夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

月と花と

2013-03-26 19:35:14 | 日記


日が沈む頃、仕事に一段落ついて窓の外を眺めると、ご覧のような月。青鈍(あおにび=青みがかった鼠色)というのか、縹(はなだ=薄い藍色)というのか、昔の貴族の着ていた衣装のような色合いの空に、ぼんやり霞んだ月が浮かんでいる眺めが、春の宵にふさわしく感じられる。


夜になってそぞろ寒く吹き始めた風に、雲が吹き払われ、月の光が冴え冴えと感じられる。
やや肌を刺すような風が、桜の枝を細かく揺らしている。


岡山市では一昨日24日(日)に桜の開花が発表されたが、職場の桜は昨日から咲き始めた。
明日は満月だが、あいにく天気予報では雨。気温もそれほど上がらず、開花はさほど進まないと思われる。今年は、花と月の盛りをともに眺めるのは難しそうだが、一方で、仲春(旧暦の二月)の満月を慕うように、桜が開花の時期を合わせたことには感慨を覚える。

  咲きそむる花なかりせばいかばかり月もむなしき夜を過ぐしけむ

『明月記』を読む(4)

2013-03-25 23:12:15 | 『明月記』を読む
正治二年(1200)七月 藤原定家三十九歳。
十五日 天晴る。未の後大雨雷鳴。即ち晴る。心神猶(なほ)宜(よろ)しからず。(中略)
已の刻許りに内供来臨す。宰相中将示し送る事等有り。其の内に院百首の沙汰有り。其の作者に入れらるべきの由、頻りに執り申すの由なり。若(も)し実事と為さば、極めて面目本望と為す。執奏の条返す返す畏まり申すの由返答し了(おは)んぬ。

この日の巳(み=午前十時頃)の時に、内供(ないぐ=宮中の内道場に奉仕する僧)の公暁がやって来て、定家に宰相中将・藤原公経(きんつね)からの情報を伝えている。この公暁・公経はともに定家の妻(西園寺実宗の娘)の兄弟である。
その情報によると、後鳥羽院のもとで「応制百首」(天皇や上皇の命で百首歌を詠進すること)が行われることが計画されているそうであり、公経は定家がその作者に加えられるように、しきりに執奏(取り次いで申し上げる)を試みているという。


(「後鳥羽天皇像 水無瀬神宮蔵(大阪)」『原色版国宝7鎌倉Ⅰ』毎日新聞社)
後鳥羽院は、このとき二十一歳。前々年(建久九年=1198)に譲位して院政を開始したばかりの若き上皇で、譲位によって解放されたエネルギーは、ひとまず社寺参詣や蹴鞠、相撲、闘鶏など、様々な文化的方面に発揮されていた。後鳥羽院が和歌に興味を持ったのは、近臣の勧めによるものと考えられており、前年(正治元年=1200)から和歌に関する記事が見え始めるが、本格的な和歌活動の開始はこの年であり、百首歌を詠むのもこの時がおそらく初めての経験であったと見られる。
この応制百首は、『正治初度百首』(しょうじしょどひゃくしゅ)として知られるものであり、後に歌人二十三人が百首歌を詠進する大規模な催しとなる。定家はその作者の員数に加えられるならば、歌人として「極めて面目本望」であり、公経が後鳥羽院に執奏してくれたことに恐縮し、礼を述べている。

ところが、その情報がどうやら誤りであったことが分かり、
昨日の百首の事僻事(ひがごと)なり。全く其の人数に入れられず。是存の内なり。
と、自分が人選から除外されていることを知り、ひどく失望させられている。この時の定家の落胆は、どれほどであったろうか。

N・ヒル『仕事の流儀』(その22)

2013-03-24 21:57:02 | N・ヒル『仕事の流儀』
第19章の続き。

前回ヒル博士は、自分の働きを効果的に売り込みたいと思う人は、効率的な時間配分に従うべきだと主張していた。すなわち、一日二十四時間のうち、八時間を睡眠、八時間を仕事に正しく割り当て、残りの八時間を自分の再生のための時間に充てるべきだと。そして最後の八時間のうち、四時間はレクリエーションと健康、二時間は勉強と準備、二時間は他人の利益のために、無報酬で奉仕する時間に充てなさい、と説いていた。

