先日、青山学院大学での例会に参加したときの感想などを簡単に。
この日は3本の研究発表があり、①室町後期における歌枕書(名所和歌を収集・整理した書物)の生成の問題、②藤原清輔『奥義抄』の本文と書写の問題、③後嵯峨院歌壇の再検討、と充実した内容の発表と質疑を聞き、大いに刺激を受けて帰って来た。
①は、作品そのものの研究ではないが、『実隆公記』(当時の公家日記)の記録の中から、歌枕書に関する記事を丹念に拾い上げ、現存はしないが当時、大部の歌枕書の編纂事業が進行していたことを想定し、現存の歌枕書との関連について論じたもの。質疑応答で、現存しない理由として、文明17年(1485)の火災を指摘する意見があった。当たり前の話だが、古典の中には現在までに火災や盗難、戦乱や遺失などによって貴重な作品が多く失われ、名前のみ伝わるものも少なくない。また、一つの作品も、一時期に一気に完成するわけではなく、時間をかけて数次にもわたり複雑な成立の過程をたどるものも多い。また古典では、複数の異なる本文を持つ作品のほうがむしろ普通である。作品を定本によってだけ、固定したものとしてとらえるのではなく、その作品がどのような形態で、どんな過程を経て成立したのかを柔軟に考えることの必要性を改めて感じた。
②は、質疑の席上で、「問題意識を共有できなかった」という意見があったように、論の立脚点自体に難があったように思われた。『奥義抄』という作品の本文異同が甚だしいのは、作品の構成や情報構造そのものに、激しい本文の変容を促す要素があるのではないか、という趣旨はわかるのだが、写本のレイアウトという観点から3分類し、書写者たちが清輔の構想を多様に解釈した結果、多様に変容した本文を生み出すことになった、とする行論には、聞いていてやや違和感を覚えてしまった。出席した先生方からも、その点は疑義をただされていた。
③は、今回もっとも楽しみにしていた発表だったが、本当にすばらしかった。文永2年(1265)の「亀山殿五首歌合」という作品の手堅い基礎的研究から、後嵯峨院歌壇の性格と後嵯峨院の歌壇や撰集(同年成立の『続古今集』)への関わりを説いた論で、聴いていて血湧き肉躍るような知的興奮を全身で味わった。実証的な研究の基本を、遺漏なき手続きで遵守していくだけでも、これだけのことが明らかになるのだということに驚くとともに、勇気ももらったような気がした。ことさらに自説を立てようとするのではなく、手堅い実証の上に解釈力や思考力を働かせ、作品や作者、またそれらを生み出した環境や時代精神を解明していくことこそが研究の本道なのだということがわかった。
これだけの碩学の発表でも、質疑では色々な先生方がそれぞれの見地から不備な点を指摘したり、補ったりということがある。「発表前に、資料に掲げた本文の読み方がこれでいいか○○先生にお伺いした」ということを言っておられたりもした。研究は1人だけの力で進むものではなく、学会の人たちに問題意識が共有されて進展することもあるのだということがわかる。以前から、そのご論文をずいぶん参考にさせていただいているので、今回の発表を心待ちにしていたが、本当に多くのことを学ぶことができた。
先週の例会は、日程的にきついのであきらめようかどうかと、かなり迷ったが、お3方目のご発表に期待して参加してよかった。
この日は3本の研究発表があり、①室町後期における歌枕書(名所和歌を収集・整理した書物)の生成の問題、②藤原清輔『奥義抄』の本文と書写の問題、③後嵯峨院歌壇の再検討、と充実した内容の発表と質疑を聞き、大いに刺激を受けて帰って来た。
①は、作品そのものの研究ではないが、『実隆公記』(当時の公家日記)の記録の中から、歌枕書に関する記事を丹念に拾い上げ、現存はしないが当時、大部の歌枕書の編纂事業が進行していたことを想定し、現存の歌枕書との関連について論じたもの。質疑応答で、現存しない理由として、文明17年(1485)の火災を指摘する意見があった。当たり前の話だが、古典の中には現在までに火災や盗難、戦乱や遺失などによって貴重な作品が多く失われ、名前のみ伝わるものも少なくない。また、一つの作品も、一時期に一気に完成するわけではなく、時間をかけて数次にもわたり複雑な成立の過程をたどるものも多い。また古典では、複数の異なる本文を持つ作品のほうがむしろ普通である。作品を定本によってだけ、固定したものとしてとらえるのではなく、その作品がどのような形態で、どんな過程を経て成立したのかを柔軟に考えることの必要性を改めて感じた。
②は、質疑の席上で、「問題意識を共有できなかった」という意見があったように、論の立脚点自体に難があったように思われた。『奥義抄』という作品の本文異同が甚だしいのは、作品の構成や情報構造そのものに、激しい本文の変容を促す要素があるのではないか、という趣旨はわかるのだが、写本のレイアウトという観点から3分類し、書写者たちが清輔の構想を多様に解釈した結果、多様に変容した本文を生み出すことになった、とする行論には、聞いていてやや違和感を覚えてしまった。出席した先生方からも、その点は疑義をただされていた。
③は、今回もっとも楽しみにしていた発表だったが、本当にすばらしかった。文永2年(1265)の「亀山殿五首歌合」という作品の手堅い基礎的研究から、後嵯峨院歌壇の性格と後嵯峨院の歌壇や撰集(同年成立の『続古今集』)への関わりを説いた論で、聴いていて血湧き肉躍るような知的興奮を全身で味わった。実証的な研究の基本を、遺漏なき手続きで遵守していくだけでも、これだけのことが明らかになるのだということに驚くとともに、勇気ももらったような気がした。ことさらに自説を立てようとするのではなく、手堅い実証の上に解釈力や思考力を働かせ、作品や作者、またそれらを生み出した環境や時代精神を解明していくことこそが研究の本道なのだということがわかった。
これだけの碩学の発表でも、質疑では色々な先生方がそれぞれの見地から不備な点を指摘したり、補ったりということがある。「発表前に、資料に掲げた本文の読み方がこれでいいか○○先生にお伺いした」ということを言っておられたりもした。研究は1人だけの力で進むものではなく、学会の人たちに問題意識が共有されて進展することもあるのだということがわかる。以前から、そのご論文をずいぶん参考にさせていただいているので、今回の発表を心待ちにしていたが、本当に多くのことを学ぶことができた。
先週の例会は、日程的にきついのであきらめようかどうかと、かなり迷ったが、お3方目のご発表に期待して参加してよかった。