LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を探ります。

BORSALINO (1)

2007-07-18 | THE 70'S CINEMA
皆様お久しぶりです。
更新ができなくてもいつもたくさんの方々にお越しいただき、
大変ありがたく感じております。

さてジャン・ポール・ベルモンドがいよいよ映画に復帰か?という
大変嬉しい情報を見つけました。
http://www.cinemapassion.com/news/actualite-3623.html

というわけで今回から4回に亘りドロンさんとベルモンドとの本格的な共演作品
『ボルサリーノ』を取り上げたいと思います。

まずは以前ご紹介したDelon・Belmondo
の中に本作に関する文章がありましたので、その抜粋をご紹介します。

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『黙って抱いて』での初共演以来12年ぶりの、
アラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンドの本格的共演作である本作は
公開前からメディアや大衆から大きな期待を持たれていた。
なぜなら初共演以来二人のキャリアはそれぞれが頂点に向かって上り詰め、
2人はスター、いやスーパースターとして映画界に君臨していたからであった。

1969年9月にジャック・ドレー監督の下に『ボルサリーノ』の撮影が始まったが、
この作品で二人のうちどちらが勝利を収めただろうか?
アラン・ドロンは『さらば友よ』と『太陽が知っている』の2本の作品で成功を収めていたが、
一方で『悪魔のようなあなた』『あの胸にもう一度』『ジェフ』では
全くの不発に終わっていた。
それゆえ彼には今一度自分自身の実力を再興させる必要に迫られていた。

一方ベルモンドの方はどうかといえば、
『オー!』『暗くなるまでこの恋を』では商業的な成功を収められなかったが
大ヒット作『大頭脳』が上の2本の間にあり人気スターとしての地位はゆるぎなかった。

そういう面ではドロンの方がベルモンドよりもこの作品に期するものが
大きいように感じられるが必ずしもそれは正確ではなかった。
というのもこの作品の直前にドロンの出演作『シシリアン』が公開され、
その作品の質的なレベルの高さとともに大衆からも絶大な指示を集め、
彼はその年の新聞紙上で選ばれる「フランスで最も尊敬される10人」の中に
映画界から唯一名前を連ねていたのであった。

一方ベルモンドの方は同じ年にクロード・ルルーシュ監督作品
『あの愛をふたたび』に主演したものの商業的に失敗していた。
『シシリアン』が1969年の興行収入のベスト3に入っていたのとは対照的であった。

二人の俳優がこの作品の撮影に入る直前にはこのような背景があったのだ。

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次回に続きます。
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UN FLIC (1)

2006-08-25 | THE 70'S CINEMA
1972年のアラン・ドロン主演作品『リスボン特急』を採り上げます。

この日本題名は覚えやすく、どこかエキゾチックな響きがあり、決して悪くはないのですが、
かなりこの作品のイメージを観客に誤らせてしまうような気がします。
原題は「あるデカ」というシンプルなもので、
正に「あるデカの日常」を淡々とジャン・ピエール・メルビル監督は描きたかったのだと思います。

この『リスボン特急』は意外と公開当時から評価が低いようで、
シネアルバム「血とバラの美学」にも、ある日本の有名な監督が手厳しい批判文を書いておられました。
確かに他のメルヴィル監督作に比べると弱いかもしれませんし、
各シーンにツッコミどころ満載の映画であることも認めざるをえません。
しかしながらこの作品でのドロンの演技には印象的なシーンがぎっしりつめこまれており私は好きな作品です。

それまでの作品ではドロンの演技にはまだ「若さ」を感じさせるようなものがよく見られましたが、
この『リスボン特急』ではそういう「若さ」「甘さ」といったものを画面から感じさせず、
一種の「凄み」というものを演技で披露した初めての作品であると思います。

外見面ではドロンは珍しくダーク・スーツではなく
薄いブルーのスーツと薄いカーキのジャケットを身にまとっていますが、
映画全体のブルーを貴重とした映像にとてもマッチしていました。

