夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

続 月次の会・八月

2015-09-02 23:21:46 | 短歌
昨夜帰宅すると、郵便受けに1通の葉書と封筒が。
葉書の方は、大学で同期だった友人のもので、先日某大への採用が決まり、もう働き始めているというもの。
早速お祝いの葉書をしたため、機会があればぜひまた飲もうと書いておいた。

封筒は、月次の会の当番の方からで、丁寧なお手紙に添えて、当日の参加者の詠草が入れられていた。
(当番の方、ありがとうございました。)

今回の私の歌は、先月、神戸に行った折に、三宮の生田神社に詣でたときのもの。

(提出歌)
  初秋の生田神社に朝拝の祈りを捧ぐ神主の声
(添削後)
  初秋の生田神社には朝拝の祈り捧ぐる神主の声

(提出歌)
  青葉茂る生田の森に風すぎて流るる小川の水とよむなり
(添削後)
 ○青葉深き生田の森に風生(あ)れて流るる川の水を縮らす

「生田の森」は古来歌枕(うたまくら…和歌に詠まれる名所)として知られ、院政期以降は、秋風が吹く物寂しい情景が詠まれることが多い。

  君住まば訪(と)はましものを津の国の生田の森の秋の初風(詞花集・秋・83・僧都清胤)
  昨日だに訪はむと思ひし津の国の生田の森に秋は来にけり(新古今集・秋上・289・藤原家)
  秋とだに吹きあへぬ風に色変はる生田の森の露の下草(最勝四天王院障子和歌・96・藤原定家)

生田の森は、昔はこの辺り一帯の広い地域がそうだったのだろうが、今は生田神社の裏手に、ほんの申し訳ばかりの大きさの森が保全され、人工の小川が水音を立てて流れている。
私の2首目の歌は、風とせせらぎの音に初秋の気配を感じる歌として詠みたかったのだが、「青葉茂る」というと、夏の風情になってしまうのが気になっていた。
先生が直してくださった後では、初秋になってもまだ、生田の森は木々の葉の緑が濃いままではあるが、吹く風が川面に小さなさざ波を立てる様子に、少し秋の気配が感じられる、という歌になっている。
私が最初に詠んだときは関連の薄かった秋風と川の水とに因果関係を持たせ、まるで別の印象の歌にしてしまう添削の冴えはすごいと思った。

ただ、自分が目に見た情景を詠むのでなく、一首の中で言葉同士を緊密に対応させ、一つの美的世界を創造することも大切なのだと先生から教えていただいたように思う。