菜の花園へ

2013-04-29 16:01:20 | Weblog
菜の花公園に行く。あまり混んではいない。桜は散りはじめ、山の残雪と菜の花のコントラストが美しい。いつも感じるのだが、日常生活とは別の異次元空間だ。

弾けても弾かない

2013-04-28 17:02:40 | Weblog
 最近、通勤の車中ででよく聴くのが、パパ・ゼルキン。ベートーベン弾きとしてとして有名な人だが、生涯、全集を完成させなかった。近年、こんなこともできるんだぞと言わんばかりに、ある作曲家の全曲演奏会を敢行するピアニストが増えている中で、彼の考え方は根本的に違っていた。ディスコグラフィーを見てもおや、と思う曲が抜けていたりする。たとえば3番、7番、17番(テンペスト)などがそうである。おそらく彼の手にかかると名演になること間違いないが、なぜか弾いていない。(録音リストから抜けている。)どうしてなのだろう。たとえば、ワルトシュタインも録音したが、彼はリリースを許可していなかったはずだ。今日、我々が聴くことができるのは、ご家族の許可ゆえである。この事実を知ったらひよっとすると天国の彼は激怒したかもしれない。しかし、客観的に判断しても、このワルトシュタインは素晴らしい。来日公演のような熱さはないが、まさしく彼のベートーベンだ。いったいこの演奏のどこが気に入らなかったのか、ご本人に来てみたい気もする。ともあれ、彼のベートーベン。まっすぐで真摯。甘ったるい味付けは皆無。木訥で男性的。ライブの方は、より柔軟で火花が散るようだ。若手ピアニストの安っぽい耽溺とは次元が違う。彼はベートーベンの精神を見ているだけだ。とくに音と音の間の緊迫感がすさまじい。また彼のスケールはかくも音楽的なのかと驚嘆させられる。
 82年の秋、渋谷の街を歩いていたら、パパ・ゼルキンと小澤氏共演のチラシが目に入った。早速、新宿マイ・シティでチケットを求めた。11月3日に東京文化会館で行われた演奏会。曲目はベートベンの皇帝とモーツアルト21番コンチェルトだった。これが彼の最後の日本公演になったと思う。この時、尊敬するゼルキンに近づきたいと思い、若気の至りだが、ステージに自ら歩み寄った。ゼルキンはステージ袖に入ろうとしていたが、私の姿に気がついたのだろう。こちらに近づいて来て、なんと握手をしてくれたのである。それはそれは感激の極みであったが、何よりも驚いたのが彼の手。今まで何人もの世界的ピアニストと握手をしてきたが、彼の手ほど頑丈な手を他に知らない。それはあたかも、大きなサボテンの肉厚な部分を思わせた。自分の小さな手がすっぽりと包まれてしまい、これが同じ人間の手なのかと思った。この手だからあのような素晴らしいブラームスのコンチェルトが弾けるのだと直感した。後日、友人が普門館でのブラームスコンチェルト1番は素晴らしかったという話を聞いた。うらやましかった。とにかくその芸術性の高さ、気高さ、自己に対する厳しい要求などどれをとっても桁外れの歴史に残る名ピアニストだ。










胃腸炎

2013-04-21 18:21:22 | Weblog
ちゃゆみんが、先週胃腸炎となり、1週間学校を休んだ。流行っているらしい。折しも天候不順。今朝の積雪には本当に驚いた。天気予報をこまめにチェックしないと自分の体を守れない時世になってきた。大陸の方でも、恐ろしい感染症が広まってきたと聞く。油断できない昨今だ。

シンプル

2013-04-02 09:55:59 | Weblog
「シンプル イズ ベスト」とは使いふるされた言葉である。でも、意味深長な言葉でもある。無知なためによる「シンプル」と、あらゆることを熟知した上で、余分なものを削ぎ落としたことによって生み出される「シンプル」とでは、天と地ほどの違いがある。