庭の紅梅

2018-03-31 11:59:15 | Weblog
庭の紅梅がやっと咲きました。例年よりかなり遅いです。この所かなり暖かくなってよいのですが、花粉がこれまたすごい!耳鼻科の病院も駐車場が満杯になるほどです。マスクをしていてもつらいです。

誕生日

2018-03-24 19:45:53 | Weblog
54になりました。どこからどう見ても立派な「おっさん」です。この間、50になったと思ったのに本当にあっという間でした。日頃の慌ただしさに振り回されて、大事なことを見失いがちな毎日です。ともすればブレがちな自分を感じます。定年までが一つの区切りだと思いますが、それまでに一体何ができるのか?今、できることを一つ一つこなしていくだけです。わき目もふらずに!

横浜の夜

2018-03-20 21:37:14 | Weblog
今年も横浜にやって来た。昨年も宿泊した桜木町駅前のホテル。先ほどは、ママの友人と合流して横浜駅前で食事をした。さすがに国際都市・横浜。店の雰囲気、味も最高だ。娘たちも、将来こんな所に住み、優雅な生活を送ってくれればいいと思うが・・。

カレンダーの役割とは?

2018-03-20 15:47:38 | Weblog
カレンダーは、私たちのスケジュールを確認するためだけのものだろうか?いや、違うと思う!カレンダーについている写真や絵。それは、知らず知らずのうちに我々の日常生活の癒しになっていると思う。まだ行ったことのない世界の最果ての写真。毎日目にするごとにだんだんその景色に馴染んでいく。あたかもそこに行ったような錯覚さえ覚える。その景色を見てリラックスできるのは、BGMの役割と同じだ。今、仕事デスクの前にルノアールの絵のカレンダーが飾られている。彼独特のタッチ・絵画世界に日々癒されている自分を感じる。数年前は、「音楽家の部屋」というカレンダーを飾ってあった。1年間使って、あまりにも気に入ったので切り取って額に入れた。とくにお気に入りは、リスト・ショパン・ブラームスの部屋。とくにブラームスの「青いサロン」。この写真はピアノ室に飾って毎日見ている。これを目にするごとに、天才の厳粛な作曲活動の雰囲気に刺激をうけ、少しでも近づこうともがき苦しんでいる自分がいる。

春の使者

2018-03-17 21:15:13 | Weblog
シューラ・チェルカスキーは春の使者だった。今から20年以上も前のことになるが、毎春、チェルカスキーは来日して演奏会を開いた。実はチェルカスキーのことはそれまで知らなかったのだが、幻に終わったルドルフ・ゼルキン最後の公演の払い戻しの際、梶本音楽事務所の方から、ゼルキンと同レベルのアーティストがいるんですが、いかがですか?と勧められたが断った経緯がある。後にNHKテレビの演奏を見て興味をもった。1度演奏会に出かけた所、すぐに彼の虜となった。それから毎年のようにチェルカスキーのリサイタルに出かけるようになったが、これほど魂が揺さぶれたピアニストは少ない。「音の魔術師」とはまさしく彼のことを言うのだろう。あの極上の音色。今でも脳にはっきりと刻み込まれている。何と感動的で幸せな時間を過ごせたのだろうか。チェルカスキーは、あの毛むくじゃらで不器用そうな指からこの世とは思われない無限の響きを紡ぎ出した。何度、感動の涙を流したことだろう。当時の生の響きはもう聴くことはできないが、今はYouTubeでその雰囲気の一部を味わうことができる。1995年4月9日のサントリーホール。その公演がアップされている。この日は、大先輩のMさんを誘って上京し、サントリーホールに駆けつけた。この日が奇しくもチェルカスキーの聴き納めになってしまった。最後に弾いたサン・サーンス作曲、ゴドフスキー編曲の「白鳥」。今でもありありと思いだす。およそ1人で弾いているとは思われない多彩な音のマジック。チェルカスキーの至芸である。そこにはピアノという楽器の持つ可能性の極致があった。今、思いだしても心が震える。その日、チェルカスキーにいただいたサイン。今でも私の宝物である。何と偉大なアーティストだったのだろうか。ひょっとすると、彼は師・ホフマンの水準を超えたのではないか?とかつての師匠がおっしゃっていた。