50歳は「リセットの年齢」ではないだろうか。もちろん肉体的にはリセットなどできない。しかし、精神的な意味でリセットすることはできる。今までの半世紀を振り返って、これからどうやっていくのか、経験と反省をふまえて今後の方針が設定される。これからの時間には限りがある。どうやって悔いなく生きていくのか?自分もいろいろと考えさせられた一年であった。果たして来年はどんな年になるのか。リセット一年目ということです。皆様、今年一年、大変お世話になりました。相変わらず独り善がりな内容となっておりますが、折々に感じたことを正直にそのまま綴ってきたつもりであります。もし共感がいただけるならば、明年も拙ブログに是非お越しくださいませ。みなさま、よいお年をお迎えください!
数年前に聴いたアファナシエフ。そのときはベートーベンの後期ソナタだったが、それらしく演奏しているような感じがして、あまり感心しなかった。さて、今年の6月。シューベルトのD・960を弾くというので、ハーモニーホールに出かけてみた。前評判では、恐ろしくテンポが遅いという。果たしてどうなのか?当夜、お辞儀もそこそこで無造作に弾き始める。動作がユニークで、手が空中で旗のようにひらめく。1楽章。曲の長さにも関わらす、全然そう感じさせない立体的な演奏。多彩な響き。自在なテンポ。絶妙な間合い。素晴らしい展開となっていた。とくにトリルの演出。靄の中から対象がくっきりと浮かび上がってくる。こんな弾き方があったのか!2楽章は孤独を感じさせる迫真の演奏。4楽章はゆっくり目でアーティキュレーションをくっきりと描き出す。最終部。オクターブのモチーフが下降してくるところの見事さ。とにかくアファナシエフの演奏は、ffの音があまりきれいでなく、気になる面はあったものの、作品の構成感が見事で、全楽章にわたり緻密に設計、演出されており、大変感銘を受けた。タッチは、師匠のギレリスの影響もみてとれた。「必聴」というタイトルだけのことはある演奏会だった。
先日、井口もとなり氏の門下という80代後半の女性から手紙をいただいた。面識はない。そこには二つのことが書かれていた。一つめは、私が、今夏、演奏したベートーベンのソナタ。それをCDにしたのだが、知人を通して聴かれたらしい。その演奏の感想が、非常に好意的に述べられていた。実は冒頭、バスの移りを間違えるという信じられないミスをしてしまい、未だに聴く勇気を持てないでいるCDだ。もう一つは、十数年前に今はなき恩師の言行録をまとめて本にしたのだが、それについての感謝が述べられていた。あのように活字にして果たしてよかったのだろうか?先生に対して失礼だったのではないか?自分の中では未だに迷いがあった。しかし、この方はそれが人生の指針となっているとまでおっしゃっている。誠に恐縮すべき内容であった。長年、先生のお言葉をその都度メモし、編集に3ヶ月を要したものだ。出来る限り客観性のあるものにしようとしたのだが、先生のチェックを受けていないので自信がもてないでいた。それでも評価してくださる方がいると、やってよかったのかな?とも思う。是非お会いして、お話を伺いたいと手紙に書いて送らせていただいた。
ちゃゆみんの最近の疑問は、サンタさんって本当にいるの?であった。本当にしつこいほど何度も聞いてくるのです。しまいには、どんな人なのか夜中まで起きてて教えてくれ、とのこと。さてイブの夜。子供たちが寝静まって10時半ごろ。ママとプレゼントのセッティングをした。やれやれ終わったと思って、ちゃゆみんの方を見ると、なにやら布団が盛り上がっている。おかしいなぁ?と思って覗き込んでみたら、バァ~!なんと本人が大笑いをしているのです。決定的にばれてしまった瞬間でありました。本人、今日こそは寝たふりをして、自分の目で確かめようと決意していたようでした。もう少し準備を遅い時間にするべきでした。あまりにも迂闊すぎました。もうサンタさんネタは通用しなくなってしまいました・・。
十数年ぶりに忘年会に出席した。温泉宿での宿泊である。ここは、なかなかの高級な宿で外国人の宿泊客が多い。50代の4人部屋。夜間、いびきもすごかったが、驚いたのは、ある方の食欲。宴会の後、一人で街に繰り出し、寿司屋、ラーメン屋、焼きそば屋のハシゴ。その年齢でそんなに食べちゃって大丈夫なのだろうか?朝、部屋からの眺め。