特に印象にに残ったシーンは
①殺された女性の死体を上から覗き込んだときの虚無的な視線。
②不法滞在でひったくり常習犯の外国人たちを目の前に整列させ、
そのうちの一人の頬を有無を言わさず顔色変えずに思い切りひっぱたいて自白させる暴力的なシーン。
③射撃練習場で同僚とゆっくり歩きながら、いきなり銃を撃つ際の素早い身のこなし。
④怪しさ満天の女装の情報屋との車の中での密談。(「FRANK RIVA」で同じようなシーンが見られます。)
⑤そして彼女(?)の情報が偽情報だったと勘違いしたドロンがデカ部屋に呼びつけて手ひどく痛めつける残虐な目つき。
⑥銀行強盗団の一人を食堂で待ち伏せし、飛び掛って羽交い絞めにする緊迫感溢れるアクション・シーン。
⑦追い詰められた犯人が自宅で自殺する瞬間ドアの外で思わず身を潜め、発砲した後に部屋に入る一連の無言の動き。

などです。

そして最後に最も私の印象に残っているのは、
ドロンが自分のデスクで執務中に眼鏡をかけたり外したりしながらデスクに座り、
クレンナのいるクラブに電話して彼が不在とわかると、一瞬考えた後に
新聞発表を待ってもらうよう上司に電話をかける一連の動きを長回しのワンカットで捉えたシーンです。
上司に「間に合わない」と返答されて最後に口元だけ笑いながら
「いえけっこうです」と目をうつろにしてつぶやくクールな芝居は最高でした。
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MORT D'UN POURRI チェイサー(3)

2006-05-06 | THE 70'S CINEMA
前回の続きです。

②撮影アンリ・ドカエの映像美について

アンリ・ドカエが撮影を担当したアラン・ドロンの映画は
『太陽がいっぱい』(60)『生きる歓び』(60)『黒いチューリップ』(63)
『危険がいっぱい』(64)『サムライ』(67)『悪魔のようなあなた』(67)
『シシリアン』(69)『仁義』(70)
そしてこの『チェイサー』の計9つの作品がありますが、
これはジャン・ジャック・タルベの10作品に次いでの多さです。

ところがドロン自身が製作する作品にドカエが起用されたのは『チェイサー』が実は初めてで、
『仁義』から既に7年、本数にして23作品を経過しているのが意外です。
どのような事情があったのかはわかりませんが、
ドロンはこれまで疎遠になってしまっていたドカエを再度起用することで、
デビュー時の初心に帰ろうとしたのではないかとも思われます。

ドカエが映し出すこの作品でのアラン・ドロンの姿は
スポット・ライトで正面から照らされることは全くと言っていいほどありません。
部屋の中では逆光を背に立ち、顔の表面に常に影が生まれるよう工夫されています。
ちょうど40歳を過ぎて皺の刻印が顕著になり始めてきた当時のドロンの素顔が
誠に陰影が深く浮かび上がってきており、
これは同時期の作品『プレステージ』での若々しい姿とは極めて趣きを異にしています。

ドカエとはこの作品を最後に以降コラボレートすることがなかったのは非常に残念です。

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③豪華キャストの新鮮な顔合わせについて

映画の中で90%近くほぼ出ずっぱりのドロンの役に比して、
周りの登場人物の出演時間は極めて少なく限定されているにもかかわらず、
この作品には多様な出演者が集められています。

モーリス・ロネ、ミレーユ・ダルク、ミシェル・オーモン、ジャン・ブーイズなど
かつてドロンと共演経験のある俳優ばかりでなく、
オルネラ・ムーティ、ステファンヌ・オードラン、ジュリアン・ギオマールなど
ドロンとは初顔合わせになる俳優陣が脇を固めています。

