幼稚園の運動会

2014-09-27 18:46:38 | Weblog
幼稚園の運動会。気温25度、快晴。絶好の運動会日和でした。日向は少し暑かったのですが・・。こみは、借り物競争とパラバルーン、かけっこに出場。かけっこは1位でした。とても素敵な運動会だったのですが、来年度の入園児募集が停止されるとのことです。子供たちの生き生きとした活気が溢れている中にも、どことなく寂しい雰囲気が漂っていました。

あいまいさ耐性

2014-09-21 17:04:00 | Weblog
医学者和田氏が言う言葉に「あいまいさ耐性」というものがあります。ものごとに白黒をつけず、グレーゾーンでとりあえずよしとするものです。なるほど!と思いました。どうでもいいことは敢えて追及せず、まっいいか!で終わらせる。所詮、こだわったって得られることはありません。とくに人間関係。常にグレーゾーンでよしとする。それができるようになれば、もっと大事なことに神経が有効に遣われることになるはずです。

運動会

2014-09-20 17:56:12 | Weblog
ちゃゆみんの運動会にこみと出かける。ママは別の運動会の仕事でいない。ちゃゆみん、朝から喉が痛いらしく、体調は万全でなかった。しかし、どうしても出たいと言って出場した。かけっこは4位と健闘。昼休みにこみと近くの公園で団子を食べようとした時、担任の先生から電話があり、発熱のため、後半は断念することにした。次にダンスの出番があり、本人も後ろ髪ひかれるようだったが、こればかりは仕方がない。

おめでたい人たち

2014-09-13 23:45:50 | Weblog
中越方面の地震の時、確かげんぱつの建物に火災が起きた。その時の模様がテレビ中継され、このまま爆発すれば、この国は終わりか?と思った。そんな局面でも、のんびりと人力で消火活動をしているのが不思議だった。こんなことがこの先ないといいが、と思っていたが・・。3・11の時、揺れの瞬間、科学者の友人は、すぐにげんぱつのことが頭を掠めたと言っていた。さて、先日、よしだ調書が公開された。すさまじい記録である。よしだ氏にかかった重圧はどれほどであったろうか。想像にあまりある。東日本かいめつと脳裏をよぎったようだ。この時、彼は最も孤独だったのではないだろうか!官邸や本社の圧力にも屈せず、全力で地獄からの脱出をはかった。様々な評価はあるだろうが、本当に体を張って最悪の状況から脱することに成功したといっていい。一歩間違えれば、日本は終わってしまっていたのだ。私は、よしだ氏の勇気と英断に心から感謝したい。彼自身は、これで燃え尽きてしまったのだと思う。そんな凄まじい局面があったことも忘れて、平和ボケの人たちは再稼働なんて騒いでいる。いったい、なんておめでたい人たちなんだろう。

強いく論

2014-09-12 23:15:08 | Weblog
宮本てつや氏の強いく論を読んだ。まさしく時代と逆行するメソッドである。しかし、大きな効果をあげているようだ。現代は、分かりやすくて、短時間に効果をあげることばかりに重点が置かれている。しかし、宮本氏のやり方に、分かりやすい説明はない。ただ自らの頭脳をフルに働かせて、時間をかけて自力で答えを導くやり方である。たとえばシンケンゼミのこどもチャレンジとは対極のやり方である。こどもチャレンジのテキストは、至れり尽くせりであり、痒いところまでも説明がなされている。宮本氏のメソッドは、昔のイリエ塾方式に近いのかな、とも思った。堪え性のない現代の子にはどうなのかな?とも思うが、これこそが本来の学び方だと思った。

山崎氏の著書

2014-09-11 18:56:48 | Weblog
山崎たかし氏のピアニストたちとの邂逅を読んだ。とても面白かった。著者が評論家ではなく、現役の演奏家というのがよい。オタク的な視点ではなく、音楽を作る側からの視点は、なるほどと納得させられることが多かった。勿論、承服しかねる部分もあったが・・。しかし、自分の憧れている演奏家たちの生の声が記録されており、それぞれの言葉には、こんなことを言っていたのか!と心からハッとさせられた。とくにバックハウス、アンダ、ペルルミュテの章など。彼らの実演を聴けたらどんなに素晴らしかっただろう!

キタムラくん

2014-09-10 17:31:22 | Weblog
毎朝の通勤途中、道路工事現場にぶつかる。そこで、いつも会うのがキタムラくんだ。彼は、いつも赤い旗をもって、交通の誘導係をしている。年は、20代前半であろうか?でっぷりとした体型で、真っ暗に日焼けをしていて、たまに白い歯がこぼれたりしている。なんともユーモラスな風貌で、憎めない感じである。いつの間にか、彼を見るのが毎日の楽しみとなってしまった。いや、楽しみというよりは、今日も元気でやっているかな?と気がかりになっているというのが、正確なところだろう。見かけないときがあると、少し心配になったりする。そのキタムラという名も、実は私が考え出したものである。本名はわからない。職場の後輩にそのことを話したら、その後輩も毎日キタムラくんに会うのが楽しみになってしまったと言っていた。今日も元気に働いているだろうか?

お話を聞いて

2014-09-09 17:03:17 | Weblog
先日、福島の現状を取材し続けている方から、話を聞くことができた。山野は除き、ジョセンは進められているという。事故から3年半。福島に残って生活する方たちの日々の努力は涙ぐましい。まず、こまめにセンリョウ計でデータをとる生活。外に出ている時間の計測。畑の土は、別のところから持ってきて、栽培。学校などでも先生が中心となって、出来る限りの配慮を続けているとのこと。被曝の積算を考えて生活する毎日という。その結果、被曝の数値はかなり抑えられているらしい。むしろ周辺の県の方がノーマークで危険なのではないか。マスコミについて。その姿勢を会社によって色分けするべきではない。同じ社でもいろいろな方がいて、それなりに考えを持って取材している。しかし、現場の声を必ずしも本社が汲み取ってくれるとは限らないらしい。捻り潰される事案もあるという。なるほどと思った。情報を受けとる側としては、そのような事情をいつも考えていく必要がある。更に、なるほどと思ったこと。新聞社はどうしても広告収入に弱いという面があり、高い広告料を払う企業には甘くなってしまうという点。某国えい的放送局は、表番組は上を狙う人たちが体制よりの番組を作り、深夜番組の方は、全く違った気骨のある人がいい番組を作っている。総じてテレビは、キャッチ力のある画像を求めるがゆえに、実態から離れざるを得ない面があるという点。なかなか興味深い話だった。