The third eight-hour period holds the key to one's future because the manner in which it is used affects for weal or for woe the other two eight-hour periods. It is the period that requires the closest attention because the freedom it provides often serves as an invitation to indulge in the attractions being indulged in by others. We are all more or less the victims of habit.
The two eight-hour periods allotted to work and sleep by their very nature more or less force one to acquire sane habits. If a person chooses to steal time from the eight-hour sleep period, Nature steps in sooner or later and stops the practice temporarily by sending him to the hospital. If a person misappropriates a part of the eight-hour work period, the law of economic necessity in and calls a halt, as one must have food and clothing and a place to sleep.
(“How to sell your way through life”‘19 How to Budget Your Time’)


ヒル博士は、この最後の八時間が、その人の将来の成否の鍵を握っているという。なぜなら、その使われ方は、残りの二つの八時間の幸福、もしくは不幸に影響するからである。だから、我々はこの最後の八時間に最も周到な配慮をしなければならない。なぜなら、自由に使えるこの時間が、しばしば我々を甘やかす誘惑に引き込む招待状となるからである。我々はすべて、多かれ少なかれ、習慣の生け贄なのだ。
我々のまさに「自然」によって、労働と睡眠に割り当てられた二つの八時間は、多かれ少なかれ、個人に健全な習慣を獲得するよう強制してくれる。もし、八時間の睡眠から時間を盗もうとすれば、自然が遅かれ早かれ介入してきて、その人を病院送りにすることで、一時的に実行をやめさせようとしてくるだろう。八時間の労働の一部を悪用しようとすれば、経済的な必要性の原則が介入してきて、その人が持つべき衣食住のために中止を求めてくるだろう。

第三の八時間は結局、その人の使い方次第で、浪費される自由時間にもなりうるし、より大きな効果を生み出し、より多く稼ぐことのできる能力を養うための自由時間にもなりうる。だから、自分がこの八時間をどのような習慣で過ごしているか観察し、分析しなさいとヒル博士は言う。

この本が出版されたのは今から70年以上昔のことだが、ヒル博士が“an age of wasteful, destructive habits”(無駄の多い、破壊的な習慣の時代)と言っているのは、改善されるどころか、ますます拍車がかかっているように思われる。私自身も、これまで睡眠時間を削ってまで働いたり、勉強したり、適度な範囲を超えて趣味に時間を費やしたり、気張らししたりしていた。その一方で、純粋な興味や動機から勉強し、他人や社会のために働くのではなく、そうすることが自己目的化していたり、利己的な動機からそうしていたこともあったと思う。これからしばらくは、この第19章を熟読し、自分の習慣を見つめ直し、自分の時間の適切な配分ということを真面目に考えていく。

デヴィッド・シルヴィアン 1987年3月インタビュー記事

2013-03-23 22:40:55 | JAPANの思い出・洋楽

『VIVA ROCK』1987年3月号に、デヴィッドのインタビュー記事が載っていたのを取っておいたのが出てきたので、ここで紹介。
デヴィッドはこの前年にソロ2作目の『ゴーン・トゥ・アース』を発表し、ヨーロッパ、オーストラリア、日本へのプロモーション・ツアーも行っていた。このインタビューでは、自身の近況、新作アルバムへの自己評価、日本の印象、ジャパン時代のこと、そして、気になるミック・カーンとの関係などについて語られていた。

