CDのライナー・ノーツは
この作品の監督のジョルジュ・ロートネルが執筆しており、
舞台裏の大変興味深いエピソードが綴られています。
その中からこの作品にスタン・ゲッツが起用された経緯の部分をご紹介します。
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撮影が全て終了した後もこの映画にはもう一人マジシャンが存在した。
その男の名はフィリップ・サルド。
フィリップはいつものように私たちの編集作業に付き添いながら、
突然こう切り出した。
“なあジョルジュ、アラン・ドロンの眼差しをさらに豊かに表現させるには
バックの音楽に偉大なソロイストの音が必要じゃないかな。
できればテナー・サックスのプレイヤーがいいと思う。”
フィリップという男は全くおかしな奴で、
それにはスタン・ゲッツがいい、などと言い出した!
私たちはそれまで彼と面識は全くなく、どこにいるかさえ知らなかったが
私たちの仲間が彼をスウェーデンでつかまえてくれた。
ゲッツはパリに到着するとすぐにリドに行く途中にあるサルドの自宅に
音楽を確認しにやってきた。
私たちは熱狂して彼を出迎えた。
ゲッツは楽器のケースを開けると、
フィリップのピアノの伴奏に合わせてサックスでテーマ音楽を吹き始めた。
そしてゲッツの下した評決は“非常にセンシティヴなメロディだ!”
演奏するゲッツを見ながら私は彼の姿を映画に登場させようとふと思いついた。
そしてゲッツはこれに応じてくれた。
次の日私はフィリップの映写室の中で白いシーツで必要な場所を覆いながら
即興の撮影セッションを行った。
私たちはゲッツがオープニング・テーマの『 Paris, Cinq Heures du Matin 』
を伴奏なしのアカペラ演奏するのを撮影した。
このような経緯で、オープニング・タイトルの映像にゲッツは起用された。
『チェイサー』はスタン・ゲッツが音楽と映像と両方で登場した映画といえる。
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これを読んでいるとスタン・ゲッツの起用は
ドロンではなくフィリップ・サルドの発案であったことがわかります。
プロデューサーであるアラン・ドロンはこの過程には一切登場しませんが、
恐らくフィリップ・サルドを全面的に信頼していたことが伺えます。
この作品の監督のジョルジュ・ロートネルが執筆しており、
舞台裏の大変興味深いエピソードが綴られています。
その中からこの作品にスタン・ゲッツが起用された経緯の部分をご紹介します。
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撮影が全て終了した後もこの映画にはもう一人マジシャンが存在した。
その男の名はフィリップ・サルド。
フィリップはいつものように私たちの編集作業に付き添いながら、
突然こう切り出した。
“なあジョルジュ、アラン・ドロンの眼差しをさらに豊かに表現させるには
バックの音楽に偉大なソロイストの音が必要じゃないかな。
できればテナー・サックスのプレイヤーがいいと思う。”
フィリップという男は全くおかしな奴で、
それにはスタン・ゲッツがいい、などと言い出した!
私たちはそれまで彼と面識は全くなく、どこにいるかさえ知らなかったが
私たちの仲間が彼をスウェーデンでつかまえてくれた。
ゲッツはパリに到着するとすぐにリドに行く途中にあるサルドの自宅に
音楽を確認しにやってきた。
私たちは熱狂して彼を出迎えた。
ゲッツは楽器のケースを開けると、
フィリップのピアノの伴奏に合わせてサックスでテーマ音楽を吹き始めた。
そしてゲッツの下した評決は“非常にセンシティヴなメロディだ!”
演奏するゲッツを見ながら私は彼の姿を映画に登場させようとふと思いついた。
そしてゲッツはこれに応じてくれた。
次の日私はフィリップの映写室の中で白いシーツで必要な場所を覆いながら
即興の撮影セッションを行った。
私たちはゲッツがオープニング・テーマの『 Paris, Cinq Heures du Matin 』
を伴奏なしのアカペラ演奏するのを撮影した。
このような経緯で、オープニング・タイトルの映像にゲッツは起用された。
『チェイサー』はスタン・ゲッツが音楽と映像と両方で登場した映画といえる。
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これを読んでいるとスタン・ゲッツの起用は
ドロンではなくフィリップ・サルドの発案であったことがわかります。
プロデューサーであるアラン・ドロンはこの過程には一切登場しませんが、
恐らくフィリップ・サルドを全面的に信頼していたことが伺えます。