前回の投稿でご紹介しましたように、7月1日にフランスのテレビ番組でドロンさんは劇的に復活しました。
日本では来週14日の21:55から『世界的スター アラン・ドロンのすべて EMISSION SPECIALE』と題してTV5モンドで字幕付きで放映されます。https://apac.tv5monde.com/ja
放送時間は72分とのことですので本国と同じものと思われます。
2年前のカンヌ映画祭出席前後では常に髭を蓄えて登場されていましたが、今回はさっぱりと髭を剃っており、個人的にはこちらのほうがドロンさんらしく若返ったような感じでいいなと思います。
番組内のインタビューの内容がそのまま掲載されているパリマッチ誌も、いつもより時間がかかりましたが、先日ようやくこちらに届きましたので、今回は記念すべき放映前に1ページ目だけ翻訳しましたのでご紹介します。
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パリマッチ(以下PM):あなたは2年前の6月10日から11日にかけての夜に脳卒中を発症し生と死の狭間を行き来しました。
そのときのことについてどのような記憶をお持ちですか?
アラン・ドロン(以下AD):あれはその日の午後7時20分でした。
私は急に気分が悪くなったので救急車を呼んで病院に運んでもらいました。
その時なぜそこにいたのか、何を持っていたのか正確には覚えていません。
私は寝かされていました、ただ何も感じていませんでした。
後になって初めて自分が脳卒中を発症していたことを知りました。
PM:周りにいた医師たちやあなたの愛する家族たちはあなたが死んでしまうのではと思っていたのではないでしょうか?
AD:いえ、私はそう簡単には死ぬことはありません!
PM:何があなたをここまで回復させたのでしょう?
あなた自身の意志の力でしょうか?
AD:主よ、と私たちは天国にその答えを尋ねなければいけませんね!
私は人生でたくさんの困難な事態に直面してきましたが、今回ほどのことは初めてでした。
さあ、どうしてなのか私にはわかりません。
私は確かに何の治療方法も知りません。
ただ何よりも私自身の体質のおかげなのでしょうね。以上!
PM:あなたはご自身の体質を信頼していらっしゃいますか?
AD:はい、ずっと以前からすごくね。そして、私はもうすぐ86歳になります。
PM:今日、あなたが松葉杖を使わずに、このドゥーシーの庭を歩いているのを見ることができたことは大変素晴らしいことです…
AD:でも私だけが特別だということではありませんよ。
ほかにもたくさんの人が回復しています。
私は治療のためにいろいろなことを試すようなことはしませんでした。
自分がそうしたいと思う方法だけを行ってきたのです。それが全てです。
私の伴侶である日本人のヒロミは、私が回復するまでの間ずっと側に付き添ってくれていました。
PM:アラン・ドロンが帰ってきますね?
AD:そのとおりです。
あなたは困りますか?(笑)
帰ってきたら困る人たちをいやがらせてやりましょうよ!
PM:あなたはまだ自分のことを若いと感じますか、アラン・ドロン?
AD:私の気持ちも体もそうですね。
PM:あなたはまだやりたいことがありますか?
AD:はい、映画を撮影したいと思っています。
私は映画を作りたいのです。
すなわち私にとって特別な最後の映画を撮りたいと思っています。
永遠に人々の心に残る映画です。
そうすれば、いずれ私がこの世を去る時でも、もう私には他に何もするべきことはないでしょう。
PM:プロジェクトは進んでいますか?
AD:私はいくつかのシナリオを持っています。
どれにするかを選ばなければなりません...
この作品は特別なものでなければなりませんし、優秀な監督にお願いしたい。
ほら、ジャン・ギャバンがこう言ってたでしょう?
「映画の良しあしを決めるのは一にシナリオ、二にシナリオ、三にシナリオだ。」とね。
PM:あなたはその作品を誰が実現できると考えていますか?
AD:必ずしもそうとは限りませんが、最後の作品は女性の監督に撮ってもらいたいと考えています。
私はリサ・アズエロス監督といつか一緒に仕事がしたいといつも夢見ていました。
彼女もそのことは知っています。
PM:そして俳優アラン・ドロンもこの映画で並外れたものでなければなりませんね...
AD:それについてはご心配なく(笑)
PM:あなたが脳卒中に倒れたのは、私たちの生活をひっくり返した今のコロナ・パンデミックが起こる前夜でした。
このことはあなたの気力に何か影響を与えましたか?