そして何よりも驚くのはあの超個性派俳優クラウス・キンスキーの登場です。
この映画でのキンスキー扮する政財界のフィクサーの圧倒的な存在感たるや尋常ではありません。
ドロンの敵役としては『フリック・ストーリー』でのトランティニアンに匹敵する見事な演技を見せてくれます。

個性の強さでは全く引けをとらないドロンとこのキンスキーとの間で
撮影現場においていったいどんなやりとりがあったのだろうかと想像するだけでもわくわくしてしまいます。
彼を共演に起用したプロデューサー、ドロンの選択眼に拍手です。

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⑤アラン・ドロンの絶妙な演技について

“演技で最も重要なのは人のセリフを聞くことだと思う。
長々話せても聞くのは下手な人が多い。演技の上だけでなく実生活でもだ。
学校では「聞き方」を教えるべきだ。演技に限らず生活全般の為にね。
自覚している人は少ないが聞いているつもりでも理解していなかったり話が頭に入っていないことが多いものだ。
昔 演技の授業で「ただ立っている」のをやった。手をポケットに入れたりせず何もしない。
最初は照れくさいんだが、慣れると自分の立場が分かって周りの人や物を観察できるようになる。
その技をマスターすると人目を気にしないすばらしい感覚が生まれる。
ありのままの自分でいていいんだ。”

これは“N●Kアクターズ・スタジオ・インタビュー”の中でのクリント・イーストウッドの言葉ですが、
『チェイサー』でのドロンの演技は正にこの言葉を実践しているかのような見事なものです。

主人公はラスト直前に親友の敵討ちに自ら乗り出すまでは首尾一貫して受け身の立場を貫きます。
他人が自分に向かって発する言葉を聞いている顔が常にキャメラに収められていますが、
さらに相手が目前から立ち去った後、一瞬自分なりの感情表現を微妙に付け加えている所がまた素晴らしい。
その絶妙な間の取り方はまさしくドロン天性のものであるといえるでしょう。

ドロンはこの作品の演技により、惜しくも受賞を逃していますがセザール賞の主演男優賞候補となりました。
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MORT D'UN POURRI チェイサー(2)

2006-05-05 | THE 70'S CINEMA
Mort d'un pourri (1977)
この作品の原題は『虫けらの死』あるいは『汚い奴の死体』というもので、
物語の展開に重要な意味を持つ汚職政治家の秘密を握る男の死から付けられているものと思われますが、
この難しい小説的な題名を『チェイサー』(=『追いかける男』『謎を追う男』)という
スマートで都会的な題名に変えた日本の配給会社のセンスは非常によかったと思います。

今回からこの作品についての魅力を下記の5つの要素に分けて述べていきたいと思います。

①主人公グザヴィエ・マレシャルの人物像の魅力
②撮影アンリ・ドカエの映像美
③豪華キャストの新鮮な顔合わせ
④スタン・ゲッツを起用したフィリップ・サルドの音楽
⑤アラン・ドロンの絶妙な演技

(このうち④につきましては以前に投稿しましたのでそちらをご覧下さい。)
『MORT D'UN POURRI』(1)
『MORT D'UN POURRI』(2)
『MORT D'UN POURRI』(3)
『MORT D'UN POURRI』(4)

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ではまず初めに①について(若干私の推察を交えながら)記していきます。

ドロン演ずる主人公グザヴィエは、
自らの手でパリの高層ビルの1室に事務所を構える商事会社を何年か前に起こし、
数多くの従業員を抱えながら日々の業務を多忙にこなしているやり手の実業家である。

彼と同じオフィスには古くからの親友であり政治家でもあるフィリップが事務所を構えているが、
恐らく友人思いのグザヴィエが彼に間借りさせているものと思われる。

そのような環境下にあってもグザヴィエは政治にはいっさい興味はなく、嫌悪感すら抱いている。
当然のことながら自分の事業にフィリップの援助は一切必要とせず、
あくまでもお互い距離を置いてそれぞれの道を歩んでいる。

