4月から新しい仕事になり、毎日、本当に疲れる。新しいことに対しての適応力がない。年なのだろうか?スタッフは本当によく働く。びっくりするくらいに素晴らしい!でもみんなが頑張っている集団は、それはそれで気詰まりな面がある。少し違う方向の人がいてもよい。その方がホッとするではないか。何事もほどほどがよいのだ。
3拍子系のワルツ・マズルカ。アクセントの問題だけでなく、リズム感が生きてこないと無味乾燥の音楽になる。ウインナー・ワルツでも違和感の残る演奏がある。ブライロフスキのショパン。リズム感が絶妙である。マズルカの基本は2拍目に粘りがあるが、1拍目にあることもあるし、3拍目にくることもある。規則性はない。ワルツだって後期になるとマズルカ的な2拍目の粘りが入ってきたりする。固定化されたリズムでは音楽は停滞し、つまらないものとなってしまうし、やりすぎは滑稽に陥る。私は、この手の問題についてアカデミックな研究に興味はない。とにかく旋律の歌を損なわず、リズムが生きた音楽になっている演奏には、あまりお目にかかれないものである。
ベートーベンの「皇帝」。小学校の頃から聴いてきて、若い頃、レッスンを受けて、人前で弾いたりもしてきた。でも今、改めて聴き直すと、全く別の印象を持つ。とにかくこの曲ほど雄大でスケールの多い作品は、他に例がない。しかも極めて気高い作品だ。全曲を通して流れる大きな柱は、上昇音型だ。2楽章には瞑想的な下降音型はあるものの、基本はエネルギーが留め処なく底から溢れ出てくる。これでもか、これでもかというくらいに。正に苦難からの勝利を高らかに謳ってかのようだ。そこには人間の矮小な面は全く窺われない。また冒頭のオケのトゥッティに続く長大で自由な形式のカデンツァは、ピアニストに大きな挑戦状をたたきつける。無限の解釈の可能性が秘められている。4番冒頭の短いピアノソロと同様だ。また、2楽章の気品に満ちた味わい深さ、3楽章の後半の弾むような軽やかさはどうだろう。本当に奇跡的な完成度の高さだ。注目すべきはこれだけピアノが中心となって引っ張る曲にも関わらず、最初と最後はオケのみだ。ピアノはそれに挟まれている形をとっている。おそらくこの「皇帝」と4番で、ベートーベンはピアノコンチェルトという形式を書き尽くしたという実感を持ったのではないだろうか。それほど音楽史上聳え立っている記念碑的作品だ。
今日は、こみの小学校入学式。自分は、残念ながら勤務の関係で出席できず。朝、美容院で髪を整え、元気よく出かけた模様。ばあちゃんは赤飯を炊いてくれる。桜も開花し、清々しい日和だ。