先日、故藤平春男氏の「藤原定家―その生活と文学―」(藤平春男著作集第4巻)を読んでいたら、短歌に関して私の心の琴線にふれるものがあったので、その部分を紹介する。
藤平氏は、俊成・定家を中心とする中世和歌や歌論の研究で殊に著名であるが、その研究態度は和歌史全体を常に見据えたものであった。
また、歌作では窪田空穂門下であり、近代短歌にも造詣が深かった。
戦後の和歌研究に大きな足跡を残した藤平春男氏は、歌に魅せられ、「歌とは何か」を常に考え、その本質を究明することに生涯を捧げたのではないかと思われる。
最近の私は、研究でも歌作でも自分の視野の狭さや、経験・努力の不足を痛感することが多く、せめて先人の著作から少しでも多くのことを学びたいと思っている。
和歌短歌は、生活に即した現実の生活感情をうたうようにできていると思います。生活に即した抒情というのが、短歌の本来の性格だろうと思う。『古事記』や『日本書紀』の中に歌がある。それがやがて『万葉集』になると、五七五七七の形に決まってくる。定型になる。五七五七七の形に決まってくることによって、それは個人的な抒情詩になった。一人一人が自分の心の中に、毎日毎日生きていくその生活の中で個人的体験に即して感じたことをまとめる、そのまとめようとする要求が、五七五七七の形をつくり出した、そう言ってもいいと思います。だから短歌の決まった形ができたときには、それは個人的な抒情詩であったと言っていいのです。元来短歌というのはそのようにして生まれてきた。そういう性格がいわば短歌のふるさとと言えると思います。
藤平氏は、俊成・定家を中心とする中世和歌や歌論の研究で殊に著名であるが、その研究態度は和歌史全体を常に見据えたものであった。
また、歌作では窪田空穂門下であり、近代短歌にも造詣が深かった。
戦後の和歌研究に大きな足跡を残した藤平春男氏は、歌に魅せられ、「歌とは何か」を常に考え、その本質を究明することに生涯を捧げたのではないかと思われる。
最近の私は、研究でも歌作でも自分の視野の狭さや、経験・努力の不足を痛感することが多く、せめて先人の著作から少しでも多くのことを学びたいと思っている。