私生活においては、パリのアパルトマンで永年一人暮らしをしており、
恋人が時折訪ねてきては安らぎの一時を過ごすという極めてマイペースの生活。

そんな折親友であるフィリップが衝動的な殺人事件を起こしてしまい、
その動機を聞いて彼に同情したグザヴィエは偽のアリバイ工作を自ら進んで買って出る。

実はフィリップは殺害の詳しい状況についてグザヴィエに嘘をついており、
また殺害後に重要な機密書類を奪い取っている事も隠しているズルイ男なのだが、
その事を知ったグザヴィエは親友を大いに叱り付ける。

それは自分が騙された事に対して感情的に怒っているのではなく、
あくまでも親友が自分の立場を自ら不利にしている手際の悪さを認識させ、
軌道修正させる為である。

フィリップにはさらにもう一つ秘密があった。
自分の顧問弁護士と恋仲になってしまった妻に対抗すべく密かに愛人がいたのである。
フィリップからその事をやむなく告白されても
グザヴィエはそれ以上彼を追求したり非難したりはしない。
そんな事をしても今回の事態には一切関係がないという彼の冷静な判断であり、
かつフィリップの心の痛みも十分わかっているからである。

事態はさらに悪化の一途を辿り、とうとうフィリップは何者かに殺害される。
無二の親友を失ったグザヴィエの犯人追求劇がここから始まるが、
いかなる危機に直面しても彼はあくまでも冷静沈着である。

この一本筋の通った彼の頑固さはフィリップの愛人にも危機をもたらすが、
窮地を救ったグザヴィエは彼女を漫画家である幼馴染に頼んで家にかくまってもらう。
たとえ社交的ではなく、パーティー嫌いの性格であっても、
そうやって助けが欲しいときに助けてくれるブレーンが常に彼の周りには多数存在しているのだ。

この魅力的な人物はやがて敵対していた刑事や、
影のフィクサーたちからも一目置かれるようになり、
機密書類を目当てに様々な立場の人間がグザヴィエにアプローチを掛けて来る。
しかしながらどのような誘惑にも彼は一切耳を傾けようとしない。
グザヴィエが知りたい事はただひとつ、誰が親友を殺したか?のみなのである。

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いかがでしょうか?
私なりに整理する為にこうやって長々と書いてみて、
改めて自分が日常生活の上で理想と考える男の姿がこの「グザヴィエ」であると再確認しました。
この映画を観るだけで、『仕事が出来る人の云々かんぬん』といった巷でよく売れている自己啓発本は
全く読む必要はないと自信を持って私は言えます。

そしてこの「グザヴィエ」=「アラン・ドロン」という図式が私の頭の中で出来上がった為に、
こうやって今もドロンの探求を続けている自分がここにいるのです。

今回は長くなりましたので次回に②③⑤について記します。
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MORT D'UN POURRI チェイサー(1)

2006-04-30 | THE 70'S CINEMA
人には誰しも人生において決定的な影響を受けた映画というものがあろうかと思いますが、
私にとってこの作品ほどその形容がぴったりと当てはまるものはありません。
公開当時映画好きな高校生であった私が、
テレビではなく初めてスクリーンでお目にかかった
この作品でのアラン・ドロンの姿は生涯この目に焼きついて離れないものとなりました。

一体何がこれほどまでに自分を引き付けたのか、理由は未だにわかりません。
映画としての価値で言えば、はっきり言って凡作なのでしょう。
特に何か大きな賞を受けたわけでもなく、興行的に大成功した作品でもありません。
映画史からは忘れ去られてもおかしくない作品であることも認めます。

それら全てを理解した上で、それでも尚この作品の全てが自分にとっては
これからもずっとベスト・ワンの映画であり続けることは間違いないことなのです。

この作品の魅力について数回に分けて探求していきたいと思います。

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SCORPIO (3)

