夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

コッホ先生と僕らの革命 その2

2012-12-08 22:54:23 | 映画


コッホは生徒たちに、
「諸君、聞いてくれ。知っての通り、サッカーは禁止になった。決定には従う。…ただし、学校の外は別だ。もし君たちが外でサッカーをするときは、時間と場所を教えてくれ。私が個人的に散歩をしているところに出くわすかもしれない」

生徒たちは公園に集まり、ゴールも自分たちで作り、サッカーの練習をするようになる。初めは退学を恐れて来ないと言っていたボーンシュテットも、母親を「サッカーは貧富も階級も超える」と説得して参加するようになる。ハートゥングも、こっそり家を抜け出して仲間に加わるようになる。

ところが、校外で生徒たちがサッカーをしていることを、ハートゥングが父リヒャルト(学校の後援会長)に問い詰められて漏らしたことから、この件が問題視される。ある日、公園で生徒たちが練習しているところに後援会の者たちが乗り込み、警察が補導に来て、ハートゥング以外は全員、学校の監禁部屋に入れられてしまう。
「サッカーは、子供たちのモラルを崩壊させる遊びだ」
そして、ボーンシュテットが首謀者とみなされ、退学処分が決まりそうになる。コッホは、私が全責任を取って教師を辞めるという。

ハートゥングは良心の呵責から、家を抜け出して監禁された仲間を救おうとする。そして、仲間とともに、校長の女性秘書を説得してベルリンの帝国教育庁に電報を打たせ、サッカーを学校教育に導入することの可否について照会を求めさせる。その工作が功を奏し、国の視察団が学校にサッカーを観戦に来ることになり、その日まではサッカー禁止は延期となり、コッホの解雇もお預けとなる。
コッホと校長は、生徒たちが今回、無断で公用の電報を打たせたことは咎めつつ、仲間とサッカーを守るために一丸となって働いたことは「誇りに思う」と褒めたたえる。コッホは生徒たちに、
「想像してごらん、帝国内の全ての都市にサッカーのチームができて、対抗試合をする。イギリスでは週末にサッカーを観戦するのを市民が楽しみにしている。…それが可能になるかどうかは、君たち次第だ」

コッホは、イギリスの友人のイアンと連絡を取り合い、オックスフォードの生徒を連れて来校してもらい、サッカーの試合ができるよう取りはからう。しかし、リヒャルトは自分の面子にかけて、この視察試合をぶち壊そうとする。リヒャルトのさしがねで地元の新聞社がコッホのサッカー教育を記事として連日のように取り上げ、「教師が生徒を洗脳」、「ブラウンシュバイクの愚行」などとネガティブ・キャンペーンを繰り広げる。教会もその味方に付き、生徒たちはそれぞれの家庭で家族の反対に遭い、次々とチームから脱退していく羽目になる。最後に残ったのはボーンシュテットだけ、その彼も、リヒャルトによってとうとう退学が確定し、コッホも学校から去ろうとするところに、なんとイアンがオックスフォードの生徒のサッカーチームを引き連れてやって来、ベルリンからの視察団も到着する。(話ができすぎな感じもするが、そこは映画ということで…)

視察試合は公園で行われることになり、ブランウンシュバイクの町の人々も大勢集まってくる。コッホは生徒たちに、
「この試合の目的はただひとつ。視察団を感染させろ」
案の定、試合が始まると視察団は、初めて見るサッカーに否定的な印象を持つ。
「これは認可できんな」
「野蛮すぎる」
「秩序的でない」
「ドイツにふさわしくない」
しかし、試合が進んでくるにつれ、町の人々はサッカーに熱狂し、視察団も競技の面白さに引き込まれていく。リヒャルトやボーンシュテットの母さえも、自分の息子の活躍を目にして、サッカーに対する見方が変わっていくのだった。史上初のサッカー独英対決試合は結局、2対1でコッホの生徒たちが勝ち、歓喜する場面でこの映画は終わる。

感想



コッホは翌1875年、生徒たちとサッカーチームを設立し、その後サッカーはドイツ帝国内に広まっていった。しかし、1927年にようやくサッカーを解禁したバイエルンのように、反対する地域も多く存在したという。

この映画を見て、感動とともに強く感じたのは、無知と偏見の根強さと恐ろしさだ。

たとえば、学校のお偉いさんがコッホの授業を見学しようとして、教室に誰もいないのを知ったあとで、黒板に書かれていたサッカーの戦術図(上の写真)を見て、
「これはコッホ先生がイギリスのトラファルガーの海戦における勝利を生徒に教えていたにちがいない」
「イギリスかぶれが生徒を親英思想に洗脳しようとしている、けしからん」
と即断してしまう。
階級や貧富によって人間を判断することや、特定のイデオロギー注入が教育現場で行われることの危険も映画では示されていた。
ずっしりと見応えのある映画だったと思う。