AD:当時私はそのことを知らないまま生きていました。
(昨年11月)85歳を迎えて初めて知りました。そのとき私は独りつぶやきました、なぜこんなことになったのだと。
それは、エトワール広場に侵攻してきたナチスドイツ軍の光景よりもさらに悪いものです。
その当時の私たちは相手が誰であるかを知っていたので、自分たちが誰と戦っているかを知っていました。
ところが今のこの敵の存在について私たちは誰も知りません。
人々は死ぬまで待つしかないのでしょうか...
PM:このようなウイルスが世界を襲う可能性があると想像していましたか?
AD:まったく想像していませんでした。
私はひどい出来事だと思いますし、世界で起こっているすべてのことは絶対に忌まわしいことです。
その上、私はこのパンデミックがどこから来たのか、誰が持ち込んだのかを正確に知りたいです。
犯人の首を絞めてやりたいからです。(笑)
中国人か、日本人か、ロシア人か、さっぱりわかりません。
誰もそのことを言うことはありません。
PM:あなたの意見では?
AD:いろんな人が、あっちから来た、いやこっちから来たと言っていますが、私は知りません。
このことが私たちに起こったのは初めてなので、いつか真実が判明することを願っています。
PM:衛生対策、相次ぐ隔離政策は文化の世界を止めさせました。
あなたは60年のキャリアを持っていますが、このようなシナリオを想像したことはありましたか?
AD:決してありません。
定められてしまったがために文化が犠牲にされています。
恥ずべきことです。
私は政治家を非難します。
もしその政策が単なる恐れからであり、病気にはならないのであれば、私の意見では、すべてを止める以外にやるべきことがあったはずです。
PM:フランス政府はCovidに対する大規模な予防接種キャンペーンに着手しました。
あなたはこれに対して自ら希望して早く予防接種を受けましたか?
AD:その政策については私を全く気にせず、私の意志にも反しませんでした。
私の希望は自分自身を守ることでした、それだけです。
そして、2週間後に2回目の注射をします。
PM:あなたはあなたの世代のすべての人々だけでなく、若い人々にもワクチン接種を受けるように促しますか?
AD:はい、このウイルスに決して感染しないようにしてください。
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コロナウィルスに侵された今の世界の状況と閉ざされてしまった「文化」についてドロンさんの率直な生の言葉を聞くことができ、おそらく世界中のアーティストたちが彼の言葉に勇気づけられることと思います。
また脳卒中で倒れてから今日に至るまでのドロンさんの思い、日本人のヒロミさんという伴侶の存在を初めて公にしたこと、最後の映画作品を撮る予定があること、その監督には亡くなったマリー・ラフォレの娘で『ダリダ』の監督でもあったリサ・アズエロスを指名するなど、新鮮な情報満載でした。
インタビューの続きは14日の本放送をこれから待ちたいと思います。
私はフランス語を今から40年近く前の学生時代に第二外国語で単位を取った程度のレベルですので、そのようにおっしゃっていただけると大変恐縮いたします。
ただドロンさんのインタビューは翻訳していてとても楽しいですし、若いころから全くブレのない首尾一貫した彼の信条を再確認できるいい機会です。
また、単なる翻訳にならないよう、ドロンさんの話しぶりや表情を思い浮かべながら、臨場感をそこかしこに加えております。
お楽しみいただければ幸いです。
Alain Delonさんの近況をご紹介いただき、ありがとうございます。
Delonさんがお元気にお過ごしなのか気がかりでしたので、今回と前回の記事を拝見し、ほっといたしました。
また、管理人様ご自身でフランス語の記事を翻訳なさったことに敬服いたしました。
学生時代にフランス語を専攻、もしくは独学で取得なさったのでしょうか?
素晴らしいです!
私が生まれて初めて好きになった映画スターは、Alain Delonさんです。
今から6年前、23歳のときに「Plein Soleil」を観て、彼の青い瞳の美しさ、容姿の美しさに心を奪われ、彼が出演した映画をもっと観たいと思いました。
最近は「Le Samouraï」を何度も観ています。
かっこいいです…。
Delonさんのことを知りたいときは、Delonさんへの愛が溢れる、こちらのブログを拝見しています。
これからも更新を楽しみにしております。
気が抜けない日々が続いておりますが、ご自愛くださいませ。