2006-02-22 | THE 70'S CINEMA
“Hachette-Collections”の連載記事"DELON STORY" より
本作についての記述をご紹介します。

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(『高校教師』に次ぐ作品)『スコルピオ』でアラン・ドロンはがらりと役柄を変えた。
その上大西洋の向こうに渡り親友バート・ランカスターと再会することもできた。

今回の彼らの役柄は敵対する者同士である。
バート・ランカスターが演じるのは初老のCIAエージェントで、
アランドロン扮する冷酷非情な若き殺し屋ジャン・ローリエ、別名スコルピオから命を狙われている。
MGM製作のこの作品の監督はマイケル・ウィナーで、撮影は野心的に行われた。
パリ、ウィーン、モスクワ、さらにワシントンで繰り広げられたのだ。
そしてこの作品は国際的に成功を収めたのである。

ドロン“『スコルピオ』の撮影で面白かったのは
私のパートナーである監督と私自身が同じさそり座生まれであったことだ。
さらに映画の中で重要な人物が語った「君は完全なさそり座の男だ。」と言う台詞。
これら2つの要因により映画のタイトルが『スコルピオ』と付けられたんだ。”
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東西冷戦時代のCIAという組織の非情さを
クールなサスペンスタッチで描いた本作におけるアラン・ドロンの演技は、
フランスのフィルム・ノワールの主人公をアメリカ映画に登場させたらどうなるか、
という映画ファンの願望を実現して見せてくれたものになりました。

ラストの駐車場でのドロンの非情な演技は完全にランカスターを圧倒しており、
この後アメリカで新境地を開くことも可能であったのではと思いますが、
きっぱりとフランスに戻って活動を続けたドロンの見識は正解でした。

この作品のサントラについてはこちらに記述しています。
『SCORPIO』
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SCORPIO (2)

2006-01-21 | THE 70'S CINEMA
本作の最大の見所は、ランカスターとドロンとのチェイスシーンです。

ウィーンの地下鉄工事現場を主な舞台としたこの一連の場面は
ドロンのフィルモ・フラフィーの中でも屈指の記憶に残るアクション・シーンではないでしょうか。

中でも自動車が行き交う道路を、走りながら横断したり、
地下のトンネルの上に地上から飛び降りる危険なシーンは大変見ごたえがあるもので、
ドロンもランカスターもここでスタントマンを使うことを拒否して自ら演じています。

文章であれこれ書いても伝わりにくいので
上の写真でそのシーンの醍醐味を味わってください。
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SCORPIO (1)

2006-01-20 | THE 70'S CINEMA
Scorpio (1973)

『ビッグ・ガン』と同じ1973年に発表された『スコルピオ』は
ハリウッドより傷心の帰国以来久々のドロンのアメリカ映画出演作品で、
バート・ランカスターと『山猫』に続いて2度目の共演作としても知られています。

この作品はドロンのフィルモグラフィーの中では意外と評価が低い作品のような気がするのですが、
『ビッグ・ガン』と同じくスナイパーを演じるドロンの魅力が炸裂する私のお気に入り作品です。

『山猫』の撮影当時28歳のドロンに対して50歳のランカスターが俳優として
格の違いを見せ付けていたのに対して、
10年後の本作では働き盛り38歳ドロンが60歳のランカスターを十分に圧倒しており
ドロン出演場面での画面の緊張感はただならぬものがあります。
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La Race des 'seigneurs' 個人生活(2)

2005-10-10 | THE 70'S CINEMA
この作品は題名やポスターからは男と女の不倫恋愛ドラマと思われがちですが、
映画の内容はむしろ一人の男の躍進と破滅の物語で、
ドロンは「常に動き回る忙しい男」でかつ「表と裏の2つの顔を持つ男」という
彼が得意とする役柄を生き生きと演じています。

主人公の名は左翼政党の党首ジュリアン・ダンデュー。
(なぜか『栗色のマッドレー』の主人公と同じ名前です。)
与党との連立政権に参画し自らが大臣に就任することを画策している野心的な政治家です。

