夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

IKEAに行く

2015-08-21 21:57:18 | 日記
先日来、自宅アパートのダイニングキッチンに置くべきキッチンカウンターがなかなか決められずにいたので、神戸に行った機会を利用し、ポートアイランドにあるIKEAに行って来た。


私はそれまで、IKEAといっても超大型家具店という認識しかなかったので、実際に中に入ってみてビックリした。


客は店内で、矢印で示された順路に従って買い物をするようになっており、まず2階のショウルームから見て回る。
ショウルームはキッチン、リビング、寝室、書斎、子供部屋など、利用目的ごとに、実際に人が住んでいるかのように家具を配置・構成した部屋が、幾パターンもディスプレイされている。
客はそれらを見て、自分の欲しい家具があったら、その商品の番号を控え、それがどんな部品から成っているか一覧表にした用紙を取る。購入すべき商品がすべて決まったら、客はそれぞれの用紙を持って、1階のセルフサービスエリアに行き、その家具に必要な部品を「自分で」集めて回り、カートかトローリーで運んでレジカウンターに持って行く。


会計を済ませた後は、客はその部品を自分の車で持って帰るか、配送してもらう(有料)かし、自宅で家具を組み立てる。
とまあ、IKEAはおそろしく合理的な仕組みになっている。
部品を選ぶのも組み立てるのも全てセルフサービスなので、IKEAの家具は種類が豊富な割にかなり安い。
実際の品物を見た上で購入できるし、しかもどんな生活シーンで、家具をどう組み合わせて快適で自分らしい住環境を作るかという実例が、ショウルームで幾通りも示されているので、自分の住んでいる(あるいはこれから住む)家や部屋に応じて、どう家具を選択・配置するか、イメージしやすいのはいいなあと思った。


IKEAの家具は機能的で合理的に作られてはいるが、当然、一点物の家具のような温もりや重み、耐久性には欠ける。その辺りはまあ、人によって好き嫌いがあるだろう。
私のキッチンカウンターも、機能性重視で選んだので、多分、長年使っても愛着が湧くような家具にはなるまい。
ただ、同様の品を通常の家具店で買ったら、ずっと高くついたのは確かだろう。
結局、住環境は、自分がどんな暮らしをしたいかを見据えつつ、選択と妥協を重ねて少しずつ作り上げていくしかない。

酒好きのひとりごと

2015-08-20 22:07:09 | 日本酒紀行
先日、三宮の山手通周辺を歩いていて、私の好きな日本酒(香住鶴)を置いている店があるのに気づき、期待して中に入った。
その店では、香住鶴を数種類揃えており、山廃純米吟醸の生酒を冷やで注文すると、店主が小皿の上にグラスを置いて、瓶から酒を注ぎ始めた。

その時点で嫌な予感がしたが、しばらくそのままに任せ、グラスから酒が溢れそうになる前に、「ストップ!」と制した。
しかし、店主はすぐには止めずに、勢いがついた酒はグラスから溢れ、小皿にこぼれた。

いつ誰がこんなサービスを始めたのかは知らないが、正直、日本酒をおいしく飲みたいと思っている者にとっては迷惑である。
同じ量なら、一回り大きなグラスに注いでこぼさないでくれよ、と思う。
皿(一合枡の場合もある)にこぼれた酒がもったいないし、皿に口をつけてすするのも体裁が悪く、第一不衛生である。
一方、表面から底までビチャビチャに濡れたグラスで酒を飲むのも、手が汚れるし、「何だかなあ…。」と興ざめな気持ちになる。
本当に日本酒が好きな人は、こんなサービスは絶対にしないと思う。

私は心が狭いので、こういう日本酒の提供をされたら、それ以上何も注文せず、早めに飲食を済ませ、その店を出る。
この程度で目くじらを立てるのは、きっと私が悪いのだろうが、どんなにその酒がおいしくても、このようにして注がれると、せっかくの銘酒が泣いていると思ってしまう。
そんなことをするよりは、一合なり半合なりを普通にグラスに注ぎ、その酒がどんな酒かを簡単に説明する方が、本当のサービスでありおもてなしだろう。

ワインに置き換えてみれば分かるはずだ。
フランス料理を食べに行って、ソムリエが小皿の上にグラスを置き、溢れてこぼれるまでワインを注いだら、客は怒って止めるだろう。
食事の雰囲気がぶち壊しになったと、コースの途中でも席を立って帰る人もいるに違いない。
なぜ日本酒に限って、こうも奇妙なサービスがまかり通るようになったのか。

