前回の続きです。
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この5人目の質問者の方とドロンさんのやりとりは今回の松山のパーティーでのハイライトとなります。
彼女は12歳の時からのドロンさんのファンとのことで、以前ドロンさんから贈られたサイン入りのポートレートなど3枚の写真を貼り、そこに”These are my treasures”という題字を付けた自作の大きな紙を見せながら通訳の方に向かってこう語ります。
「私は以前ドロンさんからファン・クラブを通じてここにあるサイン入りのポートレイトを送ってもらったことをとても感謝しています。
この“感謝している”という私の気持ちを(ドロンさんに)つたえてください。
そしてまたよかったらぜひ松山に来て下さい。」
通訳の方からこの言葉を聞いたドロンさんの表情が、それまでの質問者たちに対して見せてきたにこやかな表情から一転して真剣なまなざしに変化しました。
そして会場の人たちの拍手に呼応するかのように彼もマイクを脇にはさんで同じく彼女に向かって拍手をします。
そしてマイクを持ちかえたドロンさんは彼女に向かってこう答えます。
「私の方も本当に、正直に、感動しました。
というのは自分の家からこんなに遠いところまで来て、こんなに写真を集めて下さって、特に12歳のころから。
しかも“これらは私の宝物です”と書いて下さって、本当にありがとう。
本当に私は胸を打たれました。 ありがとう。」
そしてそのまま舞台を降りて彼女の所に向かったドロンさんは、彼女が持っていたその紙を改めてじっくりと見ながら彼女をやさしく抱き寄せます。
そして彼女に対して、
「あとでよければ私のスイートルームに来て下さい。これにサインしますから。本当に来て下さいね。」
と片方の手でサインをするジェスチャーを交えながら壇上に戻っていきました。
ドロンさんのやさしい言葉に会場の方々から大きな拍手が湧き起こる感動の場面となりました。
次の質問者からは2つの質問が寄せられます。
「もし俳優にならなかったら何になりたかったですか?」
「俳優でなかったとしたらスポーツ選手になりたかった。
どのスポーツをするかは決まってないけれども、スポーツが好きなので。
あるいは音楽が好きなのでピアニストになりたかった。」
「一番今まで影響を受けた人は誰ですか?」
「3人の監督でクレマン、ヴィスコンティ、そして黒澤明です。」
ここで黒澤明の名前を出したのは、日本人向けのリップサービスが含まれていると理解しておくべきでしょうか。
7人目の方からはユーモラスな質問が出されました。
「明日の朝ドロンさんと同じものを食べますので、今朝何を食べたか教えてください。」
ドロンさんはにっこりと微笑みながら答えます。
「卵2個とトースト、コーヒーのブラック、それとイチゴジャムですね。」
「はい、じゃあ明日の朝それを食べます!」
一呼吸置いたドロンさんは真剣な顔になって会場の方々に向かって語り始めます。
「ひとつ説明したい。
この四国、松山(を訪れるの)は私の人生で初めてなのです。
フランスのような遠い国からここまで来て、こんなに熱い出迎えやファンがいて下さったことは本当に胸を打たれることであって心から嬉しい。
どっちが恥ずかしいかというと私の方が恥ずかしい気持ちです。
本当に嬉しい。みなさんにもう一度お礼を言いたい。」
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ドロンさんの最後の言葉は決して社交辞令ではなく本心からのものであることは彼の表情を見ればわかります。
実際に80年代の日本でドロンさんの新作映画がロードショー公開されることは皆無に近い状態で、ドロンさん自身も70年代に熱狂的に迎えられた頃とは違うことをある程度予想(あるいは覚悟)した上での来日であったのではないでしょうか。
にも拘らずこれほどまでに熱狂的に日本のファンに、しかも東京や大阪といった大都市ではなく地方都市において出迎えられたことは彼にとっては本当に予想外でうれしかったにちがいありません。
さてパーティーの質問コーナーはドロンさんのこの感謝の言葉で終了かと思いきや、ドロンさんはまだ質問のある人はいませんか?と会場に向かって語りかけます。
次回は最後のお二人の質問者とのやり取りをお届けします。