政党の党首として精力的に活動する傍ら、
飛行機で出遭った美しいモデル、クリージーとの逢瀬にのめり込み
そのことが世間に知れ渡ることになっても関係を断ち切れずにいる身勝手な男。

やがて度重なるすれ違いに耐えられなくなったクリージーから絶縁宣言を言い渡され、
その喪失感にもがき苦しむ主人公の気持ちが非常に丁寧に描かれています。

またこの映画が怖いのは周りにいる人物たちの二人に対する冷たい仕打ちも容赦なく描かれていることで、
特にクリージーの部屋で開催された食事会にドロンが参加し、
あたかもクリージーのパートナーであるかのように振舞うことの虚構を見透かされるシーンは
二人の限界が残酷に描かれ、身に覚えのある観客たち(?)はいたたまれない気持ちにさせられることでしょう。

ジャンヌ・モローとドロンはこの作品が初共演というのが意外な気がします。
“女優ジャンヌ・モロー型破りの聖像(イコン)”マリアンヌ・グレイ著、小沢瑞穂訳(日之出出版)
によりますと、ドロンは彼女が前から憧れていた俳優だったとのこと。
ドロンとは7歳違うだけでまだ若い彼女が、この作品ではもう少し年長のような設定からか、
普通なら演じるのを拒むような老いの悲哀を強調する描写も堂々とこなし、大女優の風格を感じさせられました。

ドロンとシドニー・ロームの衣装はクリスチャン・ディオール、
ジャンヌ・モローの衣装は(ピエール・カルダンではなく)ウンガロ、
他にもドロンが着るコートにバーバリーの裏地が見えたり、
ロームの部屋にヴィトンのバッグがあったりと
一流ブランドが勢ぞろいした画面作りは大変贅沢な気分にさせてくれます。
ドロンのスーツの着こなし、身のこなしは仕事人として大変参考になります。
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La Race des 'seigneurs' 個人生活(1)

2005-10-09 | THE 70'S CINEMA
Race des 'seigneurs', La (1974)

フェリシアン・マルソー原作『クリージー』を脚色した1974年度作品で、
アラン・ドロンは製作には関与せず主演俳優として参加しています。

主要スタッフは

監督 ピエール・グラニエ・ドフェール 『帰らざる夜明け』『未知の戦場』

撮影 ウォルター・ウォティッツ    『帰らざる夜明け』『リスボン特急』

脚本 パスカル・ジャルダン      『素晴らしき恋人たち』『フランス式十戒』『危険がいっぱい』
                      『栗色のマッドレー』『もういちど愛して』『帰らざる夜明け』
                      『ボルサリーノ2』『未知の戦場』

音楽 フィリップ・サルド        『帰らざる夜明け』『暗黒街のふたり』『愛人関係』
                      『チェイサー』『未知の戦場』『最後の標的』

助監督 フィリップ・ルフェーブル   『シネマ』

とドロン作品ではお馴染みのメンバーが揃っています。

一方、主要キャストの
シドニー・ローム、ジャンヌ・モロー、クロード・リッシュ、ジャン・マルク・ボリー
などは皆ドロンと初顔合わせで、
(この後も共演する機会があったのは『パリの灯は遠く』のモローだけ)
新鮮な組み合わせの配役となっています。

本作の見所はいろいろな方も指摘をされていますがドロンの電話を掛ける演技です。
実に15回も作品の中で電話を掛ける、あるいは受けるシーンがあり、
それぞれ異なった精神状況下で微妙な表現方法を駆使しています。
かと言って計算された演技というものではなく、あくまでも自然な、
正にそこに必死に生きている人物を見事に演じています。
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THE CONCORDE AIRPORT'79 (2)

