送別会とは?

2016-03-31 22:19:04 | Weblog
同僚が職場の送別会を欠席した。この年度末で定年退職なのに・・。酒の勢いで、ろくに話したこともない人に見えすいたお世辞を言われ、名残惜しいふりをして、酒を注がれるのが苦痛だという。確かに送別会は、本当に別れを惜しむのは稀で、社交的なお決まりの儀式という色合いが濃い。そこには偽善的な要素も、多少含まれる。それでは気心知れた我々とささやかな会を開きませんか?と誘うと二つ返事でOK。「こういう会だったらいつでも出たいんだよ!」とその同僚は語っていた。

52になりました。

2016-03-24 14:24:35 | Weblog
50を過ぎたら、本当にあっという間です。最近のモットー。無理をしないこと。ある集団に深入りをしないこと。単調な生活リズムをくずさないこと。バランス感覚を大事にして、離れたところから冷静に観察すること。少しでも物事の本質を見極められるように、日々努力すること。とにかく1日1日が勝負です!

午後は

2016-03-21 18:32:40 | Weblog
知恩院を経由して、歩いて清水寺に向かった。かなり天気もよく、ポカポカ陽気となってきて、少し汗ばむくらいだった。境内から京都市内が一望できた。はるか京都タワーも見える。桜も咲き始め、春の到来が感じられた。ただこのところ、花粉がかなり飛んでいるようでつらい。

午前中は

2016-03-21 18:03:13 | Weblog
今日の朝方、京都の街は結構冷え込んだ。観光の係員も口々に寒い!寒い!と言っていた。市バスで鹿苑寺に向かう。外国人観光客ばかりが目立つ。いろいろな言語が飛び交っている。鐘楼にて鐘をつかしてもらう。その荘厳な響きとともに我が煩悩も消え失せていくかのようだ。

京都といえば・・

2016-03-20 20:58:58 | Weblog
学生時代、同志社のN君の下宿にしばらく転がり込んだことがあった。何の計画もなく、いろいろな神社仏閣を訪れ、食べたいものを食べ、気ままな時を過ごした。その時の記憶が、未だにありありと記憶に残っている。古都は時間の経過が他とは違う。自分を悠久の時の流れに置くという感じだ。日常では経験できないことである。そんなこんなで、いつの間にか自分も50を過ぎた。家族でここを訪れるのは今回、初めてだ。また最近、N君とも数十年ぶりに連絡をとった。本当に懐かしかった。現在、N航空に勤務している彼。当時の仲間とともに久しぶりに会いたいと思う。実際に会ってみると、お互いにびっくりするだろうが・・。

聴き方の違い

2016-03-19 13:56:09 | Weblog
最近、気づいたことがある。音楽の聴き方のことである。私が尊敬するドイツ系の巨匠ピアニスト、バックハウスとケンプ。この二人の演奏を聴くとき、無意識のうちに別の感覚を使っていることに最近、気づいた。バックハウスのベートーベンを聴くとき、私の感覚は音楽の「流れ」の中に向かう。間断なく続く抜群のリズム感・大きな音楽のうねりの中に身を委ね、ベーゼンの深い響きを通して、ベートーベンの巨大な建造物を眺めている。一方、ケンプのときは、とてつもない懐の深い音楽の流れの中に身を委ねながらも、次々に移り変わる景色を立ち止まりながら楽しんでいる。予想外のハプニングや、今まで見たこともないような景色も、時折出現する。でもその景色の一つ一つが実に味わい深い。ケンプは、"兄"バックハウスにはかなわない!と言っていたそうだが、"兄"にはない、この人しか出せない味わいがいつもある。ケンプの演奏には、いつも心揺さぶられる。1961年に東京で行われたベートーベン全曲演奏会。そのCDが出ているが、実演はど
んなにすばらしいかったことだろうか?

こみの卒園式

2016-03-16 13:00:00 | Weblog
穏やかないい日和。今日は、こみの卒園式。朝、担任の先生に感謝の気持ちを記した手紙を渡し、副理事長にはお礼の挨拶をする。謝恩会は、家族の人数制限があって出席できないのが残念。でも年寄りパパ、少しは肩の荷がおりて、本当にうれしい。

世論調査

2016-03-16 00:01:34 | Weblog
最近の世論調査の結果を見ると、どうも腑に落ちないものがある。自分の回りの人たちの意見とあまりにもかけ離れているからだ。気のせいかと思って、先日、床屋の主人に聞いてみた。するとやはり、お客さんのほとんどが自分と同意見のようだ。最近のマスコミ報道は、疑わしく感じられるものばかりだ。2011年以来、ずっと疑心暗鬼になっている自分がいる。