日本酒をこぼれるまで注ぐ店は、去年今年だけでも奈良・京都で出くわし、神戸では2回も当たってしまった。
…それとも、おかしいと思う私の感覚の方が間違っているのか、業界の人の意見が一度聞きたい。

奥播磨 純米吟醸 夏の芳醇超辛

2015-08-19 23:22:40 | 日本酒紀行
米子―神戸は日帰りはほぼ無理なので、教員セミナーに参加を申し込んだ時点で、三宮に泊まる手配もしてあった。
セミナー会場に近い旧居留地に宿を取っており、繁華街とは指呼の間なので、夜は当然のごとく街に飲みに出る。

予め調べておいたところでは、日本酒の美味しい店は、山手通周辺に数軒あるようなので、早速行ってみた。
最初に入った店は選択ミスだったが、二軒目はなかなか雰囲気もよく、酒も有名どころを揃えていた。
その中で、私が頼んだのは、地元・兵庫の地酒、奥播磨。


奥播磨はやや地味とはいえ、しっかりした味わいのいいお酒だが、お店に置いてあったのは「純米吟醸 夏の芳醇超辛」というもの。
冷たく冷やして飲む分にはよいだろうが、味が固く、とげとげしくて、私は正直今ひとつと感じてしまった。

わけあって、しばらく日本酒は控えようと思っているので、この夜は自分の好きな酒を存分に飲ませてもらった。

神戸で逢いましょう

2015-08-18 23:00:46 | 日記
教員セミナーに参加するので神戸へ。
2ヵ月後に迫ったシンポジウムで、私が発表することに関連する内容であるため、自費で参加することにしたのだ。
「高大接続改革」(高校教育・大学教育・大学入学者選抜の三位一体改革)について、予備校業界だけでなく、文科省の事務方から直接講演を聞けるこの機会を逃してはいけない。


会場はホテルオークラ神戸。私などが宿泊するのには縁のない、格式の高いホテルである。
米子から遠く神戸まで出て来て、知っている教員などいるはずもなく、休憩時間にボーッとしていると、なんと目の前を前任校の同僚・S先生がよぎっていくではないか。
思わず、「S先生!」と呼び止めると、向こうもびっくりされていた。
約半年ぶりの再会を喜びつつ、H先生も来られているということなので、後半の分科会からご一緒させていただいた。

…しかし、よく考えてみれば、前任校には受験指導のエキスパートが何人もおられたのだから、こうした場に誰も来ていないことの方がむしろ不思議なはずである。


セミナー修了後は、H先生のお誘いで、神戸の中華街にほど近いカフェに行き、近況報告や「あの人は今」的なネタで大いに盛り上がった。
思いがけず、前の職場の方々とお会いして久闊を叙し、心楽しいひとときを過ごすことができた。

短歌のふるさと

2015-08-17 23:12:14 | 短歌
先日、故藤平春男氏の「藤原定家―その生活と文学―」(藤平春男著作集第4巻)を読んでいたら、短歌に関して私の心の琴線にふれるものがあったので、その部分を紹介する。

和歌短歌は、生活に即した現実の生活感情をうたうようにできていると思います。生活に即した抒情というのが、短歌の本来の性格だろうと思う。『古事記』や『日本書紀』の中に歌がある。それがやがて『万葉集』になると、五七五七七の形に決まってくる。定型になる。五七五七七の形に決まってくることによって、それは個人的な抒情詩になった。一人一人が自分の心の中に、毎日毎日生きていくその生活の中で個人的体験に即して感じたことをまとめる、そのまとめようとする要求が、五七五七七の形をつくり出した、そう言ってもいいと思います。だから短歌の決まった形ができたときには、それは個人的な抒情詩であったと言っていいのです。元来短歌というのはそのようにして生まれてきた。そういう性格がいわば短歌のふるさとと言えると思います。

藤平氏は、俊成・定家を中心とする中世和歌や歌論の研究で殊に著名であるが、その研究態度は和歌史全体を常に見据えたものであった。
また、歌作では窪田空穂門下であり、近代短歌にも造詣が深かった。

戦後の和歌研究に大きな足跡を残した藤平春男氏は、歌に魅せられ、「歌とは何か」を常に考え、その本質を究明することに生涯を捧げたのではないかと思われる。
最近の私は、研究でも歌作でも自分の視野の狭さや、経験・努力の不足を痛感することが多く、せめて先人の著作から少しでも多くのことを学びたいと思っている。