2005-07-18 | THE 70'S CINEMA
アラン・ドロンが扮するのはコンコルドの名パイロット、ポール・メトラン機長で、
いかなる時も冷静沈着で、常に的確な判断を下す大変魅力的な人物です。
まるで『チェイサー』や『フリック・ストーリー』の主人公のようでもあり、
決して『プレステージ』の主人公のようではありません。(あったら困りますが・・)

『タワーリング・インフェルノ』でのニューマン&マックィーンの先例もあるように、
いわゆるパニック映画では主人公が単独で超人的に活躍する物語よりは、
二人の主人公が互いに協調し友情を育んでいく物語にする方がより感動的になります。
偶然にもこれはフランス映画でドロンが演じてきた映画の数々にもあてはまるもので、
この映画でも、ドロン機長とジョージ・ケネディ扮するシリーズの常連、
ジョー・パトローニ機長との間で信頼関係が構築されていく様が丁寧に描かれています。

また2回の攻撃から逃れてフランスにようやく到着した直後の機内で、
ドロン機長がデビッド・ワーナー扮する整備士に向かって
操縦席から振り向きざま「ありがとう。」と語りかける場面も
いつか何かの映画で見たシーンを思い起こさせます。

このようにこの作品の脚本家はあらかじめドロンの魅力について
かなり研究してシナリオを書いた形跡が見られることから、
いかに作品の出来はよくなくとも、
ドロン機長は魅力ある役柄として引き立っていると思います。

共演のシルビア・クリステルは撮影終了後のある雑誌か何かのインタビューで
撮影中ドロンから自分の演技についてかなり手厳しい評価を下された、と
ドロンの事を快く思っていない主旨の発言をしていました。
しかし確かにドロンの指摘の通り、
微妙な心理面の変化を、顔の筋肉に力を入れることなく表現することが出来るドロンに対して
全くそれに受け応えできず、ただ目を泳がせるだけの彼女の演技は
見ていて逆に気の毒になりました。

この映画の音楽の担当はラロ・シフリンです。
ドロンの作品では以前に『危険がいっぱい』『泥棒を消せ』を担当しており、
ドロンとはこれが3作目となります。(偶然とは言え珍しいことだと思います。)
このサントラ盤はCD化もレコード化も恐らくされていませんが、
メイン・タイトルとラブ・テーマはけっこう私は気に入ってます。
いつかCD化されることを願っています。

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THE CONCORDE AIRPORT'79 (1)

2005-07-17 | THE 70'S CINEMA
The Concorde: Airport '79 (1979)

70年代、精力的に活動を続けてきたアラン・ドロンですが、
その締めくくりに(というわけでもないのでしょうが)
突如ハリウッドのパニック超(?)大作に主演したのがこの『エアポート’80』です。

アメリカでの当時のドロンの知名度がどれほどのものであったのかはわかりませんが、
とりあえずタイトルロールでは主演扱いで、丁重に迎えられていたのは事実のようです。

しかしながら出来上がった作品は、1969年の『大空港』から始まった
エアポート・シリーズの「最後を飾るにふさわしい。」
と言うより「シリーズ打ち切りの引導を渡した。」
という表現がぴったりのどうしようもないB級トホホ作品となってしまいました。

恐らく企画段階でユニバーサルの製作者たちの頭の中には、
まず「コンコルドありき」から始まり、
次にそのコンコルドがミサイルに狙われたり、戦闘機から攻撃を受けたり、
着陸でブレーキが効かなくなったり、制御不能になってアルプス山中に不時着したり、
などといったシーンを思い描いたのでしょう。
ストーリーはそれらの“妄想”に現実感を持たせるための道具にすぎず、
そこにある程度名前の知れたお手軽俳優たちをキャスティングし、
シリーズの統一感を出すためにジョージ・ケネディにお出で願って、
最後に「さて主演スターを誰にしよう?」となったはずです。
そこで何人かのフランス人俳優がピックアップされた中で、
英語が堪能で、かつ主要マーケットである日本での知名度が格段に高い
アラン・ドロンに白羽の矢が立った、というのが事実ではないでしょうか。

