夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

文化人たちの筆の世界

2015-09-17 21:28:33 | 短歌
先日、岡山に行ったとき、岡山・吉兆庵美術館に「文化人たちの筆の世界」を観に行った。
米子ではなかなかこうした文学・美術に関する展覧会が少ないので、美術館の多い岡山が羨ましい。


本展は、明治・大正という激動の時代を生きた小説家・歌人・詩人・俳人・工芸作家・政治家など、様々な分野でその才能を発揮した文化人たちを取り上げ、その人物の偉業や作品に隠されたストーリーを紹介するものである。
解説には、書に記された筆遣いや字の特徴は、その人の性格や癖、ひいては人生観や世界観をも表すと言われる、と書いてあったが、まさに書は人なりで、勝海舟や伊藤博文など、昔の政治家は書もまた立派なのに驚く。

私の関心は、どうしても歌人に傾きがちだが、与謝野晶子の短歌にはやはり心惹かれる。

  かまくらや御仏なれど釈迦牟尼(むに)は美男におはす夏木立かな
  あかつきの竹の色こそめでたけれ水の中なる髪に似たれば

前者は軸、後者は短冊だったが、晶子の自筆短冊なら、高くてもぜひ買い求めたいと思ってしまう。

短歌の短冊には他に、

  かにかくに祇園は恋し寝るときも枕のしたを水のながるる(吉井勇)
  霧雨のこまかにかかる猫柳つくづく見れば春たけにけり(北原白秋)

などがあった。

時々、近代の作家を研究している人が羨ましくなるのは、自筆の原稿や短冊、書簡等が、自分でも手の出せる価格で購入できることだ。
平安・鎌倉時代の作品を研究している者には、写本はおろか断簡類でも、とうてい入手できず、美術館や図書館等で眺めたり、許可を取って閲覧するくらいしか叶わない。
ただし、時代が降れば降るほど、仮名の書体は乱れてきたりもするので、やはり鑑賞するには古いものの方がよいなあと思ったりもするのだが…。