『ゴーン・トゥ・アース』(1986)は、2枚組の大作アルバムで、1枚目がボーカル編、2枚目がインストゥルメンタル編と大胆に分けられている。前作の『ブリリアント・ツリーズ』(1984)にはまだ残っていたロック色が薄れ、そのB面の3曲を発展させたような物憂い音楽世界とジャズっぽいアプローチが特徴的な作品である。ジャパン時代のスティーヴ・ジャンセン、リチャード・バルビエリに加え、ギターにロバート・フリップが参加しているのも大きな話題になった。
このアルバムについては、
『ゴーン・トゥ・アース』がどれだけ成功したかは、僕自身の基準で検討しなければならないことだから、今の時点では、まだ答えは出せないんだ。僕が創造者の立場を離れて、リスナーとして聴けるようになるためには、1年位は必要だろうね。だから今は、このアルバムが僕にとってどれだけの成功を収めたかは、まだ語れないんだよ。
と答えている。
日本については、日本料理が好きで、鉄板焼、天ぷら、寿司、あんこ、日本酒などが好きだと言っている。(あんこが好きというのがおもしろい。)また前年の暮れに京都を訪れたことに触れ、
京都では、いつも平穏な感覚を見つけるよ。京都は、いつも何度でも訪ねてみたい土地の1つなんだ。日本で、京都だけが、特別こういう価値を持っている土地だとは思わないけれど、僕の知っている土地の中ではそうなんだ。
と語っているのは、よく分かる気がする。

インタビュアーからの、「ミック・カーンのレコーディングを手伝っていると聞いたんだけど?」という問いには、
ミックのアルバムのために、2曲、彼と一緒に曲を書いて、ヴォーカルをやったよ。エンジョイしたな。
ミックと僕とは、学生時代からの長いつきあいだから、不仲の時があっても、それは一時的なことで、又会って仕事を一緒にするようになっても、ごく自然なことなんだ。
ミックは、とても才能ある人だと思うよ。彼のアルバムは、いつもその仕事の中で個性的な、クリエイティヴ・マインドを示しているしね。
と答えているのは、久しぶりに読んで、この頃こんなことを言っていたのか、と新鮮な驚きに感じた。

デヴィッドのインタビュー記事を読んでいて、自分の「基準」、「価値」という言葉が何度も出てくるのに気づいた。改めて彼が自分自身の価値基準で自分を律し、ジャパンのメンバーにもそれを強く求めていたこと、ジャパン時代に「ポップ・ミュージックの制限」や「スタイル、自我、イメージといった表面的な価値を基本とする妥協」をどれだけ桎梏に感じていたのかが伝わってくる気がした。一方で、
僕にとって1番大切なことは、学ぶということ。僕自身にとってだけじゃなくて、僕が世界の中で価値あると思う分野で学んで、進歩し続けることが最も大切なことなんだ。
と言い切る心の強さ、謙虚さと同時に自恃の念も伝わってきた。彼の思考や生き方と、作品世界とがこういう風につながっていたことを実感する。

卒業生が来校

2013-03-22 23:09:46 | 日記

このブログで何度か話題にしている谷間の梅は、昨日満開になった。他の梅はもう散り終えようとする頃に、人知れず盛りになっているのがいじらしく、ついじっと眺めてしまった。

昨日は夜になって、去年教えた卒業生たちが学校に遊びに来た。なんでも、浪人していたA君が先日、志望校に合格したので、春休みで岡山に帰省している者、地元に残っている者たちが、お祝いをするため集まったのだそうだ。
私も大学に入る前に一年浪人したので、A君の今までの艱難辛苦と、合格しての喜びはとてもよくわかる。谷間の梅のように、遅れても咲くべき花は咲くのだなあ、としみじみ感慨にふけった。

A君と同じ大学に合格していたS君、松江に行ったE君、地元に残ったO君、M君…他にも仲間は何人もいるが、とても仲がよく、在学中も切磋琢磨して志望校合格を目指し頑張っていた。その頃の思い出話や、今回集まれなかった生徒の近況など、話し込んでいるうちにすっかり時間が経ってしまった。

その中で、意外な話があった。
O君が実はSKE48の大ファンで、あるメンバーに入れあげていたのだという。ところが、近く彼女がグループを卒業することが明らかになり、その後は普通の女の子に戻るということを聞いて、先日の握手会のときにプロポーズしたそうな。
「…レスポンスは?」
と聞くと、S君が、
「黙って苦笑いされたそうです(笑)」
…在学中はおとなしく真面目でクール、という印象のあったO君だけに、思いがけない行動に驚いてしまった。

それにしても、高校を卒業しても集まる友達がいるというのは羨ましい。これからもつきあいがずっと続いてくれたらいいな、と思う。