡々と応じ、久しぶりに男女の楽しい会話に見入った。
「魅力ある人」についての会話である。


私たちの周囲で魅力ある人というのは、どんな人を言うのだろうか。
年齢によって受け取り方は違うだろうが、私たち60代から見れば、教養があり、それでいて自己主張をみだらにせず、何かあったときは適切なアドバイスを与えてくれ、品位がありそれに加えて、ユーモアのセンスにあふれている人を言うのではないかと思う。
藤さんの考え方はこうだ。
魅力ある人とは「非常識な人」だという。
非常識の範囲が大きく、その非常識が許される人が魅力ある人だという。
常識とは、生活の作法や知恵である。しかしそればかりでは、人間のキャパに奥行きが出てこない。
非常識と思われる中に、人間本来の味が隠されている。その非常識が許容できる範囲のものが魅力であり、そのような非常識が多い人が「魅力ある人」と言うのではないかという。
面白くない人のたとえに「公務員的な人」というのがある。
公務員は仕事をする上で、常に常識を必要とするからである。
しかし、公務員は常に、教養も品位もユーモアも常識的なのである。
非常識の部分を見せないように努力するから、魅力に乏しい人間になる。
さらに魅力に欠けるのは、自分たちの常識が正しいと思って、市民と接するからである。
市民の要望はその常識を超えたところを期待しているのだが、そのことに気付いていない人が多いからである。
そんな公務員で、自分はユーモアのセンスがあると思っている人は、実は魅力があるのではなく、的外れか滑稽な人が多いようだ。
では、魅力ある人とはどんな人なのか。


とりあえず浮かんでくるのは、岡本太郎・小泉純一郎・石原慎太郎氏である。
魅力あるに違いないが、ちょっぴり迷惑なこともあり、世間では変人といわれるタイプのような気がする。
実体がつかみにくいというのも、魅力の一つなのかもしれない。
私の基準では、会話して別れた後、また逢いたいと思う人が「魅力ある人」である。