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この5人目の質問者の方とドロンさんのやりとりは今回の松山のパーティーでのハイライトとなります。
彼女は12歳の時からのドロンさんのファンとのことで、以前ドロンさんから贈られたサイン入りのポートレートなど3枚の写真を貼り、そこに”These are my treasures”という題字を付けた自作の大きな紙を見せながら通訳の方に向かってこう語ります。
「私は以前ドロンさんからファン・クラブを通じてここにあるサイン入りのポートレイトを送ってもらったことをとても感謝しています。
この“感謝している”という私の気持ちを(ドロンさんに)つたえてください。
そしてまたよかったらぜひ松山に来て下さい。」
通訳の方からこの言葉を聞いたドロンさんの表情が、それまでの質問者たちに対して見せてきたにこやかな表情から一転して真剣なまなざしに変化しました。
そして会場の人たちの拍手に呼応するかのように彼もマイクを脇にはさんで同じく彼女に向かって拍手をします。
そしてマイクを持ちかえたドロンさんは彼女に向かってこう答えます。
「私の方も本当に、正直に、感動しました。
というのは自分の家からこんなに遠いところまで来て、こんなに写真を集めて下さって、特に12歳のころから。
しかも“これらは私の宝物です”と書いて下さって、本当にありがとう。
本当に私は胸を打たれました。 ありがとう。」
そしてそのまま舞台を降りて彼女の所に向かったドロンさんは、彼女が持っていたその紙を改めてじっくりと見ながら彼女をやさしく抱き寄せます。
そして彼女に対して、
「あとでよければ私のスイートルームに来て下さい。これにサインしますから。本当に来て下さいね。」
と片方の手でサインをするジェスチャーを交えながら壇上に戻っていきました。
ドロンさんのやさしい言葉に会場の方々から大きな拍手が湧き起こる感動の場面となりました。
次の質問者からは2つの質問が寄せられます。
「もし俳優にならなかったら何になりたかったですか?」
「俳優でなかったとしたらスポーツ選手になりたかった。
どのスポーツをするかは決まってないけれども、スポーツが好きなので。
あるいは音楽が好きなのでピアニストになりたかった。」
「一番今まで影響を受けた人は誰ですか?」
「3人の監督でクレマン、ヴィスコンティ、そして黒澤明です。」
ここで黒澤明の名前を出したのは、日本人向けのリップサービスが含まれていると理解しておくべきでしょうか。
7人目の方からはユーモラスな質問が出されました。
「明日の朝ドロンさんと同じものを食べますので、今朝何を食べたか教えてください。」
ドロンさんはにっこりと微笑みながら答えます。
「卵2個とトースト、コーヒーのブラック、それとイチゴジャムですね。」
「はい、じゃあ明日の朝それを食べます!」
一呼吸置いたドロンさんは真剣な顔になって会場の方々に向かって語り始めます。
「ひとつ説明したい。
この四国、松山(を訪れるの)は私の人生で初めてなのです。
フランスのような遠い国からここまで来て、こんなに熱い出迎えやファンがいて下さったことは本当に胸を打たれることであって心から嬉しい。
どっちが恥ずかしいかというと私の方が恥ずかしい気持ちです。
本当に嬉しい。みなさんにもう一度お礼を言いたい。」
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ドロンさんの最後の言葉は決して社交辞令ではなく本心からのものであることは彼の表情を見ればわかります。
実際に80年代の日本でドロンさんの新作映画がロードショー公開されることは皆無に近い状態で、ドロンさん自身も70年代に熱狂的に迎えられた頃とは違うことをある程度予想(あるいは覚悟)した上での来日であったのではないでしょうか。
にも拘らずこれほどまでに熱狂的に日本のファンに、しかも東京や大阪といった大都市ではなく地方都市において出迎えられたことは彼にとっては本当に予想外でうれしかったにちがいありません。
さてパーティーの質問コーナーはドロンさんのこの感謝の言葉で終了かと思いきや、ドロンさんはまだ質問のある人はいませんか?と会場に向かって語りかけます。
次回は最後のお二人の質問者とのやり取りをお届けします。
ドロンさんは見事にその役割を演じきっていますね。
パリにおいてもきっとこのような素晴らしいパーティーだったのであろうと想像できます。