素人の勘

2011-06-26 18:02:39 | Weblog
ブログの内容が原発問題にかたよっている。悲しいことである。しかし、小さな子を持つ親としては、これは一時も頭から離れない一大事である。最近、各地の下水処理場でかなりの放射能が検出されている。これはいうまでもなく、日本全土が放射能で汚染されていることを示す。相当に深刻な状況にある。最大限の警戒が必要だろう。群大の早川先生が、ありがたい情報を発信してくれている。本来なら国が発信するべき内容だ。しかし、学者の有志が、かろうじてやってくれている日本の現状はどう考えてもおかしい。実際、国外退避をすべきレベルなのだろう。しかし、うちがそうだが、そんな経済的余裕はない。ならば、最大限、内部被曝しない工夫をするしかないではないか。素人考えだが、まず水、乳製品、魚には気をつける。あと、野菜類も産地をチェック。根気のいることだが、これを習慣にしてしまう。また、線量計を購入し、常にチェック。途方もない神経のつかいようだが、残念ながら、そんな日本になってしまった。もう後戻りできない。今回の事故に関しては、皮肉な
ことに、素人の勘がことごとく的中している。数年経てば大騒ぎになるに違いない。

水疱瘡

2011-06-20 20:41:36 | Weblog
先週から、ちゃゆみんが水疱瘡にかかり、幼稚園を休んでいる。どうも幼稚園では流行っているらしい。数日間、毎晩のようにうなされて大変だった。ようやく落ち着いてきた。自分も小学生の頃だったか、ひどい状態になったことを覚えている。かかりつけの医者が私の背中を一目見るや否や、お~これはすごい!まったく教科書の写真と同じじゃないか~!と感心しきりだった。今でもそのあとが僅かに残っている。

重い腰

2011-06-15 21:16:33 | Weblog
漸く、近隣の小学校の校庭で放射能の測定が始まったようだ。いうまでもなく、対応が遅い。すでに事故から3月も経っているではないか。思えば、3月15日、既にメルトだうンが起きていたのに、関係機関は、その可能性への言及すらしなかった。帰宅途中、放射能の雨に濡れながら帰宅する中高生の姿を車中からたくさん目にした。今から思えば、注意を喚起するべきだったと思う。最近、独自に放射能調査をし、公開し始めた個人、団体が目立つようになってきた。歓迎されるべきことである。行政機関は、安全宣言というまやかしを言う前にすべきことがあるのではないか。まず、今後被害が予想される地域の子供たちを直ちに安全な地域に避難させる。放射能に汚染された可能性のある物品の囲い込み、外部への流出阻止。汚染地域者への手厚い生活補償。汚染地域の放射能除去の手立てを国の最大限の予算を使って行う。最低数年かけてでも。これは待ったなしに実行されなければならない。

芸術鑑賞

2011-06-14 14:45:42 | Weblog
日曜日の午前、だい名のない音楽会で、さど氏、ベルリンフィル定期出演の模様を見た。いつになく緊張した面持ち。娘も別人みたい、と言っていた。無理もないだろう。あの偉大な師匠ですら一回しか立つことができなかった舞台なのだから・・。来週の続きが楽しみだ。午後は美術館へ。モね、ルノアーる、児島、藤田、安井らの絵画を見る。ちゃゆみんが気に入ったのは、児島の「朝顔」という作品。他に、安井の「孫」という作品もタッチが独特で惹きつけられた。岡本たろう氏の「芸術はきれいであってはならない、いやったらしくあるべきだ」という持論を思い出した。

軽井沢にて

2011-06-05 13:43:18 | Weblog
新緑の色がみずみずしく、野鳥が囀っている。今日は蝉までも鳴いている。かぐわしい緑の香り。しばしリラックスできるくつろぎの時間。昨日は、ちゃゆみんのピアノの先生のコンサートに行った。ブラームスのピアノトリオ。やはりブラームスの室内楽曲はいい。普段はあまり聴けない室内楽の生演奏を存分に楽しむことが出来た。生演奏は、CDと違い、音の立ち上り方が立体的なので、ずっと面白く聴くことができる。

見えない敵

2011-06-04 22:07:40 | Weblog
ほう射能は目に見えないからいけない。常に気をつけねばならないのに、ともすれば、意識から外れる。しかし、セシウムは確実に我々の身の回りに存在している。最近、気になるのは、ふう評被害という言葉。あれは、ほう射能被害とするべきなのでは?しかし、そうすれば食物の汚染を認めることになるので、関係者は、そうはできないのだろう。思うに、今回の重大事故の対応を阻んでいるのは、日本人のホンネとタテマエという文化ではなかろうか。それぞれ、ホンネを腹に持っていながらも、立場上、それを持ち出すことはできない。常に、タテマエ論を展開している。ホンネを出すと社会から抹殺されてしまうのだ。政府や学者らの楽観論者たちも、まさか身内にまで、楽観論を話していることはあるまい。恐らく、最大級の警告を発しているはずだ。また、重大な事実が明るみになるまで、事実をひた隠し続けていくのも、極めて日本的なやり方である。