出演の要請を受けたドロンはことのほか喜んだことと思います。
まず第1にこのような大規模予算のハリウッド大作に、
以前ハリウッド進出に挫折した自分が迎え入れられること、
さらにフランスが当時世界に誇っていたコンコルド機を
自分が祖国を代表してアピールができること、
またそれに見合うギャラの高さなども当然引き受ける基準にはあったでしょう。
しかし、私はそれ以上に、(あくまで推測ですが)
“尊敬するバート・ランカスターが第1作目で主演したエアポート・シリーズに
自分も主演することが出来る。”
ということにドロンは特別な意義を見出したのではないかと思います。

そういう気持ちでいたからかどうかは別として映画の中でのドロンの演技は
決して手抜きのないヨーロッパの名優としての誇りを感じさせ、
周りのユーモアまじりのにやけたハリウッド俳優たちとは一線を画しています。

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SOLEIL ROUGE レッド・サン (2)

2005-07-04 | THE 70'S CINEMA
アラン・ドロンはチャールズ・ブロンソンとは既に『さらば友よ』で共演済みですが、
あの作品では明らかにブロンソンのキャラクターに魅力があり、
ドロンは13歳年上のブロンソンを立てた映画だったと思います。
しかし『レッド・サン』ではそういう一歩引いたところが全く無く、
ブロンソン相手にやりたい放題の悪役ぶりです。

三船敏郎とドロンが共演する場面はさほど多くはないのですが、
“日本の侍”と“フランスのサムライ”が対決する、という魅力的な図式は
正にドロンが敵役であればこそ実現するものです。

共演女優のウルスラ・アンドレスは、テレンス・ヤング監督と
『007ドクター・ノオ』以来のコンビ復活という話題が一般的です。
しかし私には当時私生活でジャン・ポール・ベルモンドのパートナーであった彼女が
ドロンの恋人役で、しかもブロンソンとの間で心が揺れ動くという役柄を演じることに
製作者の粋なお遊びというものを感じてしまいます。

ドロンは左利きの拳銃使いであるという設定を撮影現場で初めて知り、
猛練習の末に指に血豆を作りながらもマスターした、という有名な逸話がありますが、
この作品のあと『ビッグ・ガン』でも左利きの殺し屋のガンさばきを見せてくれます。
しかしこの作品では右でも撃つシーンはあり、両手使いの設定のようでした。
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SOLEIL ROUGE レッド・サン (1) 

2005-07-03 | THE 70'S CINEMA
Soleil rouge (1971)

1971年、三船敏郎、チャールズ・ブロンソン、アラン・ドロンの
日米仏3人のスターが共演した、誰もが知っている超娯楽作品で、
一般的に世間の評価はアラン・ドロンよりもブロンソンと三船の二人の出演場面の方が面白く
ドロンは出演時間も短いこともあり、どちらかと言うとゲスト扱いになっています。

しかしながら最近この作品をよく観てみると、この作品でのドロンの悪役ぶりは
他のドロン作品の中でも際立って彼のデーモニッシュな魅力が詰まっており、
ここまで徹底して憎まれ役を演じきることが出来るスターは他にはいないと思いました。

この作品にドロンが憎々しい敵役を演じているからこそ、他の二人の魅力も増し、
映画自体も1級品となり得たのだと感じています。
また逆にこの作品の中で徹底した悪役を演じたことも
ドロンのキャリアにとっては貴重なものになったものと思います。

もしこのゴーシュ役にドロン以外の俳優がキャスティングされていたら、
映画はB級のゲテ物作品になっていたかもしれませんし、
ドロンのキャリアにこのような国際的なマーケットを視野に入れた作品がなければ
ハリウッド進出に失敗したフランスのスターの中の一人にとどまっていたかもしれません。

そういう意味でこの作品はドロンにとって重要な意味を持つ作品であったと私は思うのです。
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